延岡城【続日本100名城】

奈良時代・平安時代の延岡は、この地域の豪族である、”土持家”により支配されていましたが、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた1590年(天正18年)秀吉の命を受けた「高橋元種」公が延岡の地に赴任し、延岡城は高橋元種により1603年(慶長8年)完成をしました。

その後、有馬時代が三代70年続き、その後、三浦氏・牧野氏と藩主が変わり、1747年(延亨4年)内藤家9代目が現在の福島県いわき市より延岡へ入封し、第16代政挙公まで延岡藩主を務め、明治維新を迎えるまで内藤家がこの地を治めていました。

延岡城の見どころ

遺構ポイント

延岡城の遺構は、近世城郭の特徴をよく残した石垣が魅力です。特に本丸を囲む高さ19mの石垣は見どころで、自然石を巧みに積み上げた力強い構造が印象的です。
城内には枡形虎口や曲輪配置が確認でき、防御性の高さも実感できます。中でも「千人殺しの石垣」と呼ばれる高石垣は有名です。現在は城山公園として整備され、石垣や堀の一部が往時の姿で残っています。

歴史ポイント

日向国北部を支配した土持親成ら土持氏は、この地に砦や城館を構え勢力を維持したが、やがて伊東義祐や島津義久ら有力大名の侵攻を受け衰退します。
特に島津氏の北上により支配は揺らぎ、最終的には豊臣秀吉の九州平定によって支配体制が一変。その後、近世に入り高橋元種によって現在の延岡城が築かれました。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■続日本100名城スタンプ
・二ノ丸広場管理事務所入口前
※終日押印課可能

御城印販売
・延岡城・内藤記念博物館
 営業時間:9:00~17:00
 定休日:月曜日(祝日の場合は火曜日)

延岡城 周辺天気

別名縣城、亀井城
城郭構造平山城
天守構造なし・御三階櫓(3重3階、1655年築 非現存)
築城主土持氏
築城年慶長8年(1603年)
主な改修者高橋元種・有馬康純
主な城主土持氏、 高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏
廃城年1870年
遺構石垣
指定文化財市指定史跡
再建造物北大手門

写真で見る延岡城

登城レポート

概要

江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城である。築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。縣藩、後の延岡藩の政庁、臼杵郡地域の拠点とされた。もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した。

延岡市松山町にあった中世・戦国期土持氏の拠点城郭松尾城(当時は縣城とも)を延岡城とする記述が見られることがあるが、これは誤りである。

延岡城には、ある石をはずすと一気に全壊し、一度に千人の敵兵を殺すことができるという石垣があり、「千人殺し」と呼ばれている

石垣は高さ約19m、総延長70mで、出角の斜長は約22m
石材には、主に花崗班岩、砂岩、阿蘇溶結凝結岩が使用されており、表面には様々な刻印がついている。

歴史

高橋元種が1601年(慶長6年)に築城を始め、1603年(慶長8年)に落成した。その後、明暦期の有馬氏による改築を経て、明治維新までの江戸期をつうじて、縣藩(三浦明敬支配期以降は延岡藩)の政庁となった。

しかし、高橋元種は1613年に罪人を匿ったとして改易され、その後は有馬氏・三浦氏・牧野氏と続き、内藤氏支配で幕末を迎えた。明暦1年(1655年)の有馬康純修築時に建設された天守代用の三階櫓は、1682年(1683年説もあり)に焼失して以後再建されなかった。

1870年(明治3年旧暦10月)に薬園として活用することを新政府へ出願して聴許され、廃城となった。西ノ丸は内藤氏の私有地となるが、1881年(明治14年)に延岡市へ寄贈され、「内藤記念館」として利用されたが太平洋戦争時の1945年(昭和20年)の空襲によって焼失した。

平成29年、福井県坂井市で木図が見つかり坂井市に寄贈された。

マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR日豊本線「延岡駅」から徒歩20分

■車・バイク
東九州自動車道「延岡IC」から約5〜8分
※北・南駐車場(無料)が145台分あり
 利用時間は朝9時から夜10時まで(北は7時から)

延岡城 周辺スポット

西郷隆盛宿陣跡資料館

延岡は、西南戦争の最後の決戦「和田越の決戦」の地であり、幕末の志士、西郷隆盛ゆかりの地として知られています。
和田越の決戦に敗れた西郷隆盛は、北川町俵野へと逃れ、旧児玉熊四郎邸を本陣として宿陣。西郷らはこの地で最後の軍議を開き、解散布告令を出し薩摩軍を解散しました。現在は、西郷隆盛宿陣跡資料館として整備され、西郷隆盛愛用の遺品やゆかりの品々、戦争資料などが展示されています。

