杉山城【続日本100名城】

戦国時代の山城で、約14万平方メートルという狭い範囲の中で、高低差を利用しながらおよそ10の郭を配置した縄張りをもつ杉山城。本郭を中心に南・北・西の3方向へ曲輪が展開され、土塁は屏風折れとよばれる敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口にはほぼ例外なく進入方向の側面から矢を射掛ける横矢が仕掛けられる等の防御施設が各所に見られる。

こうした高度な築城技術が高く評価され、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と称されている。

杉山城の見どころ

■良好に残っている連続した屏風折れの土塁と空堀は芸術の領域。
■大手から入城し外郭から見る全体の城郭は石垣の城に負けない壮麗さを感じます。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。

■続日本100名城スタンプ
・嵐山町役場庁舎・玄関ホール
 設置時間:8時30分~17時15分 (年中無休)

■御城印
・嵐山町ステーションプラザ嵐なび
 営業時間:9時~16時45分

杉山城 周辺天気

別名初雁城
城郭構造山城
天守構造なし
築城主山内上杉氏
遺構曲輪、空堀、土塁、井戸
指定文化財国の史跡

写真で見る杉山城

杉山城 大手から見た主郭
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杉山城 大手から見た主郭
杉山城 井戸郭-本郭屏風折れ土塁
杉山城 馬出郭と南三の郭空堀
杉山城 南三の郭屛風折れ土塁
杉山城 南二の郭先端部
杉山城 南二の郭から見た屏風折れ土塁
杉山城 東二の郭-東三の郭 土橋と虎口
杉山城 東三の郭から見た主郭部
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レポート

杉山城の歴史

杉山城はこれまで高度な築城技術から「後北条氏の城」と して広く認識されていましたが、学術的な裏づけはありませんでした。そこで嵐山町では平成14年度から18年度にかけて5回の学術発掘調査を実施。
その結果、城跡の年代が15世紀末から16世紀前半であり、後北条氏の時代ではなく、それ以前の関東覇権をめぐる山内・扇谷両上杉氏と古河公方による三つ巴の抗争が繰り広げられていたなかで、山内上杉氏によって造られた城であったことがわかりました。
こうした学術的な成果により、杉山城跡が高度な築城技術の特徴をもち、良好な保存状態で当時の政治・軍事の様相を良く示していることが高く評価され、「比企城館跡群」のひとつとして平成20年に国史跡に指定されました。

史跡指定

2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館跡(嵐山町)に、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに杉山城が追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定された。

発掘調査

基本的には曲輪とそれに伴う堀や土塁のほか井戸跡の遺構が確認されている。

2002年(平成14年)〜2006年(平成18年)にわたってトレンチを用いた範囲確認調査が5次にわたって行われ、遺構面は1面のみで時期差をうかがわせる層位は確認されなかった。

本郭で、土塁及びそれに伴う溝、本郭の東虎口に平坦な石を用いて石列がつくられていた。東虎口から郭内へは「ハ」の字状に広がる構造になっていて、幅1.8mの石積みが確認された。石積みは43cmの高さで残っていた。東虎口の西側には石積みを崩したことによって発生したと考えられる礫が多量に検出された。本郭から南側へ「コ」の字状に張り出した先に西向きに南虎口があって、石列が確認された。挽き橋が西方向に井戸郭へ向かって架けられていたと考えられる。

本郭南虎口の対岸にあたる井戸郭の東側部分には8m×6mの長方形で、周囲との比高差1.2mの台状遺構が確認された。東側の堀に平行に柵ないし柱の跡と思われる穴(ピット)が検出されている。

南2の郭では、南虎口に関連する施設(柵ないし柱か)の跡と思われる穴(ピット)が2基確認されている。建物跡は確認されなかった。

南3の郭でも建物跡は発見されなかった。部分的であるが石敷き状に礫が敷き詰められている状況が確認された。

動画で見る杉山城

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
まだ謎多き城で築城年代や廃城年代は正確には分かっていません。未整備エリアの林の中にも空堀や土塁を確認することができます。今後、新たな発見があるかもしれません。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
公共交通機関を利用する場合は、雨が降っていなければ武蔵嵐山駅にある観光ステーション嵐なびでレンタサイクルがあるので、続日本100名城の杉山城と菅谷館をセットで攻略できます!

マップ

アクセス

公共交通機関利用
■東武東上線・武蔵嵐山駅から徒歩で約2.9km (約40分)
■東武東上線・小川町駅発 小川パークヒル線「小川パークヒル」から約1.5km (約20分)
■東武東上線・武蔵嵐山駅から自転車で約15分

自動車・バイク利用
■関越自動車道・嵐山小川ICから 約2.6km (約5分)

杉山城 周辺スポット

向徳寺

時宗寺院の向徳寺は、大福山無量院と号します。向徳寺は、清阿(宝治2年1248年寂)が開山、その後廃寺となったものの、江戸時代の慶安2年(1649)に幕府より寺領10石の御朱印状を受領、向阿徳音(天和2年1682年寂)が中興したといいます。

