河村城

河村城は平安時代末期に藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたと考えられています。
建武の新政・南北朝時代に入ると、河村氏は新田氏に協力し南朝方につき、北朝方の足利尊氏と対峙。
2年間、河村秀国・河村秀経らは新田義興・脇屋義治とともこの城に立てこもり、畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃をしのいだとされる。

戦国時代に入ると後北条氏の支配を受けるようにり、甲斐国の武田信玄の侵攻の際に補強され、周辺の諸城とともに後北条氏と武田氏の間で争奪合戦があったとされています。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で落城し廃城となった。

河村城の見どころ

遺構ポイント

河村城は標高220mの城山に築かれた山城です。東西650m・南北350mの範囲に及ぶ尾根沿いに展開された曲輪の全てに堀切が設けられており、後北条氏の支城の中でもトップクラスの数と規模の堀切を見ることができます。
後北条氏の城郭遺構の特徴である障子堀も綺麗に整備がされ確認することができます。

御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
御城印販売
・JR山北駅前「山北町ふるさと交流センター」
 販売時間:9時~17時
・ともしびショップさくら(健康福祉センター内)
 販売時間:11時~18時 ※木曜定休

河村城 周辺の天気

城郭構造連郭式山城
築城主河村氏
築城年平安時代末期
主な改修者後北条氏
主な城主不明
廃城年不明
遺構郭、堀切、復元畝堀、井戸
指定文化財県指定文化財

写真で見る河村城

本郭ー小郭 堀切
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本郭ー小郭 堀切
本郭-小郭 堀切
茶臼郭ー小郭-堀切
茶臼郭-小郭-堀切
茶臼郭から見た堀切
茶臼郭から見た障子堀
本郭ー蔵郭-堀切
蔵郭ー近藤郭-堀切
大庭郭張出ー馬達戸-堀切
大庭郭張出ー馬達戸 堀切
大庭郭張出ー馬達戸-堀切
馬達戸から見た大庭郭
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登城レポート

河村城について

足柄平野の北西端に東西に伸びる独立丘陵西側の城山一帯が河村城跡である。標高225mの丘陵上の平坦部に築城され、西方から南方を酒匂川、北方を旧皆瀬川(現在のJR山北駅のある盆地)に囲まれた要害の地に立地し、およそ東西650m、南北350mの範囲に及ぶ。

築城者とされる河村氏は、平安時代末期に藤原秀郷(ふじわら の ひでさと)の一族とされる波多野遠義(はたの とおよし)の子、秀高(ひでたか)が現在の山北の地を領地とし、河村を名乗ったことに始まる。

鎌倉時代末期、新田氏の鎌倉攻めでは、河村氏は新田氏側として活躍する。南北朝時代には、北朝側の足利尊氏軍と戦火を交え、正平(しょうへい)7~8(1352~53)年に南原(みなみはら)の戦いで敗れた。

その後は関東管領上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て、最終的には後北条氏の武田氏に備えた支城として重視されたが、天正18(1590)年に豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城し、廃城となったと考えられている。このように、河村氏の興隆から後北条時代まで約400年の城の変遷が明瞭で、県内の中世山城を代表する貴重な城跡である。現在、山北町による整備事業が行われている。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
小田原征伐で落城して廃城になったと伝わりますが、どのような戦闘があったのかなど不明な点が多い城です。しかし、城址には間違いなく後北条氏の痕跡が残っています。

動画で見る河村城

蔵郭ー近藤郭 堀切

マップ

アクセス

公共個通機関
・JR御殿場線「山北駅」徒歩10分

車・バイク
・東名高速道路「大井松田IC」から10分
※無料駐車場あり

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
電車でのアクセスも良いのがポイント。駅から城址までの道にも看板が設置されているので、迷わず登城口まで到着することができます。

河村城 周辺スポット

洒水の滝

酒匂川の支流、滝沢川から流れ落ちる洒水の滝は、「日本の滝百選」、またその水は「全国名水百選」に選ばれている名瀑です。
雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では、「蛇水の滝」と記されています。

マップ

町立中川温泉ぶなの湯

武田信玄の隠し湯といわれる中川温泉にある日帰り温泉入浴施設です。恵まれた自然環境の中にあり前方は清流の中川川です。
浴場内は明るく広いガラス張りで十分に外光を楽しめます。休憩室も展望の良い2階にあり広い畳敷きになっています。訪城の際の癒しに最適です。

マップ

丹沢湖

丹沢湖は昭和53年(1978)三保ダムの建設により出現した人造湖です。ダムの工事は昭和45年(1から始まり、8年の歳月と823億円の事業費をかけて完成、丹沢水系の豊かな水を集めた神奈川県民の水がめとして重要な機能を果たしています。
かながわの景勝50選・関東の富士見百景・ダム湖百選に選出されている名所です。

