久留里城

戦国時代から里見氏によって再構築され、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担ったとされています。
また、江戸時代には徳川の配下の武将たちが久留里藩の藩庁として再整備され、近世城郭として維持されました。

久留里城は明治5年に廃城となり城の建物は解体されましたが、昭和53年に天守閣が再建され、昭和54年には、二の丸跡地に博物館も完成しました。

久留里城の見どころ

歴史ポイント

1560年 北条氏康が里見義堯の拠点である久留里城を攻撃し、小櫃川を挟んで対陣する陣城を築いて圧迫しました。
国府台合戦で里見氏に勝利した北条氏が上総へ侵攻。この時、久留里城は北条氏に攻略され、一時的に北条方の手に落ちました。

北条氏に奪われた久留里城ですが、里見氏は約2年後に城を奪還することに成功。その後も里見氏と北条氏は上総地方の覇権を争い続け、1569年の「三船山の戦い」など、久留里城周辺や君津市域で大規模な衝突へと発展していきました。

遺構ポイント

久留里城には戦国時代における中世城郭としての顔と、江戸時代の近世城郭の顔を併せ持った城でした。
山城には本丸と二の丸を中心とした連郭式の山城が広がり、本丸周辺には幾つもの堀切などが残ります。本丸には天守台が残っており二層の天守が建っていたと考えられています。
山麓には江戸時代に築かれた三の丸があり、近世的な政庁が置かれました。
現在は堀跡が残っています。

天守台

薬師曲輪跡

鶴の曲輪跡

お玉が池

堀切

天守

登城レポート

ポイント

  • 二の丸跡には城址資料館もあり、山麓にはトイレなど整備が行き届いている
  • 天守は模擬ですが、山城には幾つもの堀切など、戦国時代の遺構が残っています。

平均:2.83
合計:17.0

  • 遺構:遺構の多さ、貴重度
  • アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
  • 満足度→攻城のトータル総評
  • 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
  • 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
  • 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結

※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。

久留里城の御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・森林体験交流センター
 営業時間:9:00〜17:00(駐車場は16:30まで)
 休館日:月曜日

・久留里観光交流センター
 開館時間: 9:00〜17:00
 休館日:月曜日

久留里城 周辺の天気

別名雨城、霧降城、浦田城
城郭構造連郭式山城
天守構造2重(1724年築)(非現存)
独立式望楼型2重3階
(1979年 RC造模擬)
築城主武田信長
築城年康正2年(1456年)
主な改修者里見義堯、黒田直純
主な城主上総武田氏、里見氏、後北条氏、
大須賀忠政、土屋忠直、黒田氏
廃城年明治5年(1872年)
遺構土塁、堀切、郭、土橋、井戸
指定文化財未指定
再建造物模擬天守

写真で見る久留里城

二の丸下 堀切
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二の丸下 堀切
薬師曲輪
薬師曲輪から見た三の丸方面
三の丸から見た天守
三の丸から見た本丸と二の丸
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マップ

アクセス

公共交通機関で久留里城に行く
・JR久留里線「久留里駅」徒歩35分
・バスターミナル東京八重洲より高速バス「アクシー号」で「久留里城三の丸跡」バス停下車

車・バイクで久留里城に行く
・館山自動車道「木更津東IC」より15~20分程度

駐車場
・無料駐車場130台あり

久留里城の構造

久留里城は現在本丸のある近世城郭部に加え、安住原地区、怒田遺跡および山麓小櫃川河畔の近世居館部の4つの郭群からなる。この内、江戸時代には近世城郭部と近世居館部のみが城域として維持されたが、安住原地区については真里谷氏時代の遺構であり、里見氏時代には既に放棄されていたと考えられている。ただし、安住原地区は里見氏時代も引き続き使用されたと考える向きも多い。

久留里城の遺構

山麓の近世居館部は一部の土塁を除き開発により消滅したが、車道で一部が削られたものの山上の遺構は比較的よく残り、天守台等の近世遺構に加え、堀切や削り残し土塁等の中世里見氏時代の遺構も見られる。また、山上は湧水が豊富で、男井戸・女井戸、お玉が池を始めとする、複数の水源が現在でも水を湛えている。

久留里城の歴史

古久留里城

平将門の三男頼胤が築城したという伝説もあるが定かではない。

上総武田氏の祖となった武田信長が康正元年(1455年)に上総国守護代に任ぜられ、翌康正2年(1456年)に築城したといわれるのが史実に基づく最初の築城である。 戦国時代には、武田氏が戦乱や内紛により弱体化した機に乗じて里見氏がこれを抑えた(里見成義がここを開城させたとも、里見義堯が武田一族であった前城主武田真勝に城を譲らせたともいう)。

久留里城

天文4年(1535年)里見義堯はこの地を本拠とし、改めて古久留里城(上の城)の下に新たに現在の城地に久留里城を築いた(ただし、年代に異説あり)。永禄7年(1564年)、北条軍の上総侵攻により城は一時陥落した。その後、再び里見氏が奪還した。

天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に、里見義康は私戦を禁じた惣無事令違反により、秀吉の不興を買い安房一国の領有はゆるされたが、上総の所領を没収された。この年に徳川家康が関東に入封し久留里城には松平(大須賀)忠政が3万石を与えられ入城した。忠政は城下町整備に尽力し後の基盤が出来上がった。

