寺尾城

殿山バス停から馬場三丁目の坂道をのぼった住宅地の一角に寺尾城跡がある。
寺尾城についてはその全容はなぞに包まれており、未だ解明されてはいない。信州の豪族 諏訪氏が1436年ごろに築城し、1569年、武田信玄が小田原城を攻撃したとき、城主が小田原城の守備に出向いていて留守の間に武田軍に攻められ落城したと伝えられている。

寺尾城の見どころ

遺構ポイント

寺尾城は宅地開発によって遺構はほぼ残っていませんが、城があったとされる一帯は当時の山の形状を活かして住宅化しているので、何となく城らしい雰囲気が残っています。
城にまつわる地名も残っているので、想像しながら微かな痕跡を辿ると楽しめると思います。
また、殿山公園に竪堀の一部が残存しており、貴重な遺構として保存されています。

堀跡

竪堀

寺尾城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • 新横浜駅からも近く、市街地化と都市化が進んだエリアの中で、良好に戦国の遺構を見ることができる
  • 城郭は高速道路で分断され、本丸と二の丸が整備範囲となるので、ややコンパクト

平均:46/100 ポイント
合計:275/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆

■見どころバロメーター

■神奈川県 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー

寺尾城の御城印

御城印販売

■横浜市歴史博物館
※寺尾城からは離れているので注意が必要です
→マップ

寺尾城 周辺の天気

別名馬場城
城郭構造山城
天守構造なし
築城主諏訪氏
築城年永享8年(1436年)ごろ
主な改修者不明
主な城主諏訪右馬之助
廃城年永禄12年(1569年)または天正3年(1575年)
遺構竪堀、土塁
指定文化財なし
登録文化財横浜市登録地域文化財(史跡)

写真で見る寺尾城

寺尾城 石碑
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寺尾城 石碑
寺尾城 竪堀
寺尾城 空堀跡
寺尾城 建物跡が出土した曲輪
寺尾城 斜面
寺尾城 街に生まれた城
寺尾城 街に埋もれた城
寺尾城 登城路
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR京浜東北線 鶴見駅から「鶴見臨港バス鶴01系統」に乗り「殿山」バス停下車 徒歩5分
・東急東横線 菊名駅から「鶴見臨港バス鶴01系統」に乗り「殿山」バス停下車 徒歩5分

■車・バイク
・首都高速神奈川1号横羽線・子安ICから10分

■駐車場
・専用駐車場なし

寺尾城について

鶴見区馬場3丁目付近の、通称「殿山」と呼ばれる台地縁辺部に所在する。15世紀前半に後北条氏家臣である諏訪氏により築造されたと伝わる。

永禄12年(1569年)の、武田信玄による小田原攻めの際、第5代城主・諏訪右馬之助が小田原城の守備に出向いて留守の間に武田軍に攻められ、落城したと伝えられているが、享保16年(1731年)に記された、建功寺(諏訪右馬之助の開基と伝わる)の過去帳『霊簿』には、「五代目馬之丞の時、天正3年(1575年)に諏訪発落」とあり、1569年と1575年のいずれの記載が史実なのか判然としない。

宅地化が進行し、城の縄張の全貌は不明瞭となりつつあるが、わずかに遺構を残し、台地斜面のマンション内の緑地帯には土塁と見られる高まりが保存されている(私有地のため無断立入禁止)。また東に隣接する「殿山公園」内では竪堀が保存されており、竪堀の発掘調査時の解説板などが整備されている。

諏訪氏について

諏訪氏は、信濃の豪族諏訪一族の支流で、戦国時代になって鶴見の寺尾に進出してきたといわれている。小田原北条家に仕える武将として各地での戦いに加わっていたことが「北条記」などに記されている。寺尾の諏訪氏は、天正3年(1575年)に滅びるまで5代、百数十年間、寺尾城に居城していたといわれている。

寺尾城主の諏訪氏は、後北条氏が相模統一を達成する段階において、北条早雲のもとに参じ、小田原城平定の際、最初に功績をあげた家柄ということで、相模衆十四家にも列されている。『小田原衆所領役帳』には、「諏訪三河守、二百貫文、久良岐郡寺尾」と記されていることなどから、諏訪三河守は天文年間(1532~1554年)の人物と推定されているが、諏訪氏の寺尾城構築の年代は、建功寺の「霊簿」(過去帳)および「新編武蔵風土記稿」によって、永享年間(1430~1440年)ではないかと推察されている。

建功寺『霊簿』には、「白幡大明神は足利尊氏将軍なり。尊氏将軍より十七代目足利義教(六代目)永享七年六月五日、寺尾城主諏訪勧請しまつるなり。享保十六年亥年(1731年)まで二九八年。寺尾城主二代目諏訪参河守、三代目平三郎、四代目参河守、五代目馬之丞時」と、寺尾城の歴代の城主の名も記録されている。

諏訪氏の館が現在諏訪坂という地名が残る丘の中腹にあったと考えられている。

諏訪右馬之助は武勇に優れた武将であったらしい。軍記物語にしばしばその名を見ることができる。明応4年(1495年)、北条早雲が、扇谷上杉と和談の交渉を進めたおりの使者が「武州寺尾の住人諏訪右馬之助(『北条記』『鎌倉公方九代記』)であり、結城合戦のとき諏訪氏は上杉方について戦ったと思われる。また天文23年(1554年)3月、駿河(静岡県)で北条氏康と武田晴信が激しく戦った加島合戦のとき、小田原方の一人として富士川を越えて、諏訪右馬之助も一番槍の手柄を立てたことが『北条記』に記されている。そして、小田原北条氏が全盛期を迎えた永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』には、諏訪三河守は二百貫文、久良岐郡寺尾を知行し、江戸衆(江戸城に参じる軍団)に配属されたことなどが記されている。

寺尾城址近くに5代目城主諏訪右馬之助が馬術上達祈願をした寺尾稲荷もある。

ナビゲーター

MEMO
GoogleMAPのナビ通りに行けば遺構のある「殿山公園」に到着できます。寺尾城の石碑は殿山公園から離れているので、地図を見ながら効率よく周ってみてください。

寺尾城 周辺スポット

馬場花木園(旧藤本家住宅 主屋)

江戸末期から明治初期に、現在の港北区篠原に建てられた茅葺屋根の民家を、旧馬場村の澤野家が購入し、この地に移築。「特定景観形成歴史的建造物」に指定されています。

徳雄山 建功寺

建功禅寺は永禄3年、後北条氏家臣であった寺尾城主・諏訪氏の菩提所で、北条早雲の正式名の宗瑞北条早雲から2字を賜り、瑞雲院と呼ばれていました。
五代目寺尾城主諏訪三河守右馬之助が開基のお寺です。

寺尾城 周辺宿泊施設

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