丸亀城【日本100名城】

香川県丸亀市の中心部に位置する丸亀城は生駒親正(いこまちかまさ)によって築かれた。現存12天守の一つで三重三階の天守が残っている。安土城や大坂城を模したとされる丸亀城は、城郭だけでなく、城下町も石垣や土塁で囲う総構え(そうがまえ)の手法を取っていた。
石垣の名城としても知られており、総高60mの石垣で要塞化された日本屈指の名城である。
三の丸石垣の一番高い部分は22mもあり、技術の高さを味わうことができる。

丸亀城の見どころ

■江戸時代から残る天守は全国で12基しかないが、その一つが丸亀城にある。三層三階で現存12天守の中で一番小さな天守でありながら、大砲の砲弾に備えた太鼓壁という分厚い壁や大砲狭間など、他城に見られない装備も必見。

■扇の勾配と呼ばれる上部が反り返った石垣は芸術的で、見るものを圧倒します。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。

■日本100名城スタンプ
丸亀城 天守内
開館時間:9:00~16:30(入城は4:00まで)※休館日なし

■御城印
丸亀城 天守受付

丸亀城 周辺の天気

別名亀山城、蓬莱城
城郭構造渦郭式平山城
天守構造御三階櫓(複合式層塔型3重3階)(1660年築)
(独立式層塔型3重3階)(1877年改)
築城主奈良元安
築城年室町時代初期(14世紀頃)
主な改修者生駒親正、山崎家治
主な城主生駒氏、山崎氏、京極氏
廃城年1871年
遺構現存天守・大手一の門・大手二の門・御殿表門・長屋・番所
石垣、堀
指定文化財重要文化財
(天守・大手一の門・大手二の門)
国の史跡

写真で見る丸亀城

丸亀城 天守
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丸亀城 天守
丸亀城 大手門と天守
丸亀城 大手桝形
丸亀城 三の丸石垣
丸亀城 高石垣
丸亀城 天守
丸亀城 天守最頂部
丸亀城 搦手側石垣
丸亀城 時代の異なる石垣
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レポート

丸亀城について

丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66メートル)を利用し、縄張りはほぼ四角形で亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。

山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60メートルになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22メートルある。誤解されやすいが、あくまで総高としての日本一であり、単体としての日本一高い石垣は大坂城で、僅差で伊賀上野城が続いている。ちなみに大坂城は実測値33メートル、伊賀上野城の高さは約30メートルである。

後述の2018年の三の丸石垣崩落の復旧工事のため解体したところ、三の丸石垣は根固め石垣を土台としている(二段になっている)のではなく、三の丸石垣は地山まで延びており、その前面を根固め石垣が支えている構造と判明し、高さ31メートルで日本で2番目の高さと確認された。

頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15メートルあり、現存天守の中で最も小規模である。天守の形成した時代に関する研究としては、元和元年(1615年)の武家諸法度以降、天守は新造されることがなかったとして丸亀城を三重櫓とする説や、京極氏が入封後に幕府に許可を得て櫓を建てたという説、すでに明暦の丸亀城郭を記した讃岐国丸亀城(大洲絵図)を根拠に、京極入封以前の山崎時代に櫓や石垣がほぼ整っていたとする研究がある。

内堀の周囲には侍屋敷が建ち並び、この周囲を外堀が方形に取り囲んでいた。侍屋敷は明治時代に大半が取り壊され跡地に善通寺第11師団の丸亀歩兵第12連隊、裁判所や小・中学校などが建てられた。外堀は明治頃まで存在していたが、琴平参宮電鉄の路線延長とその後の廃線や旧国道11号(県道33号線)の整備などにより、年とともに減少し、一部残されていた南側の箇所も今は埋め立てられ、外濠緑道公園として整備されている。又、御殿、櫓、門、土塀の木造復元計画もある。

城跡の全域は国の史跡に指定されており亀山公園となっている。天守のほかに大手一の門・大手二の門・藩主玄関先御門・番所・御籠部屋・長屋が現存しており、そのうち天守・大手一の門・大手二の門は重要文化財に指定されている。 城の大手改修の時に、絵図と共に幕府に提出されたという「丸亀城木図」という木型の立体模型が残っている(丸亀市立資料館所蔵)。木型模型(1/650)の現存例は丸亀城のものしかなく非常に珍しい。これは平成4年に丸亀市の指定有形文化財になっている。大手門と天守が両方とも現存しているのはこの丸亀城と、弘前城と高知城のみである。

