利府城

見どころ

  • 本丸を囲む切岸
  • 綺麗に残った幾つもの曲輪

御城印

  • 町では御城印の販売はしておらず、お城EXPOで出店している至誠堂で販売しています。

概要

利府城(りふじょう)は、宮城県宮城郡利府町にあった日本の城。

伊達政宗の叔父、留守政景の居城。

利府町では縄文土器や古墳などが見つかっており、古代からの歴史を感じる町。

別名村岡城、森郷城
城郭構造山城
築城主村岡氏
築城年不明
主な改修者留守氏
主な城主村岡氏、留守氏
廃城年1590年(天正18年)
遺構曲輪、空堀、土塁

構造

松島丘陵の丘陵地帯の中にあり標高約90メートルの自然の山を利用した峻険な城郭となっている。山頂付近から3段もしくは5段にわたる曲輪が作られており現在でも曲輪跡の平地を見ることが出来る。

歴史

利府城は鎌倉時代の奥州探題である留守氏の家臣村岡氏によって築かれたと考えられている。その後も村岡氏の居城であったと考えられるが、長い間歴史の表舞台には出てこなかった。

1567年、村岡氏の主家である留守氏が伊達氏から養子を迎えることになると村岡氏はこれに反発する。しかし、養子縁組は滞りなく行われた。これを受けて1569年に村岡氏は挙兵し留守氏と交戦するも、翌1570年に利府城は落城して村岡氏は滅亡した。

利府城を攻略した留守政景は利府城を修繕・改修し岩切城から移りこれを居城とした。利府城は伊達氏が北に抱える敵である大崎氏や葛西氏に対する守りの最前線として重要視された。

その後、留守政景が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため所領を没収され、居城である利府城も廃城となった。

留守政景は伊達政宗の叔父。後に伊達一門として水沢伊達氏の始祖となります。

現在の状況

  • 現在は館山公園として整備されており、本丸跡が桜の名所として親しまれている。

マップ

交通アクセス

  • JR東北本線利府駅より、徒歩20分。
  • 無料駐車場有。

茂みに入ると洞窟や堅堀も発見できる未知数の城。
城の周りは堀切前や館、城内、城前など、城に関連する住所も存在。