本佐倉城【続日本100名城】
本佐倉城は下総守護千葉氏が文明年間(1469~1486)に築城し、天正十八年(1590)に豊臣秀吉に滅ぼされるまで関東有数の大名千葉氏の居城でした。
千葉氏は享徳三年(1454)に始まる関東の戦乱によって千葉(現千葉市中央区)の城を捨て、新たな城を印旛沼に面した交通の拠点である「佐倉(現酒々井町本佐倉)」に移しました。
16世紀前半には城下町も整い、本佐倉城は下総の政治・経済・軍事・文化の中心として繁栄します。
天正十八年(1590)年、豊臣秀吉が小田原を攻めると、北条氏の支配下に入っていた千葉氏も共に滅亡、本佐倉城は徳川家康の支配となりました。
現在でも本佐倉城跡は大規模な空堀・土塁・櫓台に守られた郭群などが明瞭に残っており、戦国時代の息吹が感じられます。
Contents
本佐倉城の見どころ

豊臣秀吉による小田原征伐によって北条氏は滅亡。本佐倉城はその後、廃城となる。
廃城になり歴史の表舞台から消えたことで、遺構がそのままの状態で現代に残っています。
まるで遺構のタイムスリップ。特に「東山虎口」「大堀切」とセッテイ山 付近の空堀は大迫力です。

千葉氏は、桓武平氏の流れを汲む平安時代から戦国時代にかけての関東の名族。1126年に千葉常重が亥鼻(現在の千葉市中央区)に拠点を移して発展の基礎を築き、中興の祖・千葉常胤が源頼朝の挙兵に参陣して鎌倉幕府創設に貢献、千葉氏を筆頭御家人として確立させました。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■続日本100名城スタンプ
・京成大佐倉駅(改札外)
・酒々井町中央公民館
・国史跡本佐倉城跡案内
■御城印
・京成佐倉駅前観光案内所
・国史跡本佐倉城跡案内


本佐倉城 周辺の天気
| 別名 | 将門山城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 千葉輔胤 |
| 築城年 | 文明年間か |
| 主な改修者 | 千葉氏、後北条氏 |
| 主な城主 | 千葉氏、小笠原吉次、土井利勝 |
| 廃城年 | 元和元年(1615年) |
| 遺構 | 空堀、土塁、虎口、郭、 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
写真で見る本佐倉城
登城レポート
本佐倉城の歴史
室町時代後期に千葉宗家を倒して家督を奪った馬加氏(まくわりし)は、将軍足利義政の命により千葉実胤と自胤を支援した東常縁に討たれ滅亡した。
また太田道灌も実胤・自胤を支援し江戸城を築城するなどした。
だが、馬加康胤の子(異説あり)・千葉輔胤は、古河公方足利成氏と結んで下総国を平定したことで宗家の地位を確保し、文明年間に従来の亥鼻城よりも内陸のこの地に城を築いて本拠地を移した。
文明11年(1479年)に太田道灌が千葉輔胤を攻めたときに追い詰められた輔胤の籠城先が臼井城であったことから、この時点ではまだ本佐倉城は完成していなかったと推定されている。
『千学集』には文明16年6月3日(1484年6月25日)に千葉孝胤(輔胤の嫡男)が佐倉に城を移したと記され、続いて延徳2年6月8日(1490年6月25日)に佐倉の市立が、同年8月12日(同8月27日)に町立が実施されているため、延徳2年に本佐倉城の本拠地としての整備が本格化したと考えられている。
その後、9代にわたって戦国大名千葉氏宗家の本拠地となったが、天正18年(1590年)、千葉氏が小田原征伐後に改易されると、徳川氏に接収されて一旦は破却され、代わりに城下に陣屋が設置された。
慶長7年(1602年)12月に5万石で松平忠輝が封じられるが、ひと月余後の慶長8年(1603年)2月、信濃国川中島に移封された。
慶長15年(1610年)、軍事上の必要から同地に封じられた小笠原吉次、土井利勝が再び本佐倉城に入って佐倉藩の藩庁が置かれた。
元和元年(1615年)、藩庁の佐倉城への移転と一国一城制により廃城となった。なお、本佐倉の城下町は酒々井宿に移設されて成田街道の宿場町になったと考えられている。
城の構造
城域は内郭と外郭に分かれており、内郭は南方に谷が刻まれた半島状の丘陵上に占地し、往時は三方を湿地帯で囲まれた要害であった。
一方の外郭は内郭から繋がる丘陵上を自然地形と空堀で分断した広大な地積を持ち、千葉氏の勢力が伸張したのち、家臣団の屋敷地として整備されたと考えられる。
縄張り

MEMO
現在でも城の土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な姿で遺存しており、1998年に「本佐倉城跡」の名称で、千葉県内の城郭としては初めて国の史跡に指定されました。
その他で千葉県内で指定されているのは、館山市の稲村城と南房総市の岡本城があります。
動画で見る本佐倉城
■東山虎口
■大堀切
交通アクセス
アクセス
■公共交通機関
・京成電鉄・大佐倉駅から徒歩15分
・京成電鉄・酒々井駅から徒歩20分
・JR成田線・酒々井駅から徒歩25分
■車
・東関東自動車道・佐倉ICから10分
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