利府城

利府城は伊達政宗の叔父 留守政景の居城として知られる城で元は村岡城という城名でした。
留守政景は村岡氏を滅亡させると岩切城より居城を移して、利府城と改めました。
留守氏はの小田原合戦に参陣しなかったことから改易となり、政景は伊達政宗に従って大谷城へ移され利府城は廃城になったと考えられています。
利府城の見どころ

曲輪

堀切

竪堀

切岸

腰曲輪

土橋
利府城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 綺麗に整備がされているものの、公園としての整備であり、城跡としての整備は乏しいので整備ポイントが
- 駅からも歩いていける距離にあるのでアクセスは悪くないが、電車本数が少ないので注意
- 城郭整備は乏しいですが森の中には多くの遺構らしきものが残っており、山自体も綺麗に残っているのでアドベンチャー感があるので、楽しみ方次第では満足度が得られます。
平均:45/100 ポイント
合計:270/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆
■見どころバロメーター
■宮城県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
利府城の御城印
■御城印販売
・町では御城印の販売はしておらず、お城EXPOで出店している至誠堂で販売

利府城 周辺の天気
| 別名 | 村岡城、森郷城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 築城主 | 村岡氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な改修者 | 留守氏 |
| 主な城主 | 村岡氏、留守氏 |
| 廃城年 | 1590年(天正18年) |
| 遺構 | 曲輪、空堀、土塁 |
写真で見る利府城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR東北本線「利府駅」徒歩20分
■車・バイク
・三陸自動車道「利府塩釜IC」から6分
・仙台北部道路「利府しらかし台IC」から8分
■駐車場
・館山公園 専用無料駐車場あり
利府城の構造
松島丘陵の丘陵地帯の中にあり標高約90メートルの自然の山を利用した峻険な城郭となっている。山頂付近から3段もしくは5段にわたる曲輪が作られており現在でも曲輪跡の平地を見ることが出来る。
利府城の歴史
利府城は鎌倉時代の奥州探題である留守氏の家臣村岡氏によって築かれたと考えられている。その後も村岡氏の居城であったと考えられるが、長い間歴史の表舞台には出てこなかった。
1567年、村岡氏の主家である留守氏が伊達氏から養子を迎えることになると村岡氏はこれに反発する。しかし、養子縁組は滞りなく行われた。これを受けて1569年に村岡氏は挙兵し留守氏と交戦するも、翌1570年に利府城は落城して村岡氏は滅亡した。
利府城を攻略した留守政景は利府城を修繕・改修し岩切城から移りこれを居城とした。利府城は伊達氏が北に抱える敵である大崎氏や葛西氏に対する守りの最前線として重要視された。
その後、留守政景が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったため所領を没収され、居城である利府城も廃城となった。
留守政景は伊達政宗の叔父。後に伊達一門として水沢伊達氏の始祖となります。
利府城 周辺スポット
多賀城跡
多賀城は神亀(じんき)元年(724年)に大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、陸奥国府(むつこくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)が置かれました。
約900メートル四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁がありました。
発掘調査成果をもとに環境整備が行われており、平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられています。
馬の背
波が長い時間をかけて浸食したことにより、約250mほど海に突き出た姿は天然の桟橋とも言われています
先端まで歩いて渡ることができ、先端からは表松島の美しい島々を眺めることができます。
道安寺横穴古墳群
道安寺の裏山一帯に100~200の横穴があるといわれています。
調査の結果、39基の横穴が見つかっており、中からは副装品である須恵器・土師器等の土器類の他、勾玉・管玉等の装身具、直刀等が出土しています。
また、中世には横穴は信仰の場所として再利用されていますが、ひとつの横穴には河原石が敷き詰められており、お経を石に書き写した「写経石」も見つかっています。
瑞巌寺
瑞巌寺は伊達政宗公の創建で、5年の歳月をかけて慶長14年(1609)に完成
しました。
昭和28年(1953)、国宝に指定されました。
墨絵の間以外の障壁画は昭和60年(1985)から制作が開始された精巧な復元模写が建て込まれており、400年余の時を超えて、政宗公が受けた感動を実際に体験することが出来ます。

