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行縢の滝

雄岳、雌岳からなる勇壮な行藤(むかばき)山の中腹で、一枚岩の絶壁を流れ落ちる落差77mの雄大な滝。別名矢筈(やはず)の滝。、日本の滝100選に選ばれている。
ヤマトタケルノミコトが名付け親といわれている。

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高千穂峡

高さ約80~100mもの断崖が約7kmに渡って続く高千穂峡。その雄大な渓谷美は、阿蘇山の火山活動で噴出した火砕流を五ヶ瀬川が侵食して作られました。まさに自然が生み出した日本を代表する景勝地のひとつです。独特の柱状節理が形作る渓谷のエメラルドグリーンの水面をボートで巡ることができます。

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延岡城 周辺宿泊施設

延岡城 周辺グルメ

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管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
延岡発祥のグルメとして知られるチキン南蛮。タルタルソースをかけた一般的なチキン南蛮と、こだわりの甘酢ダレだけで味わうシンプルなチキン南蛮の2系統があるのが、発祥のまちならではの特徴です。

宮崎県の城を攻める

宮崎県

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飫肥城【日本100名城】: 31.628973, 131.350425
佐土原城【続日本100名城】: 32.047936, 131.425844
都於郡城(とのこおりじょう): 32.061937, 131.371937
八千城: 32.023668, 131.318851
延岡城【続日本100名城】: 32.580713, 131.662766
都城(みやこじょう): 31.716189, 131.050533
高城: 32.167625, 131.474783
高鍋城(たかなべじょう): 32.124069, 131.501913
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飫肥城【日本100名城】
飫肥城【日南市】
戦国時代は伊東氏と島津氏が100年以上 争奪戦の舞台となった城。江戸時代を通じて伊東氏が統治し大手門が復元されている。城下町は小京都と称され今でも美しい景観を見ることができる。



遺構:石垣
復元建築:御殿・櫓門・門・塀
縄張り:群郭式 平山城(市指定史跡)

飫肥城データベース
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佐土原城【続日本100名城】
佐土原城【宮崎市】

島津氏の居城として知られる佐土原城。南九州では例を見ない天守が築かれ、しかも一部の大名にしか許されなかった、金箔瓦を使っていたことが判明。



遺構:土塁

復元建築:二の丸御殿
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都於郡城(とのこおりじょう)
都於郡城【西郡市】

伊東四十八城のひとつで日向国を代表する中世城郭。現在は国指定史跡となり公園として整備。都於郡小学校と大安寺の間にある大安寺池はかつての堀跡である。



遺構:曲輪・空堀・土塁
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八千城
八千城【国富町】

都於郡城主伊東氏一族の伊東祐広が元弘年間に築いた城。取添、三の丸、二の丸・本丸、中の城と曲輪が配置され、空堀で仕切られた縄張りとなっている。

遺構:曲輪・空堀
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延岡城【続日本100名城】
延岡城【延岡市】
宮崎県を代表する近世城郭。二の丸にある高さ22mの高石垣は「千人殺し」と呼ばれ、ひとつの石を外すと石垣全部が崩れて、千人を殺すことができる仕掛けがあったという伝説が残る。



遺構:曲輪・石垣
復元建築:北大手門
縄張り:平山城(市指定史跡)
延岡城データベース
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都城(みやこじょう)
都城【都城市】

伊集院忠棟が島津忠恒に暗殺されたことによって引き起こされた「庄内の乱」の舞台となった城。現在、本丸跡は城山公園として整備。

遺構:櫓台・土塁・腰曲輪・門跡・虎口

移築建築:都城市内 攝護寺に米蔵屋敷門が移築現存

復元建築:模擬大手門
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高城
高城【木城町】

九州最大の合戦「高城川の戦い(耳川の戦い)」では大友宗麟の軍勢の攻撃に耐え、豊臣秀吉の九州征伐の際には1500の兵で羽柴秀長率いる15万の攻撃に耐えた堅城。7重の竪堀も見どころ!

遺構:曲輪・土塁・堀

 
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高鍋城(たかなべじょう)
高鍋城【高鍋町】
江戸時代は高鍋藩の藩庁となった城で、高さ7mの高石垣や堀が今も残る。高鍋藩6代藩主 秋月種美の次男は、米沢藩に入り藩政を支えた名君 上杉鷹山となる。



遺構:石垣・土塁・堀
縄張り:梯郭式 平山城