石垣の崩落と復旧

石垣の名城として人気があり、見るものを圧倒した丸亀城。
しかし、2018年に悲劇が襲います。

広島、岡山、愛媛の3県を中心に200人以上が犠牲となった西日本豪雨の影響で、同年7月7日、丸亀城「帯曲輪(おびぐるわ)石垣」南面の一部が損壊。
ブルーシートで養生し、11月にも修復工事に着手しようとしていた矢先の10月8日、今度は同石垣西面が幅約18メートル、高さ約16メートルにわたって崩れ、翌9日には、上部に造られた「三の丸坤櫓(ひつじさるやぐら)跡石垣」が東西約25メートル、南北約30メートル、高さ約17メートルの範囲で崩落した。

石垣が崩落したことで、表面に見えている石垣の下にはさらに石垣が積まれていることが判明し、31メートルの高石垣であることが分かった。全国でも大坂城に次ぐ2番目の高さである。さらに石垣の中からは五輪塔などの転用石も多く発見された。

2025年6月の発表では工期が2031年3月末まで延長され、事業費も約86億円に増額となりました。現在も懸命な復旧作業が続いている。

城内マップ

※マップは丸亀城内に設置の、丸亀市観光協会様が作成のマップより

重要文化財

天守

丸亀城天守は、現存する12の木造天守の一つで、「日本一小さな天守」として知られ、3層3階建てながら均整の取れた美しい姿が特徴で、国の重要文化財に指定されています。高さ約15m、1660年(寛文10年)に完成したもので、唐破風や千鳥破風が施され、内部には丸亀城の資料が展示されており、最上階からは丸亀の街並みを一望できます


大手二の門

大手二の門は高麗門(こうらいもん)で、大手口の最初の門です。1670年(寛文10年)に京極氏が建て、欅(けやき)材を使った素木造りで、丸瓦には京極家の家紋(平四つ目結)が描かれています。正面からは棟門のように見えますが、内側に控柱と屋根を持つ高麗門の構造で、扉を開けた際の雨除けにもなっています。門の両側には狭間塀(さまべい)が続き、鉄砲狭間や矢狭間から外を監視でき、石の階段「雁木(がんぎ)」からその様子を覗くことも可能です。 


大手一の門

大手一の門は、寛文10年(1670年)に建てられた国の重要文化財で、太鼓を叩いて時刻を告げたことから「太鼓門」とも呼ばれ、正午に太鼓の音が聞けます。大手二の門(高麗門)と合わせて枡形門を構成し、巨大な石垣と合わせて敵の侵入を防ぐ堅固な防御施設で、門内には防御用の「張出部(はりだしぶ)」があり、城の正門として威容を誇ります。 


管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
城の裏側となる搦手ルートでは時代の異なる野面積みの石垣を見ることができます。最新技術の石垣と時代の古い石垣の両方をセットで見ることができます。

マップ

アクセス

公共交通機関
■JR予讃線・丸亀駅から徒歩20分

自動車
■瀬戸中央自動車道・坂出ICから10分
■高松自動車道・善通寺ICから10分

丸亀城 周辺マップ

京極庵

京極庵は、丸亀藩主・京極家ゆかりの商家「前谷家」の屋敷で、明治時代に建てられた歴史的建造物です。茶室「松濤庵」や美しい庭園があり、丸亀の歴史や文化に触れながら抹茶体験ができる観光スポットとして公開されています。

→マップ

中津万象園・丸亀美術館

1688(貞享5)年、丸亀藩京極家二代目藩主京極高豊侯により築庭された、約1万5千坪の池泉回遊式庭園です。園内には枝葉の直径が15メートル、樹齢600年といわれる大傘松をはじめ、国内現存最古の煎茶室である観潮楼、近江八景になぞらえた八つの島々を見ることができます。

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丸亀城 周辺宿泊施設

丸亀城 周辺グルメ

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香川県お城マップ

香川県

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高松城【日本100名城】: 34.350040, 134.050412
丸亀城【日本100名城】: 34.286029, 133.800103
引田城【続日本100名城】: 34.234424, 134.410558
聖通寺城: 34.317093, 133.835063
十河城(そごうじょう): 34.260732, 134.105237
天霧城(あまぎりじょう): 34.235444, 133.735542
星ヶ城: 34.515318, 134.317281
勝賀城: 34.340468, 133.980460
笠島城(かさじまじょう): 34.394401, 133.789165
城山城(きのやまじょう): 34.289865, 133.889898
前田城: 34.301458, 134.112114
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高松城【日本100名城】
高松城【高松市】
豊臣秀吉の四国征伐の後、生駒親正によって築かれた城。近世城郭の海城としては最初にして最大の規模を誇る。また、高松城の天守は珍しい「唐造り」でしたが、明治17年に老朽化により解体。それでも日本に12基しか残っていない現存三重櫓の内、二基がこの高松城に残っている。



