熊本県

温暖な気候と豊かな水、広大な丘陵を有する熊本県には、約2万8000年前から人々が住んでいた。県内各地では、旧石器時代や縄文時代の遺跡が発見され、金装飾の鏡や勾玉、金の耳飾りなど、多くの副葬品も出土している。

古代、肥後国には、“火君(ひのきみ)”と呼ばれる有力な豪族がいたため、“火の国”や“肥の国”と呼ばれていた。

戦国時代には、九州を平定した豊臣秀吉が佐々成政を国主に命じるが、肥後国衆一揆により成政は失脚。その後、加藤清正が北半分を、小西行長が南半分を、相良氏が球磨郡を支配した。

小西行長が関ヶ原の戦いで敗北したため、加藤清正が肥後一国を与えられ52万石の領主となり、熊本城を築城した

幕末の熊本県は西南戦争の舞台になります。

1877年(明治10)2月14日、大雪。空気がピンと張り詰める。薩摩軍は東京へ向け鹿児島を出発した。薩摩軍と政府軍は熊本城でぶつかる。

薩摩軍は桐野利秋 指揮のもとに熊本城総攻撃を始めた。政府軍は砲撃でこれに応戦。熊本城一帯はたちまち戦火に見舞われた。

薩摩軍の猛攻に耐え、城は50日余りに及ぶ籠城戦に持ちこたえた。

熊本県

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熊本城【日本100名城】: 32.806189, 130.705875
菊池城(隈府城): 32.987828, 130.816044
富岡城: 32.529208, 130.031605
鞠智城(きくちじょう)【続日本100名城】: 33.002005, 130.788202
人吉城【日本100名城】: 32.211058, 130.766551
八代城【続日本100名城】: 32.507979, 130.599782
宇土城: 32.679583, 130.653051
岩尾城: 32.684432, 130.993112
久玉城: 32.220998, 130.033021
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熊本城【日本100名城】
熊本城【熊本市】

織豊系城郭の到達点ともいわれる、加藤清正が築いた鉄壁の軍事要塞。本丸に大天守と小天守が鎮座し、各曲輪には5棟の五階櫓が並んでいた。



遺構:曲輪・櫓・門・塀・石垣・横堀

文化財:特別史跡、国の重要文化財(櫓11棟、門1棟、塀1棟)

外観復元建築:大小天守・平櫓・馬具櫓。

木造復元建築:西大手門・数奇屋丸二階広間・南大手門・西出丸戌亥櫓・未申櫓・元太鼓櫓・飯田丸五階櫓・本丸御殿大広間
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菊池城(隈府城)
菊池城(隈府城)【菊池市】

菊池氏15代・菊池武政が本拠として築城した城。豊臣秀吉による九州平定の後、佐々成政に反抗した為、鎮圧され城は破却された。

遺構:空堀・土塁
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富岡城
富岡城【苓北町】

天草郡を治めるために築いた城で、1637年に勃発した「島原の乱」では一揆軍の攻撃を受け、落城寸前まで追い込まれる。江戸時代に廃城。



遺構:石垣・堀切

復元建築:櫓・門・塀
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鞠智城(きくちじょう)【続日本100名城】
鞠智城【山鹿市】

7世紀後半に大和朝廷が築いた古代山城(朝鮮式山城)。663年の「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に大敗した大和朝廷が日本列島への侵攻に備えて西日本各地に築いた城のひとつ。

遺構:建築物基礎

復元建築:八角形鼓楼・米倉・兵舎・板倉
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人吉城【日本100名城】
人吉城【人吉市】

幕末に築かれた石垣の一部に、ヨーロッパの築城技術である槹出工法(はねだしこうほう)を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣がある。これは日本の中で大変珍しく貴重な遺構である。



遺構:石垣・土塁

復元建築:櫓・塀
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八代城【続日本100名城】
八代城【八代市】

八代城は加藤忠広の命により、家臣の加藤正方によって「一国一城令」後に築かれた城。現在は水堀に囲まれた本丸石垣や天守台が残っており、近辺にある市立博物館には八代城の城郭模型が展示されている。



遺構:天守台・石垣・堀
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宇土城
宇土城【宇土市】

キリシタン大名の小西行長によって築かれた城。「関ケ原の戦い」戦後に加藤清正に与えられた。その際、宇土城の天守は清正によって熊本城へ移築され、宇土櫓となったという伝承がある。

遺構:石垣・堀・土塁
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岩尾城
岩尾城【山都町】

岩尾城は阿蘇惟忠によって浜の館の詰城として築かれたと伝わっている。現在は三の丸跡に堀切、土塁が残っており、山麓には観光地として有名な「通潤橋」がある。

遺構:堀切・土塁
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久玉城
久玉城【天草市】

久玉氏の居城。1569年(永禄12年)に領内のキリスト教布教の是非をめぐって起きた内乱では弟方の拠点として使れた。現在城址には寺沢氏時代に改修されたと思われる石垣などが確認できる。

遺構:石垣・土塁・曲輪・堀・井戸