【神奈川県】寺尾城

殿山バス停から馬場三丁目の坂道をのぼった住宅地の一角に寺尾城跡がある。
寺尾城についてはその全容はなぞに包まれており、未だ解明されてはいない。信州の豪族 諏訪氏が1436年ごろに築城し、1569年、武田信玄が小田原城を攻撃したとき、城主が小田原城の守備に出向いていて留守の間に武田軍に攻められ落城したと伝えられている。

寺尾城の見どころ

■現在城跡は住宅地になっている為、ほぼ遺構は残っていないが殿山公園に竪堀が保存されている。
■諏訪氏が5代100年以上 この地を納めた歴史がある。諏訪氏にまつわる伝承や、菩提寺、城に所以がある住所名など、確かに城があった痕跡が残っている。

御城印

■横浜市歴史博物館
※寺尾城からは離れているので注意が必要です
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寺尾城 周辺の天気

別名馬場城
城郭構造山城
天守構造なし
築城主諏訪氏
築城年永享8年(1436年)ごろ
主な改修者不明
主な城主諏訪右馬之助
廃城年永禄12年(1569年)または天正3年(1575年)
遺構竪堀、土塁
指定文化財なし
登録文化財横浜市登録地域文化財(史跡)

写真で見る寺尾城

寺尾城 石碑
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寺尾城 石碑
寺尾城 竪堀
寺尾城 空堀跡
寺尾城 建物跡が出土した曲輪
寺尾城 斜面
寺尾城 街に生まれた城
寺尾城 街に埋もれた城
寺尾城 登城路
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レポート

寺尾城について

鶴見区馬場3丁目付近の、通称「殿山」と呼ばれる台地縁辺部に所在する。15世紀前半に後北条氏家臣である諏訪氏により築造されたと伝わる。

永禄12年(1569年)の、武田信玄による小田原攻めの際、第5代城主・諏訪右馬之助が小田原城の守備に出向いて留守の間に武田軍に攻められ、落城したと伝えられているが、享保16年(1731年)に記された、建功寺(諏訪右馬之助の開基と伝わる)の過去帳『霊簿』には、「五代目馬之丞の時、天正3年(1575年)に諏訪発落」とあり、1569年と1575年のいずれの記載が史実なのか判然としない。

宅地化が進行し、城の縄張の全貌は不明瞭となりつつあるが、わずかに遺構を残し、台地斜面のマンション内の緑地帯には土塁と見られる高まりが保存されている(私有地のため無断立入禁止)。また東に隣接する「殿山公園」内では竪堀が保存されており、竪堀の発掘調査時の解説板などが整備されている。

諏訪氏について

諏訪氏は、信濃の豪族諏訪一族の支流で、戦国時代になって鶴見の寺尾に進出してきたといわれている。小田原北条家に仕える武将として各地での戦いに加わっていたことが「北条記」などに記されている。寺尾の諏訪氏は、天正3年(1575年)に滅びるまで5代、百数十年間、寺尾城に居城していたといわれている。

寺尾城主の諏訪氏は、後北条氏が相模統一を達成する段階において、北条早雲のもとに参じ、小田原城平定の際、最初に功績をあげた家柄ということで、相模衆十四家にも列されている。『小田原衆所領役帳』には、「諏訪三河守、二百貫文、久良岐郡寺尾」と記されていることなどから、諏訪三河守は天文年間(1532~1554年)の人物と推定されているが、諏訪氏の寺尾城構築の年代は、建功寺の「霊簿」(過去帳)および「新編武蔵風土記稿」によって、永享年間(1430~1440年)ではないかと推察されている

建功寺『霊簿』には、「白幡大明神は足利尊氏将軍なり。尊氏将軍より十七代目足利義教(六代目)永享七年六月五日、寺尾城主諏訪勧請しまつるなり。享保十六年亥年(1731年)まで二九八年。寺尾城主二代目諏訪参河守、三代目平三郎、四代目参河守、五代目馬之丞時」と、寺尾城の歴代の城主の名も記録されている。

諏訪氏の館が現在諏訪坂という地名が残る丘の中腹にあったと考えられている

諏訪右馬之助は武勇に優れた武将であったらしい。軍記物語にしばしばその名を見ることができる。明応4年(1495年)、北条早雲が、扇谷上杉と和談の交渉を進めたおりの使者が「武州寺尾の住人諏訪右馬之助(『北条記』『鎌倉公方九代記』)であり、結城合戦のとき諏訪氏は上杉方について戦ったと思われる。また天文23年(1554年)3月、駿河(静岡県)で北条氏康と武田晴信が激しく戦った加島合戦のとき、小田原方の一人として富士川を越えて、諏訪右馬之助も一番槍の手柄を立てたことが『北条記』に記されている。そして、小田原北条氏が全盛期を迎えた永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』には、諏訪三河守は二百貫文、久良岐郡寺尾を知行し、江戸衆(江戸城に参じる軍団)に配属されたことなどが記されている。

寺尾城址近くに5代目城主諏訪右馬之助が馬術上達祈願をした寺尾稲荷もある。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
GoogleMAPのナビ通りに行けば遺構のある「殿山公園」に到着できます。寺尾城の石碑は殿山公園から離れているので、地図を見ながら効率よく周ってみてください。

マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR京浜東北線 鶴見駅から「鶴見臨港バス鶴01系統」に乗り「殿山」バス停下車 徒歩5分
・東急東横線 菊名駅から「鶴見臨港バス鶴01系統」に乗り「殿山」バス停下車 徒歩5分

■自動車
・首都高速神奈川1号横羽線・子安ICから10分

寺尾城 周辺スポット

馬場花木園(旧藤本家住宅 主屋)

