山口県

平安末期には源平合戦の最終決戦地となり、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡する。

室町時代に入ると、守護大名 大内氏の城下町山口は日本最大規模の4万人都市として盛え、「西京」の異名を獲った。

戦国時代(室町時代後期)でも大内氏が周防・長門両国を支配したが、安芸国から侵攻した毛利元就が行った防長経略により、両国は毛利氏の領国となった。

関ヶ原の戦いでは、中国地方全域を支配していた毛利氏は西軍に参加。毛利輝元が総大将となったが戦闘に参加せず。

西軍の敗戦後は吉川広家の取り成しで毛利家は改易を免れ、減封されて防長2州を領有。以後、幕末まで毛利氏の支配する土地となる。

両国には長門国の萩藩(長州藩)・長府藩・清末藩・周防国の徳山藩・岩国領の5藩が成立。

山口県

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萩城【日本100名城】: 34.417527, 131.383739
岩国城【日本100名城】: 34.175764, 132.174089
大内氏館【続日本100名城】: 34.184404, 131.479880
勝山御殿: 34.021822, 130.972481
櫛崎城(くしざきじょう): 33.989399, 130.993799
若山城(わかやまじょう): 34.083717, 131.727340
霜降城(しもふりじょう): 34.015281, 131.256838
鞍掛城(くらかけじょう): 34.103881, 132.075920
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萩城【日本100名城】
萩城【萩市】

関ケ原の戦いで敗れた毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として築いた城。三角州に築城され、三方を海に囲まれている。山麓に本丸などの主郭、山頂に詰の城という中世山城を模した構造になっている。石垣のほか、二の丸入口近く武家屋敷である旧厚狭毛利家萩屋敷長屋が現存している。



遺構:長屋・石垣・堀

復元建築:土塀
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岩国城【日本100名城】
岩国城【岩国市】

吉川広家によって築かれた城で、麓には平時の居館となる「土居」が、山頂には戦時の城として「横山城」が築かれた。本丸には4重6階の唐造りの天守が建造されたが、完成からわずか7年後に幕府の一国一城令により破却され廃城となった。



遺構:隠居所長屋・石垣・水堀・空堀

復元建築:天守・旧天守台(発掘復元)
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大内氏館【続日本100名城】
大内氏館【山口市】

大内氏館は大内弘世が築いた居館で、京の街を模した街造りをした。大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約200年間にわたって西日本の政治、経済の中心地になった。館跡は現在龍福寺となっており、周辺に土塁や西門、枯山水の庭園、池泉などが復元されている。



遺構:堀切・土塁・曲輪

復元建築:西門・枯山水庭園
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勝山御殿
勝山御殿【下関市】

幕末に長府藩毛利氏が築いた陣屋である。1863年に攘夷を決行した長州藩は、関門海峡においてフランス軍と交戦状態に入り、海岸に近い長府陣屋(櫛崎城)を放棄して新たに陣屋を築いたという経緯がある。建物は廃藩置県後に解体されたが、石垣は状態良く保存されている。

遺構:曲輪・石垣・池

移築建築:了圓寺に表門、覚苑寺に玄関が移築現存
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櫛崎城(くしざきじょう)
櫛崎城(くしざきじょう)【下関市】

櫛崎城は毛利元就の四男の長男で、長府藩藩主となった毛利秀元の居城。1615年に幕府による一国一城令によって廃城となり、長府藩は長府陣屋を構えて藩庁とした。現在は関見台公園として、石垣・天守台が復元整備されている。

遺構:石垣・曲輪・天守台(復元)
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若山城(わかやまじょう)
若山城(わかやまじょう)【周南市】

若山城は大内氏の重臣、陶氏歴代の居城でら1550年には陶晴賢が大内義隆を攻撃する前に大改修したとされる。土塁や石垣、堀切のほか、畝状竪堀群がわずかに残っている。美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれている。

遺構:曲輪・石垣・土塁・空堀・畝状竪堀・堀切
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霜降城(しもふりじょう)
霜降城(しもふりじょう)【宇部市】

物部氏の末裔とされる厚東武光によって築かれた城。城の構造は霜降岳山頂に本城、南東の峰に前城、北東の峰に後城、西の峰に中城があったとされる。現在城址には石垣や土塁、空堀など南北朝時代の遺構が部分的に残っている。

遺構:石垣・曲輪・土塁・空堀
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鞍掛城(くらかけじょう)
鞍掛城(くらかけじょう)【岩国市】

鞍掛山城は大内氏の重臣・杉隆泰の居城として知られている。1555年の「厳島合戦」によって毛利元就が陶晴賢を滅ぼすと、元就は防長二国に進攻。その最初の合戦である「鞍掛合戦」の舞台となった城。

遺構:-