→マップ

大蔵神社

木曽義仲の父・源義賢が秩父重隆の娘をめとり、移り住んだ館跡とされます。東西220m、南北170mの範囲が館跡となっています。周囲を堀と土塁で覆われていますが、このような現在の姿は戦国時代のもので、義賢がいた時代のものではないことが発掘調査によってわかっています。

→マップ

杉山城 周辺宿泊施設

杉山城 周辺グルメ

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埼玉県の城を攻める

埼玉県

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忍城【続日本100名城】: 36.137806, 139.453990
川越城【日本100名城】: 35.918350, 139.488999
鉢形城【日本100名城】: 36.109645, 139.195962
杉山城【続日本100名城】: 36.063103, 139.311919
菅谷館【続日本100名城】: 36.035937, 139.321758
花園城: 36.122539, 139.172122
小倉城(武蔵国): 36.032581, 139.296845
天神山城(武蔵国): 36.105376, 139.120474
滝の城: 35.800623, 139.532032
岩槻城(いわつきじょう): 35.952027, 139.710238
武蔵松山城: 36.037194, 139.421396
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忍城【続日本100名城】
忍城【行田市】
別名「浮き城」とも呼ばれ、豊臣秀吉の関東平定の際には石田三成の水攻めにも耐えたことで知られる。映画「のぼうの城」の舞台でもある。



遺構:土塁、移築門
復元建築:御三階櫓、土塀
縄張り:平城

忍城データベース
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川越城【日本100名城】
川越城【川越市】
江戸時代には川越藩の藩庁が置かれ、江戸の北側の防衛線として重要視された城。1848年に建られた本丸御殿の一部が現存しており、本丸御殿大広間が現存しているのは川越城と高知城のみで大変貴重な遺構が残っている。



遺構:本丸御殿・家老詰所・富士見櫓跡・中ノ門堀跡・土塁
埼玉県有形文化財:本丸御殿
縄張り:平城(県指定史跡)

【川越城データベース】
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鉢形城【日本100名城】
鉢形城(はちがたじょう)【寄居町】
北条氏邦が築いた平山城で北関東における支配の要となった城。北条氏が支配していた頃には武田信玄でも上杉謙信でも落とせなかった堅城で遺構が良好に残っている。



遺構:土塁、堀、土橋、石垣、馬出
復元建築:四脚門・石塁・空堀等
縄張り:平山城(国指定史跡)

鉢形城データベース
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杉山城【続日本100名城】
杉山城【嵐山町】
「戦国期城郭の最高傑作」「築城の教科書」と称される、石垣の城にも負けない美しい土の城。屏風折れの土塁など芸術的な遺構が残っている。



遺構:土塁・堀・土橋・空堀・曲輪
縄張り:山城(国指定史跡)

杉山城データベース
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菅谷館【続日本100名城】
菅谷館【嵐山町】
鎌倉時代に武蔵武士の畠山重忠が居住した所と伝えられている。戦国時代には数度にわたる改築を受けて城郭として整備拡大し、土塁や空堀が良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口
復元建築:木橋
縄張り:平城(国指定史跡)

菅谷館データベース
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花園城
花園城
関東管領・山内上杉氏の重臣 藤田氏代々の居城で、北条氏邦を養子に迎えて本拠を鉢形城に移ると支城として使われた。ダイナミックな堀切や竪堀、土塁が残る。



遺構:石垣・土塁・郭
縄張り:山城

花園城データベース
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小倉城(武蔵国)
小倉城(おぐらじょう)

大量の石材を利用した石塁が随所に築かれている。郭3の外周部では高さ5m、延長100m以上の規模。

遺構:土塁、石塁、曲輪、堀切、虎口

データベース
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天神山城(武蔵国)
天神山城

北条氏邦が入城し鉢形城に居城を移した後も天神山城は機能し、小田原征伐の際に鉢形落城と共に開城。

遺構:石垣・土塁・郭

データベース
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滝の城
滝の城【所沢市】
北条氏照が居城したとされる城で北条築城術の障子堀も残る城。戦国時代は北条氏照の八王子城の支城として使われた。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で八王子城と共に落城。現在は本丸跡に城山神社が祀られている。



遺構:土塁・空堀(含障子堀)・土橋・郭
縄張り:平山城(県指定史跡)

滝の城データベース
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岩槻城(いわつきじょう)
岩槻城【さいたま市】
江戸時代に岩槻藩の藩庁が置かれた城で、江戸北方面の守りの要衝として重要視され譜代大名の居城となった。現在は岩槻城址公園として整備されている。



遺構:土塁、曲輪、空堀、土橋、馬出
移築建築:城門
縄張り:平城

岩槻城データベース
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武蔵松山城
武蔵松山城【東松山市】
扇谷上杉家が居城としたが滅亡すると、松山城は北条氏康の手に渡る。一度、上杉謙信に攻め落とされるが、2年後の1563年に北条氏康と武田信玄の連合軍によって奪還。小田原征伐で前田利家・上杉景勝らに包囲され落城した。空堀の遺構が綺麗な状態で保存されている。



遺構:空堀・土塁
縄張り:平山城(国指定史跡)

【武蔵松山城データベース