遺構:櫓・門・渡櫓・石垣・堀
国の重要文化財:月見櫓・水手御門・渡櫓・艮櫓
復元建築:御殿・桜御門
縄張り:海城(国指定史跡)

【高松城データベース】
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丸亀城【日本100名城】
丸亀城【丸亀市】
総高 日本一の石垣を誇る丸亀城。「扇の勾配」の石垣が山麓から山頂まで4重に重ねられ、総高60メートルの大規模な石垣で城全体を囲んでいる。また現存12天守の一つでもあり、大手門も現存する。



遺構:天守・門・長屋・番所・石垣・堀
国の重要文化財:天守・大手一の門・大手二の門
縄張り:平山城(国指定史跡)

丸亀城データベース
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引田城【続日本100名城】
引田城(ひけたじょう)【東かがわ市】

仙石秀久が城主をつとめていた城で、羽柴秀吉の四国征伐の功により引田城を与えられたが、九州征伐での戸次川合戦での失態により改易。その後、生駒親正が讃岐に入りましたが、聖通寺城に移り廃城となる。現在も石垣などの遺構を確認することができる。

遺構:曲輪・石垣・空堀
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聖通寺城
聖通寺城【宇多津町】

1585年の羽柴秀吉による四国攻め(四国征伐)で長宗我部元親は降伏し、1595年に生駒親正が17万石で讃岐に入封。親正は当初、引田城を拠点としていたが、讃岐の東に偏っていたため聖通寺城に本拠を移す。、1588年に新たな居城として高松城を築くと廃城となった。

遺構:土塁・空堀
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十河城(そごうじょう)
十河城(そごうじょう)【高松市】

十河城は南北朝時代から桃山時代まで約230年間にわたる十河氏の居城として知られている。後ろ盾だった三好氏が急速に弱体化していくと、長宗我部元親に攻められ、激戦を繰り広げた。城郭の大部分は、宅地、田畑となり遺構は、ほぼ残っていない。

遺構:本丸・空堀・堀切
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天霧城(あまぎりじょう)
天霧城(あまぎりじょう)【度津町】

讃岐守護・細川氏の四天王のひとりである香川景則が築いた城。現在城址に明瞭な遺構はないものの、曲輪跡や堀切などを確認できる。また四国第71番札所にもなっている弥谷寺に歴代城主の墓がある。

遺構:石垣・土塁・曲輪・堀・井戸
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星ヶ城
星ヶ城【小豆島町】

南朝方で備前児島の豪族、佐々木信胤によって築かれた城。北朝方の細川師氏に攻められ1347年に討ち死に。現在城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、星ヶ城山の山頂からは瀬戸大橋と大鳴門橋と明石海峡大橋の絶景を望める。

遺構:曲輪・石垣・土塁・堀・井戸
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勝賀城
勝賀城【高松市】

讃岐を代表する豪族で、細川四天王 香西氏の城。香西氏は佐料城を平時の居城、勝賀城を詰の城とした。1582年(天正10年)に長宗我部元親が讃岐に侵攻すると香西氏は元親の配下となり、豊臣秀吉による四国征伐に際して秀吉軍によって改修され、陣城となった。

遺構:曲輪・土塁・石垣・空堀
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笠島城(かさじまじょう)
笠島城(笠島城)【丸亀市】

天霧城主・香川氏の一族である福田又次郎の居城。塩飽水軍の根拠地として機能していましたが、長曽我部元親の侵攻により落城。1575年に薩摩の島津家久が京都へ上洛した際に立ち寄ったとも伝わる。土塁や空堀の遺構が残っており、本丸跡からは瀬戸内海や瀬戸大橋を一望できる。

遺構:曲輪・土塁・堀・井戸
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城山城(きのやまじょう)
城山城(きのやまじょう)【丸亀市】

城山城は屋嶋城と同時期に築かれた朝鮮式山城と推定されている。大陸からの侵攻に備えて築かれたほかの古代山城と同様に、山頂部の周囲には6kmにわたる二重の石塁が築かれ、石塁には数か所の城門や水門が設けられているが、未完成だったと推測されている。

遺構:土塁・石垣・礎石
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前田城
前田城【高松市】

前田城は十河城主・十河慶滋の弟である前田頼母頭宗存(むねまさ)によって築かれた前田氏代々の居城。長宗我部氏の軍勢との戦いで討死すると、そのまま廃城になった。現在城址には土塁や空堀などの遺構を確認することができる。

遺構:曲輪・土塁・空堀