武蔵岡城

埼玉県朝霞市にある武蔵岡城は、現在城山公園として整備されています。黒目川を背後に小高い山となった場所に築かれているのが特徴です。
周囲は宅地造成で市街地化しているが、城山公園一帯だけは山の形状が残っています。
一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭が残っており、曲輪間を分断する空堀を確認することができます。

朝霞市では縄文時代や弥生時代の集落跡も発見されており、城山公園でも弥生時代の遺物が発見されています。

武蔵岡城の見どころ

遺構ポイント

小高い山の上に一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭が展開されており、綺麗に整備されています。
二ノ郭と三ノ郭を分断する横堀の底を歩くこともできます。
一ノ郭と二ノ郭を分断する横堀には入ることはできませんが、深さ3m程の横堀を見ることができます。
また、一ノ郭には物見櫓の跡もあり、市街地に埋もれた城郭としては、しっかりとした遺構を楽しむことができます。

観光ポイント

朝霞市は縄文時代、弥生時代、さらには古墳時代へと続く、長い歴史を持つ地域です。特に中道・中道下遺跡などでは、縄文・弥生・平安時代の生活跡が見つかっています。
朝霞市博物館では、これらの時代に使われた石器や土器、アクセサリーが展示されており、当時の暮らしについて学ぶことができま

御城印

※2026年3月現在、武蔵岡城では御城印が販売されていません。

武蔵岡城 周辺天気

城郭構造連郭式平山城
築城主不明
築城年不明
主な改修者不明
主な城主太田道灌・太田康資(未確定)
廃城年不明
遺構曲輪・空堀・土塁
指定文化財

写真で見る武蔵岡城

二ノ郭ー三ノ郭 空堀
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二ノ郭ー三ノ郭 空堀
二ノ郭ー三ノ郭 空堀
一ノ郭ー二ノ郭 空堀
一ノ郭ー二ノ郭
一ノ郭ー二ノ郭 空堀
一ノ郭ー二ノ郭 空堀
一ノ郭ー二ノ郭 空堀
一ノ郭
一ノ郭 土塁
一ノ郭 物見櫓跡
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登城レポート

武蔵岡城について

武蔵岡城の名は伝わっておらず、ネットを見ても地名から「岡の城」「岡の城山」「岡城」などと呼ばれており、正確な呼び名も定まっていないと思われます。周辺は市街地化が進み、道路工事や公園整備で削られたものの、遺構が良好に残り、「城山公園」として市民に親しまれています。

岡の城山の築城などに関する詳細は不明な点が多く、太田道灌が築城したとも伝わり、江戸時代に編纂(へんさん)された『新編武蔵風土記稿』には、道灌の持城だったと書かれています。また、戦国時代の終わり頃には、道灌の曾孫にあたる太田新六郎康資が城主だったと伝わっています。

現在、公園として保存されている武蔵岡城は、一ノ郭・二ノ郭・三ノ郭が残っており、各曲輪を横堀で分断しています。遺構として残っている空堀と土塁の規模からすると、練馬区の「石神井城」や調布市の「深大寺城」に似ており、やはり時代としては太田道灌や扇谷上杉氏の時代ではないかと考えられる。

縄張り

比高15m程の山に主郭を含めた曲輪を配置。一ノ郭の背後には黒目川が流れており、天然の要害となっている。

マップ

アクセス

公共交通機関
・JR武蔵野線「北朝霞駅」徒歩約25分
・東武東上線「朝霞台駅」徒歩約25分
・東武東上線「朝霞駅」徒歩約25分

■車・バイク
・東京外環自動車道「和光北IC」から10分

武蔵岡城 周辺スポット

柊塚古墳

塚古墳は宮台遺跡に含まれる古墳で、新河岸川を臨む標高21mを測る台地縁辺部に立地しています。
県南部で唯一、墳丘が現存する前方後円墳であり、平成14年3月22日に埼玉県指定史跡として指定を受けました。

マップ

出雲大社埼玉分院

「出雲大社埼玉分院」は、縁結びで有名な島根県の出雲大社の分院です。
本家の出雲大社には、立派な大しめ縄があるのは有名ですが、埼玉分院にも存在感のある大しめ縄が健在です。
また、島根県の出雲大社と同じお守りを頒布しています!

マップ

旧高橋家住宅

旧高橋家は荒川流域の平地と接する武蔵野台地の北辺に所在し、古くから農業を営んできました。
建築年代は18世紀前期頃と推定される。
旧高橋家住宅は、関東地方における18世紀前期に遡る古民家として価値が高い。
また宅地は附属施設を残し、畑や屋敷林など環境も良好で全体として武蔵野台地の農家の構成をよく伝えています。

マップ

武蔵岡城 周辺宿泊施設

武蔵岡城 周辺スポット

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埼玉県の城を攻める

埼玉県

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忍城【続日本100名城】: 36.137806, 139.453990
川越城【日本100名城】: 35.918350, 139.488999
鉢形城【日本100名城】: 36.109645, 139.195962
杉山城【続日本100名城】: 36.063103, 139.311919
菅谷館【続日本100名城】: 36.035937, 139.321758
花園城: 36.122539, 139.172122
小倉城(おぐらじょう): 36.032581, 139.296845
天神山城(武蔵国): 36.105376, 139.120474
滝の城: 35.800623, 139.532032
岩槻城(いわつきじょう): 35.952027, 139.710238
武蔵松山城: 36.037194, 139.421396
武蔵岡城: 35.812730, 139.602692
雉岡城: 36.193244, 139.127705
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忍城【続日本100名城】
忍城【行田市】
別名「浮き城」とも呼ばれ、豊臣秀吉の関東平定の際には石田三成の水攻めにも耐えたことで知られる。映画「のぼうの城」の舞台でもある。



