【宮崎県】延岡城

CASTLE DATA FILE.112
登城日:2026年3月30日
交通手段:佐土原城から車で約90分
ステータス:続日本100名城・市指定史跡
ジャンル:平山城
遺構:石垣・曲輪
復元建築:北大手門
スタンプ:二ノ丸広場管理事務所前で押印
御城印:内藤記念博物館が休館の為 未購入
圧倒的な迫力を誇る!高さ19mの「千人殺しの石垣」
九州遠征5日目 1城目は宮崎県の延岡城です。
昨晩は延岡城の近くに宿泊したので、朝7時半に登城を開始しました。
延岡城は1603年に高橋元種によって築かれた城。
1603年は関ヶ原から3年後なので、延岡城はゴリゴリの戦国時代の城というよりは、近世城郭になります。
藩主は度々変わりましたが、1747年に内藤氏が藩主になってからは、明治期まで内藤氏が延岡の地を治めました。
延岡駅から10分程度なのでアクセスの良さも魅力です。
ワタクシは今回は車での遠征ですので、無料の城山公園北駐車場に車を停めて登城開始です。

延岡城は三ノ丸、二ノ丸、本丸で主郭部を構成しており、主郭部から離れた独立した場所に西ノ丸を配置。
その周りを武家屋敷が囲んでいました。

北側から見た延岡城。

駐車場の前には北櫓の石垣があります。
自然石と割石を使用した石垣。
舗装して整備された道は、本来は水堀となっており、水堀に突き出すように北櫓は堀に面していました。

北側の登城口。左側の高い山の上には北曲輪があります。

続いて城郭北側より主郭部に入城します。
登城口右側の臨時臨時駐車場あたりには、当時は内堀がありました。

よく見ると石垣が残っています。

一段高い場所に内藤家墓所がありますが、その最下部の土の下にも当時の遺構と思われる石垣が確認できます。

内藤家墓所の門と、北側の入口となる北大手門があります。
北大手門の形式は薬医門で、1993年に復元されました。

北大手門の脇には内藤家墓所の門もあります。

個人的には足元に注目ポイントが!
太めの支柱の足元には、装飾金具で取り付けられています。

そして、柱と控柱の距離がすごく近い!
本来は礎石一つに対して、一つの柱が建てられますが、控柱と主柱が同じ礎石に建てられています。

さらに注目なのは北大手門脇の石垣!
加工された石で積まれた打込接。

隅の算木積み、石垣の高さ、勾配など高い技術力が特徴!

門の右側は二ノ丸の石垣。後ほど、見てまわります。

北大手門の石垣には刻印石が異常なほど多く見られます。
様々な刻印石があるので、見ているだけで楽しいです。

この面だけで400個以上の刻印石が残っています。
まるで、刻印石の博物館です。

1614年から1691年まで延岡城は有馬氏が城主となりますが、入城してすぐに北大手門は改修されたと考えられています。

有馬家は天下普請で徳川大坂城の築城に携わっています。
有馬家の普請丁場周辺の刻印と類似している点から、大坂城築城に携わった石工職人が、延岡城の北大手門の石垣工事を行った可能性があるようです。

延岡城は魅力的な石垣が多く残っていますが、この北大手門付近の石垣が一番 先進的な積み方をしています。
右側の高石垣の上には北曲輪があります。小さな曲輪ですが、この曲輪は実は凄いのです!

北曲輪とは城外から北大手門に向かう登城路に沿うように突き出した曲輪。
今は木が生えているので、景色を見ることができませんが、主郭に攻めてくる敵を迎え打つには絶好の曲輪になっています。
大地が突き出しているので、三方を攻撃することができます。
こんな守備に都合の良い形状は、築城の際に盛り土をして造成されました。

北曲輪から見た北大手門。
小さくて地味な曲輪ですが、北大手門を見下ろす重要な曲輪だったと考えられます。

反対の二ノ丸から見た北大手門。
反対側には先ほどいた北曲輪があります。攻めてくる敵を挟み撃ちです。

北曲輪の入口付近は石垣造りとなっています。
門があったのかなと思い撮影したのですが、絵図には特に何も描かれていなかったので、普通に三ノ丸に続く道となります。

山側にも石垣が残っています。
一見すると分かりづらいのですが、至る所に石垣を確認することができます。

北大手門を抜けると二ノ丸となり、延岡城の最大の見どころ本丸石垣が出現!

