埼玉県

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忍城【続日本100名城】: 36.137806, 139.453990
川越城【日本100名城】: 35.918350, 139.488999
鉢形城【日本100名城】: 36.109645, 139.195962
杉山城【続日本100名城】: 36.063103, 139.311919
菅谷館【続日本100名城】: 36.035937, 139.321758
花園城: 36.122539, 139.172122
小倉城(武蔵国): 36.032581, 139.296845
天神山城(武蔵国): 36.105376, 139.120474
滝の城: 35.800623, 139.532032
岩槻城(いわつきじょう): 35.952027, 139.710238
武蔵松山城: 36.037194, 139.421396
岡城(武蔵国): 35.812730, 139.602692
雉岡城: 36.193244, 139.127705
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忍城【続日本100名城】
忍城【行田市】
別名「浮き城」とも呼ばれ、豊臣秀吉の関東平定の際には石田三成の水攻めにも耐えたことで知られる。映画「のぼうの城」の舞台でもある。



遺構:土塁、移築門
復元建築:御三階櫓、土塀
縄張り:平城

忍城データベース
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川越城【日本100名城】
川越城【川越市】
江戸時代には川越藩の藩庁が置かれ、江戸の北側の防衛線として重要視された城。1848年に建られた本丸御殿の一部が現存しており、本丸御殿大広間が現存しているのは川越城と高知城のみで大変貴重な遺構が残っている。



遺構:本丸御殿・家老詰所・富士見櫓跡・中ノ門堀跡・土塁
埼玉県有形文化財:本丸御殿
縄張り:平城(県指定史跡)

【川越城データベース】
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鉢形城【日本100名城】
鉢形城(はちがたじょう)【寄居町】
北条氏邦が築いた平山城で北関東における支配の要となった城。北条氏が支配していた頃には武田信玄でも上杉謙信でも落とせなかった堅城で遺構が良好に残っている。



遺構:土塁、堀、土橋、石垣、馬出
復元建築:四脚門・石塁・空堀等
縄張り:平山城(国指定史跡)

鉢形城データベース
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杉山城【続日本100名城】
杉山城【嵐山町】
「戦国期城郭の最高傑作」「築城の教科書」と称される、石垣の城にも負けない美しい土の城。屏風折れの土塁など芸術的な遺構が残っている。



遺構:土塁・堀・土橋・空堀・曲輪
縄張り:山城(国指定史跡)

杉山城データベース
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菅谷館【続日本100名城】
菅谷館【嵐山町】
鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられている。戦国時代には数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大し、土塁や空堀が良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口
復元建築:木橋
縄張り:平城(国指定史跡)

菅谷館データベース
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花園城
花園城
関東管領・山内上杉氏の重臣 藤田氏代々の居城で、北条氏邦を養子に迎えて本拠を鉢形城に移ると支城として使われた。ダイナミックな堀切や竪堀、土塁が残る。



遺構:石垣・土塁・郭
縄張り:山城

花園城データベース
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小倉城(武蔵国)
小倉城(おぐらじょう)

大量の石材を利用した石塁が随所に築かれている。郭3の外周部では高さ5m、延長100m以上の規模。

遺構:土塁、石塁、曲輪、堀切、虎口

データベース
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天神山城(武蔵国)
天神山城

北条氏邦が入城し鉢形城に居城を移した後も天神山城は機能し、小田原征伐の際に鉢形落城と共に開城。

遺構:石垣・土塁・郭

データベース
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滝の城
滝の城【所沢市】
北条氏照が居城したとされる城で北条築城術の障子堀も残る城。戦国時代は北条氏照の八王子城の支城として使われた。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で八王子城と共に落城。現在は本丸跡に城山神社が祀られている。



遺構:土塁・空堀(含障子堀)・土橋・郭
縄張り:平山城(県指定史跡)

滝の城データベース
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岩槻城(いわつきじょう)
岩槻城【さいたま市】
江戸時代に岩槻藩の藩庁が置かれた城で、江戸北方面の守りの要衝として重要視され譜代大名の居城となった。現在は岩槻城址公園として整備されている。



遺構:土塁、曲輪、空堀、土橋、馬出
移築建築:城門
縄張り:平城

岩槻城データベース
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武蔵松山城
武蔵松山城【東松山市】
扇谷上杉家が居城としたが滅亡すると、松山城は北条氏康の手に渡る。一度、上杉謙信に攻め落とされるが、2年後の1563年に北条氏康と武田信玄の連合軍によって奪還。小田原征伐で前田利家・上杉景勝らに包囲され落城した。空堀の遺構が綺麗な状態で保存されている。



遺構:空堀・土塁
縄張り:平山城(国指定史跡)

【武蔵松山城データベース
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岡城(武蔵国)
岡城(武蔵国)
岡城の築城年代や築城者は不明な点が多く、太田道灌が築城したとも、北条氏康に仕えた太田康資の居館だったともいわれてる。舌状台地の先端部に本丸、台地上に二の丸・三の丸・次の丸を一列に配置し、間を空堀で区切った縄張りとなっている。

遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
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雉岡城
雉岡城(きじがおかじょう)【本庄市】
関東管領・山内上杉氏の家臣、夏目豊後守定基の居城で、元々は関東管領の居城として築かれた。その後、北条氏邦に攻略され横地忠春が城代を務めていたが、1590年の小田原征伐では前田利家率いる北国勢に攻められ落城しました。



遺構:曲輪・土塁・空堀・堀
縄張り:平城(県指定史跡)