遺構:土塁、移築門
復元建築:御三階櫓、土塀
縄張り:平城

忍城データベース
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川越城【日本100名城】
川越城【川越市】
江戸時代には川越藩の藩庁が置かれ、江戸の北側の防衛線として重要視された城。1848年に建られた本丸御殿の一部が現存しており、本丸御殿大広間が現存しているのは川越城と高知城のみで大変貴重な遺構が残っている。



遺構:本丸御殿・家老詰所・富士見櫓跡・中ノ門堀跡・土塁
埼玉県有形文化財:本丸御殿
縄張り:平城(県指定史跡)

【川越城データベース】
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鉢形城【日本100名城】
鉢形城(はちがたじょう)【寄居町】
北条氏邦が築いた平山城で北関東における支配の要となった城。北条氏が支配していた頃には武田信玄でも上杉謙信でも落とせなかった堅城で遺構が良好に残っている。



遺構:土塁、堀、土橋、石垣、馬出
復元建築:四脚門・石塁・空堀等
縄張り:平山城(国指定史跡)

鉢形城データベース
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杉山城【続日本100名城】
杉山城【嵐山町】
「戦国期城郭の最高傑作」「築城の教科書」と称される、石垣の城にも負けない美しい土の城。屏風折れの土塁など芸術的な遺構が残っている。



遺構:土塁・堀・土橋・空堀・曲輪
縄張り:山城(国指定史跡)

杉山城データベース
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菅谷館【続日本100名城】
菅谷館【嵐山町】
鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられている。戦国時代には数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大し、土塁や空堀が良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口
復元建築:木橋
縄張り:平城(国指定史跡)

菅谷館データベース
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花園城
花園城
関東管領・山内上杉氏の重臣 藤田氏代々の居城で、北条氏邦を養子に迎えて本拠を鉢形城に移ると支城として使われた。ダイナミックな堀切や竪堀、土塁が残る。



遺構:石垣・土塁・郭
縄張り:山城

花園城データベース
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小倉城(おぐらじょう)
小倉城【ときがわ町】
関東では珍しい大量の石材を利用した石塁が随所に残る山城。郭3の外周部では高さ5m、延長100mを越える規模の石垣が残っている。竪堀や堀切など良好な遺構が残っている。



遺構:土塁・石塁・曲輪・堀切・虎口
縄張り:連郭式 山城(国指定史跡)

小倉城データベース
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天神山城(武蔵国)
天神山城

北条氏邦が入城し鉢形城に居城を移した後も天神山城は機能し、小田原征伐の際に鉢形落城と共に開城。

遺構:石垣・土塁・郭

データベース
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滝の城
滝の城【所沢市】
北条氏照が居城したとされる城で北条築城術の障子堀も残る城。戦国時代は北条氏照の八王子城の支城として使われた。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で八王子城と共に落城。現在は本丸跡に城山神社が祀られている。



遺構:土塁・空堀(含障子堀)・土橋・郭
縄張り:平山城(県指定史跡)

滝の城データベース
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岩槻城(いわつきじょう)
岩槻城【さいたま市】
江戸時代に岩槻藩の藩庁が置かれた城で、江戸北方面の守りの要衝として重要視され譜代大名の居城となった。現在は岩槻城址公園として整備されている。



遺構:土塁、曲輪、空堀、土橋、馬出
移築建築:城門
縄張り:平城

岩槻城データベース
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武蔵松山城
武蔵松山城【東松山市】
扇谷上杉家が居城としたが滅亡すると、松山城は北条氏康の手に渡る。一度、上杉謙信に攻め落とされるが、2年後の1563年に北条氏康と武田信玄の連合軍によって奪還。小田原征伐で前田利家・上杉景勝らに包囲され落城した。空堀の遺構が綺麗な状態で保存されている。



遺構:空堀・土塁
縄張り:平山城(国指定史跡)

【武蔵松山城データベース
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武蔵岡城
武蔵岡城【朝霞市】
岡城の築城年代や築城者は不明な点が多く、太田道灌が築城したとも、北条氏康に仕えた太田康資の居館だったともいわれてる。舌状台地の先端部に本丸、台地上に二の丸・三の丸・次の丸を一列に配置し、間を空堀で区切った縄張りとなっている。



遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
武蔵岡城データベース
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雉岡城
雉岡城(きじがおかじょう)【本庄市】
関東管領・山内上杉氏の家臣、夏目豊後守定基の居城で、元々は関東管領の居城として築かれた。その後、北条氏邦に攻略され横地忠春が城代を務めていたが、1590年の小田原征伐では前田利家率いる北国勢に攻められ落城しました。



遺構:曲輪・土塁・空堀・堀
縄張り:平城(県指定史跡)