本丸北西隅の石垣は千人殺しの石垣と称され、最下部の石を外すと石垣の崩落で千人の敵兵を撃退できると伝わります。

実際に崩落させることができたかは不明ですが、高さ19m、総延長70mの石垣は圧倒的な迫力があり、もしこれが崩れてきたらと想像せずにはいられないほど。
隅石が曲がっているので、より一層崩れたらという想像をしてしまいます。

勾配は緩やかで、下部に連れて水平に近くなり、最下部はほぼ縦に石垣が積まれています。

この石垣の積み方は石垣の名城 熊本城も同じ構造をしており、熊本地震後の調査で下部が土に埋まっており、同じような形状をしていることが判明しています。
隅の最下部は天皇行幸の際にコンクリートで補強されました。

二ノ丸跡は後ほど周り、まずはこの高石垣沿いに本丸へと向かいます。

この階段を上って本丸に向かいます。
左側の高石垣の上が本丸で、右側が二ノ丸になります。
階段の上には門が設置されていました。

振り返ってのショット。
下部はなだらかな勾配ですが、上部は反り返るような垂直の石垣になっています。
階段を上がるとT字になり、右側は二階櫓跡、左側は本丸を守る二階門跡になります。

威圧感のある高石垣を横目に、登城路を180°ターンすると、櫓門形式の城門が行く手を阻みます。

二階門への入口。桜も見ごろを迎えています。

ターンして目の前に二階門の石垣が現れます。

二階門跡。
右側は突き出した本丸、背後は急な崖になっているので逃げ場がありません。
城門の内部は石垣で囲まれた枡形になっていますが、門の前の空間も枡形虎口と同等の防御力を持つ地形を生かした合理的な設計になっているのがポイント!

角度を変えたショット。
朝は人が少ないので写真撮り放題!

上から見た二階門跡。発掘調査で発見された礎石の跡にレプリカの石を配置して、城門の規模を伝えています。

二階門から見た本丸登城路。
石垣が突き出しており、横矢掛かりとなっています。

本丸石垣から見た、本丸登城路と二ノ丸跡。

現在、本丸は広場となっており、中心部には内藤政拳公像があります。
延岡藩最後の藩主で、延岡の近代化を進めた人物。延岡の父と呼ばれています。

本丸から見た北側の景色。
おそらく奥に見える山は行縢山(むかばきやま)。

本丸からさらに一段高い場所には天守台があります。螺旋のように円弧を描いた登城路。

剥き出しになった岩盤。
削り落とした岩盤をそのまま生かして、天守台が築かれているのが分かります。

右手に石垣が現れます。
天守台に向かうための虎口となります。

天守台には現在、城山の鐘が建てられています。
時報の鐘で今でも1日6回 時を知らせています。

肝心な延岡城の天守についてですが、有馬氏時代の絵図には「天主台」と記載があるも、天守閣は描かれていません。
慶長年間の日向国絵図には望楼型の三重天守が描かれていることから、天守の存在は否定ができないものの、発掘調査では存在を決定付ける物は発見されませんでした。

天守台虎口では、石の階段が発見されています。
おそらく遺構保存のために埋め戻されていると思われます。

天守台からの景色。
延岡城の標高は53mで、大瀬川と五ヵ瀬川に挟まれた三角州に造られており、天然の要害で守られています。
朝で霞んでいますが奥には朝日に照らされる海 日向灘が見えます。

天守台から見た延岡市内。
天守台に登ったのは、ちょうど9時頃。
数日前までは雨予報だったので、天気をずっと懸念していましたが清々しい朝を迎えられました。

天守台の周りも螺旋のように円を描いており、天守台の下の東側には帯曲輪が配置されています。
帯曲輪から見た天守台石垣。
天守台は地形を生かしているので、岩盤が剥き出しになっており、地形を切り落として造られています。見上げるほど急な崖になっています。

東側に位置する三階櫓跡。
延岡城の中では最大規模の建築物で、有馬氏時代の改修で1653年から1683年の30年間に存在したと考えられています。

10m×12mで高さは15.6mでした。
1683年に武家屋敷の出火により、残念ながら三階櫓も焼失してしまいました。

三階櫓跡の脇には一段下がった台が設けられています。
木が生えて見えないのですが、この下には三ノ丸の石御門跡があるので、上から攻撃するための設備として設けられたのでしょうか。

三階櫓の石垣。
延岡城は二ノ丸と本丸には石垣が積まれていますが、その他は部分的に石垣が多用されています。

天端石は揃えられ、隅石は北大手門の石垣とは異なる重ね積み。
荒々しい石垣もまた美しい。

三階櫓跡から見た日向灘方面。
延岡城は陸上、川、海の交通を抑えた好立地であることがわかります。

三階櫓跡から見た延岡市内。
黒い立物が延岡市役所で、前面の大通りには延岡城の入口となる櫓門の京口門が建っており、水堀を巡らせて城郭を仕切っていました。

続いて吹上坂を下り、三ノ丸跡に向かいます。

吹上坂では石垣を見ることができます。
コーナー部分は加工された石を、横目地を揃えて積んだ布積み。
正面が三階櫓の櫓台です。

クネクネと連続して折れ曲がる吹上坂。
左側が三階櫓が建てられていた櫓台。この道を通る人たちは三階櫓を見上げながら通過することになります。

吹上坂の下には三ノ丸が配置。

あまり大きな曲輪ではありませんが、城郭東側から攻めてくる敵を迎え打つための曲輪だったように見えます。

三ノ丸に接続された石御門跡。
左側は石垣で右側の山の上には、先ほど見た三階櫓が建っていました。

石御門の特徴としては、よく見ると石垣と岩盤を組み合わせた造りになっている点。

石御門は岩盤を削って造られた切通です。
平時は通用門として使われ、緊急時の脱出通路でもありました。

発掘調査で発見された石御門から三ノ丸に上がる石の階段。

続いて三ノ丸の脇から城郭南側に下り、延岡市役所付近に向かいます。

延岡市役所周辺に来たのは、ここからは三階櫓の石垣を眺めることができるからです。
三階櫓 東側の石垣を見ることができます。

この位置から三階櫓が建っていたことを考えると、天守に相当するシンボル的な存在だったように思えます。
三階櫓の石垣の背後に見える建物が、天守台にある鐘撞堂です。
続いて、内藤記念博物館に向かいます。京口門跡付近から歩いて10分ほど。

小高い山の上に内藤記念博物館はあります。
民家の隙間から見える、山の上に積まれた石垣!

