金山城(陸奥国)

金山城(かねやまじょう)、または寝牛城、臥牛城は、宮城県伊具郡(陸奥国伊具郡)丸森町金山にあった日本の城。
仙台藩における元和の一国一城令後の21要害の一つで、後に金山要害と称した。丸森町指定史跡。

別名寝牛城、臥牛城
城郭構造山城
築城主相馬氏
築城年1564年(永禄7年)または1565年(永禄8年)
遺構曲輪、土塁、石垣
指定文化財丸森町指定史跡

概要

金山城は標高117メートルの「お舘山」山頂にある山城で、1564年(永禄7年)または65年(永禄8年)に相馬氏の家臣井戸川将監、藤橋胤泰が築城したと言われる。
その後伊達氏と相馬氏の争奪戦が展開された。

天正9年(1581年)には伊達政宗が初陣を飾り、同12年(1584年)に伊達氏の領有となった。
そして、金山城は政宗の家臣中島宗求が2千石で拝領した。江戸時代は元和の一国一城令により金山要害と称し、引き続き中島氏が明治維新まで居住した。

明治元年(1868年)戊辰戦争後に一度南部氏が白石藩に転封され、補修がされたが、後に幕末に勤皇派としていた旧城主の中島氏に払い下げられた。

現在は、「お舘山公園」となっており、本丸跡には1588年(天正16年)ごろ築造とされる石垣が残り、往時の面影を伝えている。

交通アクセス