丸亀城【日本100名城】

香川県丸亀市の中心部に位置する丸亀城は生駒親正(いこまちかまさ)によって築かれた。現存12天守の一つで三重三階の天守が残っている。安土城や大坂城を模したとされる丸亀城は、城郭だけでなく、城下町も石垣や土塁で囲う総構え(そうがまえ)の手法を取っていた。
石垣の名城としても知られており、総高60mの石垣で要塞化された日本屈指の名城である。
三の丸石垣の一番高い部分は22mもあり、技術の高さを味わうことができる。
丸亀城の見どころ

丸亀市の中心市街地の始まりは、慶長2年、生駒親正・一正による亀山への築城に始まります。慶長20年(1615年)、徳川幕府は武家諸法度を制定し規制を行います。元和元年の一国一城令により生駒氏は、高松城を残し、丸亀城を廃城しました。
正保2年(1645年)、山崎氏が幕府の許可を得て廃城となっていた丸亀城を再築。
山上の縄張りは現在の形とほぼ一致し、扇の勾配の高石垣は、山崎氏の手によるものです。
大手町を除く番丁の武家屋敷地は当時の道路や区画が今も残っています。

丸亀城には現存の天守が残っており、その他にも大手一の門と二の門が国の重要文化財として残ってます。建築物の遺構だけでも魅力が多い城ですが、丸亀城最大の魅力は山全体を要塞化した総石垣が魅力です。
穴太衆による最高クラスの石垣技術を見ることができます。
山麓から山頂まで一二三段と呼ばれる高石垣が3段4段に積重ねられており、総高60mにも及び日本最大の石垣の城郭です。三の丸「扇の勾配の石垣」は22mもあります。

大手二の門

大手一の門

石垣

番所・長屋

玄関先御門

水堀

天守

鏡石
レポート

ポイント
- 現存12天守の1つが丸亀城にあり、さらに大手門、御殿表門、長屋、番所が現存しているので遺構ポイントが高い
- 山全体が要塞化されているので見どころの範囲も広くどこを歩いてもレベルの高い石垣を楽しむことができる
平均:3.66
合計:22.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
丸亀城 天守内
開館時間:9:00~16:30(入城は4:00まで)※休館日なし
■御城印
丸亀城 天守受付
丸亀城 周辺の天気
| 別名 | 亀山城、蓬莱城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 渦郭式平山城 |
| 天守構造 | 御三階櫓(複合式層塔型3重3階)(1660年築) (独立式層塔型3重3階)(1877年改) |
| 築城主 | 奈良元安 |
| 築城年 | 室町時代初期(14世紀頃) |
| 主な改修者 | 生駒親正、山崎家治 |
| 主な城主 | 生駒氏、山崎氏、京極氏 |
| 廃城年 | 1871年 |
| 遺構 | 現存天守・大手一の門・大手二の門・御殿表門・長屋・番所 石垣、堀 |
| 指定文化財 | 重要文化財 (天守・大手一の門・大手二の門) 国の史跡 |
写真で見る丸亀城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR予讃線・丸亀駅から徒歩20分
■自動車・バイク
・瀬戸中央自動車道・坂出ICから10分
・高松自動車道・善通寺ICから10分
■駐車場
・丸亀城内資料館南側 無料専用駐車場あり
午前6時~午後7時 約50台
丸亀城について
丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。
山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。誤解されやすいが、あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で伊賀上野城が続いている。ちなみに大坂城は実測値33メートル、伊賀上野城の高さは約30メートルである。
後述の2018年の三の丸石垣崩落の復旧工事のため解体したところ、三の丸石垣は根固め石垣を土台としている(二段になっている)のではなく、三の丸石垣は地山まで延びており、その前面を根固め石垣が支えている構造と判明し、高さ31メートルで日本で2番目の高さと確認された。
頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存天守の中で最も小規模である。天守の形成した時代に関する研究としては、元和元年(1615年)の武家諸法度以降、天守は新造されることがなかったとして丸亀城を三重櫓とする説や、京極氏が入封後に幕府に許可を得て櫓を建てたという説、すでに明暦の丸亀城郭を記した讃岐国丸亀城(大洲絵図)を根拠に、京極入封以前の山崎時代に櫓や石垣がほぼ整っていたとする研究がある。
内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいた。侍屋敷は明治時代に大半が取り壊され跡地に善通寺第11師団の丸亀歩兵第12連隊、裁判所や小・中学校などが建てられた。外堀は明治頃まで存在していたが、琴平参宮電鉄の路線延長とその後の廃線や旧国道11号(県道33号線)の整備などにより、年とともに減少し、一部残されていた南側の箇所も今は埋め立てられ、外濠緑道公園として整備されている。又、御殿、櫓、門、土塀の木造復元計画もある。
城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されている。 城の大手改修の時に、絵図と共に幕府に提出されたという「丸亀城木図」という木型の立体模型が残っている(丸亀市立資料館所蔵)。木型模型(1/650)の現存例は丸亀城のものしかなく非常に珍しい。これは平成4年に丸亀市の指定有形文化財になっている。大手門と天守が両方とも現存しているのはこの丸亀城と、弘前城と高知城のみである。
石垣の崩落と復旧
石垣の名城として人気があり、見るものを圧倒した丸亀城。
しかし、2018年に悲劇が襲います。
広島、岡山、愛媛の3県を中心に200人以上が犠牲となった西日本豪雨の影響で、同年7月7日、丸亀城「帯曲輪(おびぐるわ)石垣」南面の一部が損壊。
ブルーシートで養生し、11月にも修復工事に着手しようとしていた矢先の10月8日、今度は同石垣西面が幅約18メートル、高さ約16メートルにわたって崩れ、翌9日には、上部に造られた「三の丸坤櫓(ひつじさるやぐら)跡石垣」が東西約25メートル、南北約30メートル、高さ約17メートルの範囲で崩落した。


