香川県

足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。

土佐国を統一した長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより織田信長による四国攻めを招くことになった。

豊臣秀吉が四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は尾藤知宣、生駒氏が相次いで封ぜられる。

江戸時代に入ると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。

途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。

香川県

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高松城【日本100名城】: 34.350040, 134.050412
丸亀城【日本100名城】: 34.286029, 133.800103
引田城【続日本100名城】: 34.234424, 134.410558
聖通寺城: 34.317093, 133.835063
十河城(そごうじょう): 34.260732, 134.105237
天霧城(あまぎりじょう): 34.235444, 133.735542
星ヶ城: 34.515318, 134.317281
勝賀城: 34.340468, 133.980460
笠島城(かさじまじょう): 34.394401, 133.789165
城山城(きのやまじょう): 34.289865, 133.889898
前田城: 34.301458, 134.112114
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高松城【日本100名城】
高松城【高松市】

豊臣秀吉の四国征伐の後、生駒親正によって築かれた城。近世城郭の海城としては最初にして最大の規模を誇る。また、高松城の天守は珍しい「唐造り」でしたが、明治17年に老朽化により解体。それでも日本に12基しか残っていない現存三重櫓の内、二基がこの高松城に残っている。



遺構:櫓・門・渡櫓・石垣・堀

国の重要文化財:月見櫓・水手御門・渡櫓・艮櫓

復元建築:御殿・桜御門
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丸亀城【日本100名城】
丸亀城【丸亀市】

総高 日本一の石垣を誇る丸亀城。「扇の勾配」の石垣が山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの大規模な石垣で城全体を囲んでいる。また現存12天守の一つでもあり、大手門も現存する。



遺構:天守・門・長屋・番所・石垣・堀

国の重要文化財:天守・大手一の門・大手二の門
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引田城【続日本100名城】
引田城(ひけたじょう)【東かがわ市】

仙石秀久が城主をつとめていた城で、羽柴秀吉の四国征伐の功により引田城を与えられたが、九州征伐での戸次川合戦での失態により改易。その後、生駒親正が讃岐に入りましたが、聖通寺城に移り廃城となる。現在も石垣などの遺構を確認することができる。

遺構:曲輪・石垣・空堀
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聖通寺城
聖通寺城【宇多津町】

1585年の羽柴秀吉による四国攻め(四国征伐)で長宗我部元親は降伏し、1595年に生駒親正が17万石で讃岐に入封。親正は当初、引田城を拠点としていたが、讃岐の東に偏っていたため聖通寺城に本拠を移す。、1588年に新たな居城として高松城を築くと廃城となった。

遺構:土塁・空堀
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十河城(そごうじょう)
十河城(そごうじょう)【高松市】

十河城は南北朝時代から桃山時代まで約230年間にわたる十河氏の居城として知られている。後ろ盾だった三好氏が急速に弱体化していくと、長宗我部元親に攻められ、激戦を繰り広げた。城郭の大部分は、宅地、田畑となり遺構は、ほぼ残っていない。

遺構:本丸・空堀・堀切
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天霧城(あまぎりじょう)
天霧城(あまぎりじょう)【度津町】

讃岐守護・細川氏の四天王のひとりである香川景則が築いた城。現在城址に明瞭な遺構はないものの、曲輪跡や堀切などを確認できる。また四国第71番札所にもなっている弥谷寺に歴代城主の墓がある。

遺構:石垣・土塁・曲輪・堀・井戸
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星ヶ城
星ヶ城【小豆島町】

南朝方で備前児島の豪族、佐々木信胤によって築かれた城。北朝方の細川師氏に攻められ1347年に討ち死に。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、星ヶ城山の山頂からは瀬戸大橋と大鳴門橋と明石海峡大橋の絶景を望める。

遺構:曲輪・石垣・土塁・堀・井戸
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勝賀城
勝賀城【高松市】

讃岐を代表する豪族で、細川四天王 香西氏の城。香西氏は佐料城を平時の居城、勝賀城を詰の城とした。1582年(天正10年)に長宗我部元親が讃岐に侵攻すると香西氏は元親の配下となり、豊臣秀吉による四国征伐に際して秀吉軍によって改修され、陣城となった。

遺構:曲輪・土塁・石垣・空堀
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笠島城(かさじまじょう)
笠島城(笠島城)【丸亀市】

天霧城主・香川氏の一族である福田又次郎の居城。塩飽水軍の根拠地として機能していましたが、長曽我部元親の侵攻により落城。1575年に薩摩の島津家久が京都へ上洛した際に立ち寄ったとも伝わる。土塁や空堀の遺構が残っており、本丸跡からは瀬戸内海や瀬戸大橋を一望できる。

遺構:曲輪・土塁・堀・井戸
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城山城(きのやまじょう)
城山城(きのやまじょう)【丸亀市】

城山城は屋嶋城と同時期に築かれた朝鮮式山城と推定されている。大陸からの侵攻に備えて築かれたほかの古代山城と同様に、山頂部の周囲には6kmにわたる二重の石塁が築かれ、石塁には数か所の城門や水門が設けられているが、未完成だったと推測されている。

遺構:土塁・石垣・礎石
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前田城
前田城【高松市】

前田城は十河城主・十河慶滋の弟である前田頼母頭宗存(むねまさ)によって築かれた前田氏代々の居城。長宗我部氏の軍勢との戦いで討死すると、そのまま廃城になった。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができる。

遺構:曲輪・土塁・空堀