麓にも石垣が積まれています。
内藤記念博物館は月曜日は休館なのは事前に知っていたのですが、あえて来た理由。

延岡城主郭から離れた内藤記念博物館がある場所こそ、延岡城の西ノ丸跡です。
西ノ丸には延岡藩主 内藤家の御殿がありました。

内藤記念博物館の模擬城門。
明治の廃藩置県によって御殿は取り壊されましたが、1892年に内藤家がこの地に邸宅を建て居住しました。
空襲で焼失し、現在は博物館となっています。

周辺は市街地化して一般道や住宅街となっていますが、様々なポジョンから石垣を見ることができます。

内藤記念博物館から見た延岡城。
この距離感で2つの山に城郭が築かれています。
これは他の城では見ることのできない珍しい造りをしています。

二ノ丸跡から見た五ヵ瀬川。
延岡城における防御力の高さの秘訣です。

西ノ丸跡から今度は本城の南側より、再び二ノ丸を目指します。

完全な住宅街の中に出現する二ノ丸石垣!
まさかこんなに場所から立派な石垣が見れるとは!

石垣の積み方は千人殺しの石垣と同じです。
上部は最長に切り立って、下部はゆるい勾配。

真下から見るとこの迫力!

この高石垣の真隣には一般住宅があります。
羨ましい反面、恐ろしいようにも思えます。

住宅があるので当然、石垣の真下は一般道です。

朝早くから一眼レフを持って写真を撮ってる、怪しさしかないワタクシに、優しく住人の方が話をかけてくださり、色々と延岡城について教えてくれました。
この通りだけで、3名の地元の方に話かけて頂き、延岡城ドローンショーの写真なども見せて頂きました。
地元の方がフレンドリーすぎて心が温まります。

地味にこのショットがお気に入り。
よく見ると折れ点で石垣の積み方が異なるのが分かります。
しかも、一枚上の写真と見比べると石垣の角度が異なっているのも分かると思います。
石垣の技術が発展したことで、より急な角度で積むことができるようになりました。
曲輪を拡張したので積み方が異なるのでしょうか。
もしくは修復された可能性もあります。

高石垣沿いに進むと、一番最初に入城した北大手門脇の細路地に戻ることができます。
美しい算木積み。
完全に北大手門脇の石垣と同じで、技術力の高さを感じます。

苔むした石垣と細路地に佇む住宅によって、エモーショナルな一枚が撮れました。

再び北大手門から入城し二ノ丸跡にやってきました。
二ノ丸は延岡城で一番大きな曲輪となっており、昭和26年には児童遊園地が造られ、動物園があったようです。

二ノ丸から見た本丸石垣。

何度見ても本丸の石垣は素晴らしい。
二ノ丸から見ると、本丸石垣と本丸登城路の階段石垣も一緒に見えるのでまた、
違ったテイストの迫力を感じることができます。

執拗に千人殺しの石垣を掲載。
美しい勾配に癒されます。

二ノ丸西側の出隅部。
絵図には何も書いていませんが、櫓台のようにも見えます。

側面からも見てみます。
先ほど下から見た二ノ丸高石垣は、この位置になります。
櫓を建てるには絶好な場所です。

二ノ丸から見た西ノ丸方面。
奥の高い場所に建つ建物が内藤記念博物館で、西ノ丸跡になります。

二の丸の南側の隅には階段があります。

階段の途中に現れる石垣は櫓台石垣です。

草に覆われてしまい、あまり綺麗には見えませんが、この櫓台の上には二階櫓があがっていました。

二階櫓跡に建つ石碑。
この二階櫓が建つ場所は細長く突き出した曲輪になっており、北曲輪と同様に全面を見渡すことができます。

二階櫓跡から見た二ノ丸跡。
本丸とほぼ同じくらいの標高で、本丸とこの二階櫓のあった細長い曲輪に、囲まれるように二ノ丸は位置しています。
内藤記念博物館は休館のため観覧することはできませんでしたが、延岡城の大体を攻めることができました。
延岡市役所の前で写真を撮っていれば、役所の方が挨拶をしてくれたり、地元の方が話かけてくれたり、延岡市の方の温かさを感じる時間でもありました。
そして、天気に恵まれたことが幸いでした。
本来は延岡城の次は佐伯城に行く予定でしたが、午後から雨が降る予定なので、大分県の岡城に移動です。