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河村城 周辺宿泊施設

河村城 周辺グルメ

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神奈川県の城を攻める

神奈川県

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小田原城【日本100名城】: 35.251149, 139.153433
石垣山城【続日本100名城】: 35.235948, 139.128070
津久井城: 35.577632, 139.250422
玉縄城: 35.351269, 139.519490
衣笠城: 35.245374, 139.654555
小机城【続日本100名城】: 35.512563, 139.593562
大庭城: 35.361110, 139.451834
河村城(かわむらじょう): 35.355126, 139.078819
茅ヶ崎城: 35.544671, 139.579153
榎下城: 35.517993, 139.529822
深見城: 35.493335, 139.469032
寺尾城: 35.506262, 139.654276
丸山城: 35.407532, 139.319665
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小田原城【日本100名城】
小田原城【小田原市】
小田原城は北条氏の居城として知られ、豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となった。その後、徳川家康の関東移封に伴い、近世城郭に変貌を遂げる。土造りの城が多い関東地方において、主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城としても有名である。



遺構:石垣・土塁・水堀・空堀・大堀切・土塁・郭・障子堀跡
復元:天守・門
縄張り:平山城(国指定史跡)

小田原城データベース
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石垣山城【続日本100名城】
石垣山城【小田原市】
石垣山城は豊臣秀吉が小田原征伐の際に築いた陣城です。一夜にして築城されたかのように見せて驚かせたことから「一夜城」とも呼ばれている。関東では最初の総石垣の城であり今でも石垣が残っている。



遺構:石垣・曲輪・堀切・井戸
縄張り:山城(国指定史跡)

データベース
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津久井城
津久井城【相模原市】
戦国時代、小田原城を本城とした北条氏の支城として機能。天正18年、小田原征伐で徳川勢の本多忠勝、平岩親吉らに攻められ、落城したと伝わる

遺構:土塁・堀切・土橋・虎口・石垣
縄張り:山城

データベース
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玉縄城
玉縄城【鎌倉市】
玉縄城は北条早雲によって、三浦半島に本拠を置く相模国の最大勢力である三浦氏を攻略するための拠点として築かれた。城主には北条氏時をはじめとして、代々小田原北条氏の近親者が務めた。

遺構:堀切・土塁・大土塁・帯郭・虎口跡
縄張り:平山城

データベース
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衣笠城
衣笠城【横須賀市】
鎌倉時代の有力御家人 三浦氏の居城で源頼義に従って「前九年の役」に出陣した村岡平太夫為通が三浦の地を与えられ築城したと伝えられている。現在遺構は、ほとんど残っていない。

遺構:曲輪
縄張り:山城
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小机城【続日本100名城】
小机城【横浜市】

関東管領上杉氏によって築城され、太田道灌によって攻められ廃城となる。北条氏綱の手により修復され小田原城の支城となるも、豊臣秀吉による小田原征伐の際に無傷のまま落城。徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となった。



遺構:堀切・横堀・空堀・土塁・虎口・土橋・櫓台・帯郭
縄張り;平山城

小机城データベース
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大庭城
大庭城【藤沢城】
神奈川県南部における唯一の中世城郭址で、この付近を領有した大庭氏が築いたとされる。その後は太田道灌が改修し、のちには北条早雲も改修するなど東相模の重要な城と位置づけられていた。後北条氏の滅亡とともに廃城。

遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
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河村城(かわむらじょう)
河村城【山北町】
戦国時代には関東管領上杉氏、大森氏の持城となった時期を経て最終的には北条氏が甲斐の武田氏に備えた支城として重要視された。1590年 豊臣秀吉の小田原征伐で落城し廃城になった。



遺構:曲輪・堀切・復元畝堀・井戸
縄張り:山城(県指定史跡)

河村城データベース
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茅ヶ崎城
茅ヶ崎城【横浜市】
築城年代や築城者については不明ですが、小机城の支城として太田道灌に攻め落とされたと考えられている。その後、扇谷上杉氏の南下に備えるため、1521年頃に北条氏により改修された。ニュータウン化した住宅街にひっそり佇む城。



遺構:曲輪・土塁・空堀・堀切
縄張り:平山城(市指定史跡)

茅ヶ崎城データベース
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榎下城
榎下城【横浜市】
上杉四家のひとつ、詫間上杉氏の上杉憲清によって築かれた城。戦国時代には北条氏が小机城の支城として活用したと考えられている。城址には大手の喰違い虎口の土塁が残されており、二の丸跡に舊城寺が建立されている。

遺構:曲輪・土塁・空堀
縄張り:平山城
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深見城
深見城【大和市】
築城者など詳細は謎の城。発掘調査では14世紀末~16世紀末と推定されている。縄張りや城郭構造から16世紀の戦国時代と考えられる土塁や空堀が残っている。

遺構:曲輪・土塁・空堀・虎口・土橋
縄張り:単郭式 平山城
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寺尾城
寺尾城【横浜市】
信濃の名族・諏訪氏の支流で、北条氏につかえた諏訪氏の城として知られている。1575年に諏訪氏が滅びるまで5代、百数十年間の居城だった。1569年に武田信玄が小田原城へ侵攻した際に攻略されたと伝えられている。



遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城

寺尾城データベース
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丸山城
丸山城【伊勢原市】
扇谷上杉氏が築いたと推測されている城で、伊豆から相模に進出した北条早雲に備えるために扇谷上杉氏が居館跡を改修して城を築いたと考えられている。現在は土塁や空堀、切岸などの遺構が残されてる。

遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城