石垣が崩落したことで、表面に見えている石垣の下にはさらに石垣が積まれていることが判明し、31メートルの高石垣であることが分かった。全国でも大坂城に次ぐ2番目の高さである。さらに石垣の中からは五輪塔などの転用石も多く発見された。
2025年6月の発表では工期が2031年3月末まで延長され、事業費も約86億円に増額となりました。現在も懸命な復旧作業が続いている。
城内マップ

※マップは丸亀城内に設置の、丸亀市観光協会様が作成のマップより
重要文化財

天守
丸亀城天守は、現存する12の木造天守の一つで、「日本一小さな天守」として知られ、3層3階建てながら均整の取れた美しい姿が特徴で、国の重要文化財に指定されています。高さ約15m、1660年(寛文10年)に完成したもので、唐破風や千鳥破風が施され、内部には丸亀城の資料が展示されており、最上階からは丸亀の街並みを一望できます

大手二の門
大手二の門は高麗門(こうらいもん)で、大手口の最初の門です。1670年(寛文10年)に京極氏が建て、欅(けやき)材を使った素木造りで、丸瓦には京極家の家紋(平四つ目結)が描かれています。正面からは棟門のように見えますが、内側に控柱と屋根を持つ高麗門の構造で、扉を開けた際の雨除けにもなっています。門の両側には狭間塀(さまべい)が続き、鉄砲狭間や矢狭間から外を監視でき、石の階段「雁木(がんぎ)」からその様子を覗くことも可能です。

大手一の門
大手一の門は、寛文10年(1670年)に建てられた国の重要文化財で、太鼓を叩いて時刻を告げたことから「太鼓門」とも呼ばれ、正午に太鼓の音が聞けます。大手二の門(高麗門)と合わせて枡形門を構成し、巨大な石垣と合わせて敵の侵入を防ぐ堅固な防御施設で、門内には防御用の「張出部(はりだしぶ)」があり、城の正門として威容を誇ります。
MEMO
城の裏側となる搦手ルートでは時代の異なる野面積みの石垣を見ることができます。最新技術の石垣と時代の古い石垣の両方をセットで見ることができます。
丸亀城 周辺スポット
京極庵
京極庵は、丸亀藩主・京極家ゆかりの商家「前谷家」の屋敷で、明治時代に建てられた歴史的建造物です。
茶室「松濤庵」や美しい庭園があり、丸亀の歴史や文化に触れながら抹茶体験ができる観光スポットとして公開されています。
中津万象園・丸亀美術館
1688(貞享5)年、丸亀藩京極家二代目藩主京極高豊侯により築庭された、約1万5千坪の池泉回遊式庭園です
園内には枝葉の直径が15メートル、樹齢600年といわれる大傘松をはじめ、国内現存最古の煎茶室である観潮楼、近江八景になぞらえた八つの島々を見ることができます。
飯野山
丸亀市と坂出市にまたがる「飯野山」は、別名「讃岐富士」とも呼ばれる円錐状をした美しい山である。標高422mで、新日本百名山、四国百名山に選定されている。
また、広葉樹(ナラ類、ヤマザクラなど)を中心とした森林からなり標高100m以上は瀬戸内海国立公園、風景林に指定されている。 山頂には、薬師堂や昭和天皇歌碑、展望台には讃岐富士を造った大男「おじょも」の足跡や大天狗、石鎚と呼ばれる巨石や巨岩が点在する。
塩飽勤番所跡
塩飽勤番所跡は、本島港から徒歩10分の所にあり、表に堀を巡らせ、敷地(1,497m²)の三方を約42mの土塀で囲み、南に向いた正面を片側番屋の長屋門としている。
敷地内には、主屋と朱印庫、番人部屋などの付属建物がある。主屋は、塩飽の歴史資料館として公開。信長、秀吉、家康からの朱印状や、徳川家親藩の高松藩と塩飽領の魚場争いの際に大岡越前守忠相らが署名した漁場の裁許書、咸臨丸に乗船した塩飽水夫たちが米国から持ち帰った品々などを展示している。
笠島まち並保存地区
笠島城(現在は城跡のみ)の城下町として発展したこのエリアは、中世から塩飽の政治・経済の中⼼地でした。港から⼊ってくる敵からの襲撃に対応できるよう、⾒通し
がきかないように曲げられた道やT字路が⾒られるのは、城下町ならでは。
昭和60年、江⼾末期から昭和初期にかけての伝統的な建物が集落として残っていることから、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
丸亀城 周辺宿泊施設