江戸末期から明治初期に、現在の港北区篠原に建てられた茅葺屋根の民家を、旧馬場村の澤野家が購入し、この地に移築。「特定景観形成歴史的建造物」に指定されています。

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徳雄山 建功寺

建功禅寺は、永禄3年 小田原の北条家に仕えていた五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助が開基のお寺です。

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寺尾城 周辺宿泊施設

寺尾城 周辺のグルメ

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神奈川県の城を攻める

神奈川県

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小田原城【日本100名城】: 35.251149, 139.153433
石垣山城【続日本100名城】: 35.235948, 139.128070
津久井城: 35.577632, 139.250422
玉縄城: 35.351269, 139.519490
衣笠城: 35.245374, 139.654555
小机城【続日本100名城】: 35.512563, 139.593562
大庭城: 35.361110, 139.451834
河村城: 35.355126, 139.078819
茅ヶ崎城: 35.544671, 139.579153
榎下城: 35.517993, 139.529822
深見城: 35.493335, 139.469032
寺尾城: 35.506262, 139.654276
丸山城: 35.407532, 139.319665
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小田原城【日本100名城】
小田原城【小田原市】
小田原城は北条氏の居城として知られ、豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となった。その後、徳川家康の関東移封に伴い、近世城郭に変貌を遂げる。土造りの城が多い関東地方において、主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城としても有名である。



遺構:石垣・土塁・水堀・空堀・大堀切・土塁・郭・障子堀跡
復元:天守・門
縄張り:平山城(国指定史跡)

データベース
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石垣山城【続日本100名城】
石垣山城【小田原市】
石垣山城は豊臣秀吉が小田原征伐の際に築いた陣城です。一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたことから「一夜城」とも呼ばれている。関東では最初の総石垣の城であり今でも石垣が残っている。



遺構:石垣・曲輪・堀切・井戸
縄張り:山城(国指定史跡)

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津久井城
津久井城【相模原市】
戦国時代、小田原城を本城とした北条氏の支城として機能。天正18年、小田原征伐で徳川勢の本多忠勝、平岩親吉らに攻められ、落城したと伝わる

遺構:土塁・堀切・土橋・虎口・石垣
縄張り:山城

データベース
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玉縄城
玉縄城【鎌倉市】
玉縄城は北条早雲によって、三浦半島に本拠を置く相模国の最大勢力である三浦氏を攻略するための拠点として築かれた。城主には北条氏時をはじめとして、代々小田原北条氏の近親者が務めた。

遺構:堀切・土塁・大土塁・帯郭・虎口跡
縄張り:平山城

データベース
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衣笠城
衣笠城【横須賀市】
鎌倉時代の有力御家人 三浦氏の居城で源頼義に従って「前九年の役」に出陣した村岡平太夫為通が三浦の地を与えられ築城したと伝えられている。現在遺構は、ほとんど残っていない。

遺構:曲輪
縄張り:山城
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小机城【続日本100名城】
小机城【横浜市】

関東管領上杉氏によって築城され、太田道灌によって攻められ廃城となる。北条氏綱の手により修復され小田原城の支城となるも、豊臣秀吉による小田原征伐の際に無傷のまま落城。徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となった。



遺構:堀切・横堀・空堀・土塁・虎口・土橋・櫓台・帯郭
縄張り;平山城

小机城データベース
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大庭城
大庭城【藤沢城】
神奈川県南部における唯一の中世城郭址で、この付近を領有した大庭氏が築いたとされる。その後は太田道灌が改修し、のちには北条早雲も改修するなど東相模の重要な城と位置づけられていた。後北条氏の滅亡とともに廃城。

遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
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河村城
河村城【山北町】
戦国時代には関東管領上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て最終的には北条氏が甲斐の武田氏に備えた支城として重要視された。1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で落城し廃城になった。

遺構:曲輪・堀切・復元畝堀・井戸
縄張り:山城(県指定史跡)
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茅ヶ崎城
茅ヶ崎城【横浜市】
築城年代や築城者については不明ですが、小机城の支城として太田道灌に攻め落とされたと考えられている。その後、扇谷上杉氏の南下に備えるため、1521年頃に北条氏により改修された。ニュータウン化した住宅街にひっそり佇む城。



遺構:曲輪・土塁・空堀・堀切
縄張り:平山城(市指定史跡)

茅ヶ崎城データベース
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榎下城
榎下城【横浜市】
上杉四家のひとつ、詫間上杉氏の上杉憲清によって築かれた城。戦国時代には北条氏が小机城の支城として活用したと考えられている。城址には大手の喰違い虎口の土塁が残されており、二の丸跡に舊城寺が建立されている。

遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
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深見城
深見城【大和市】
築城者など詳細は謎の城。発掘調査では14世紀末~16世紀末と推定されている。縄張りや城郭構造から16世紀の戦国時代と考えられる土塁や空堀が残っている。

遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口・土橋
縄張り:単郭式 平山城
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寺尾城
寺尾城【横浜市】
信濃の名族・諏訪氏の支流で、北条氏につかえた諏訪氏の城として知られている。1575年に諏訪氏が滅びるまで5代、百数十年間の居城だった。1569年に武田信玄が小田原城へ侵攻した際に攻略されたと伝えられている。



遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城

寺尾城データベース
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丸山城
丸山城【伊勢原市】
扇谷上杉氏が築いたと推測されている城で、伊豆から相模に進出した北条早雲に備えるために扇谷上杉氏が居館跡を改修して城を築いたと考えられている。現在は土塁や空堀、切岸などの遺構が残されてる。

遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城