その後、江戸時代には久留里藩の藩庁となった。慶長6年(1601年)松平(大須賀)忠政が関ヶ原の戦いの功により3万石加増の上、遠江国横須賀城に転封となった。代わって土屋忠直が2万石で入城した。土屋氏は延宝7年(1679年)改易となり廃藩、一時廃城となった。寛保2年(1742年)上野国沼田城より譜代大名の黒田直純が3万石で入城し再び立藩した。黒田氏は明治維新まで居城し、明治5年(1872年)廃城令により久留里城の歴史は終わった。

昭和30年(1955年)に城郭跡地の国有地を借り受けて城山公園に整備を行った。昭和54年(1979年)には模擬天守が土壇の天守台脇にRC構造にて建造された。
江戸末期に実際に建っていたものは、現存する当時の文献や、礎石の配列状況からして2層2階であったと推定されているが、再建された天守は浜松城模擬天守をモデルとした2層3階であり、実際に建っていたものとは大幅に異なる。模擬天守内は展示物は全国に現存する天守閣のパネル展示くらいで、展望台として利用されている。

久留里城 周辺スポット

鹿野山九十九谷展望公園

近代日本の随筆家、大町桂月が「鹿野山(かのうざん)の九十九谷の眺めは天下の奇観なり」と絶賛したという景観は、高宕山(たかごやま)をはじめとする上総(かずさ)丘陵が幾重にも連なる山並みの風景。これら山谷の織り成す景観を総称して九十九谷と呼びます。

九十九谷展望公園から望む風光明媚な景観は、「房総の魅力500選」、「ちば眺望100景」、君津市の「20世紀遺産」に選定されています。

八重原

八重原歴史遺産を巡る遊歩道は南子安金井崎遺跡(八重原公民館)から三直の車地蔵(日輪寺)までの14ヵ所を巡る片道約4kmの歴史の道です。

九十九坊廃寺阯は、7世紀末の白鳳時代に建立された寺院といわれ、当時は周辺にも多くの建物があったと考えられています。そして九十九坊廃寺にあった鐘が戦国時代の里見・北条の戦いで兵火にかかり、池に沈んだという伝説の「鐘ケ淵」など魅力がたくさんです。

清水渓流広場

清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟)は、房総半島内陸部の笹川(小櫃川水系)上流に位置する自然公園です。
川廻しの洞窟から差し込む光が水面に反射し、ハート形を描き出す写真がSNSを中心に話題になったことから、千葉県を代表する観光スポットの1つになっています。

ハート形に見えるのは、3月9月のお彼岸の時期、早朝が良いとされています。

鋸山 日本寺

鋭い岩肌が連なる標高329mの鋸山は、その名の通り稜線がノコギリの歯のような形をしています。県指定の名勝として知られている鋸山の南斜面に日本寺はあります。
約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けた行基菩薩によって、725年に開山された関東最古の勅願所です。日本最大の磨崖仏など、数多くの見どころが点在。なかでもスリル満点な山頂エリアの「地獄のぞき」は、房総半島や遠く富士山や三浦半島までの絶景が望めます。

久留里城 周辺宿泊施設

久留里城 周辺グルメ

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千葉県の城を攻める

千葉県

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佐倉城【日本100名城】: 35.723376, 140.218163
大多喜城【続日本100名城】: 35.286025, 140.239170
本佐倉城【続日本100名城】: 35.728279, 140.260413
館山城(たてやまじょう): 34.981546, 139.855730
稲村城(いなむらじょう): 34.997732, 139.903550
久留里城(くるりじょう): 35.287702, 140.089964
関宿城: 36.096511, 139.779997
根小屋城: 35.065680, 140.061307
臼井城(うすいじょう): 35.738453, 140.179024
増尾城: 35.841751, 139.984660
国府台城: 35.747088, 139.899763
米本城: 35.745860, 140.114973
造海城: 35.205444, 139.840937
師田城(もろとじょう): 35.752951, 140.183423
白浜城(しらはまじょう): 34.912893, 139.890673
秋元城: 35.253821, 139.990721
万喜城(まんぎじょう): 35.297610, 140.325515
小金城(こがねじょう): 35.836028, 139.922760
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佐倉城【日本100名城】
佐倉城【佐倉市】
江戸幕府の老中・土井利勝の居城として知られている佐倉城。江戸を守る要衝の地として代々譜代大名が封ぜられている。佐倉城は石垣を使用しない土造りの城で、印旛沼を外堀の一部にした近世城郭だった。



遺構:堀、土塁
縄張り:連格式平山城(市指定史跡)
佐倉城データベース
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大多喜城【続日本100名城】
大多喜城【大多喜町】
徳川四天王 本田忠勝が居城とした城で本丸跡には模擬天守が建てられている。遺構としては大多喜高校に二の丸御殿薬医門が移築されており、さらに二の丸には周囲10m、深さ20m 日本一の大井戸が現存している。



遺構:土塁・横堀・堀切・曲輪・井戸
移築建築:薬医門
復元建築:天守
縄張り:連郭式 平山城(県指定史跡)
大多喜城データベース
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本佐倉城【続日本100名城】
本佐倉城【酒々井町】
千葉氏後期の本拠地となった城。半島状の丘陵地に建ち、残る三方が湿地帯に囲まれた天然の要害。土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な状態で残っている。駅から近くアクセスが良いのもポイント。



遺構:空堀・土塁・虎口・郭
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)
本佐倉城データベース
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館山城(たてやまじょう)
館山城【館山市】
里見氏が築城した城で、里見八犬伝のモデルとなった城でもある。模擬天守の内部には里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』に関する読本、絵草子、錦絵などが展示されている。館山湾を一望できる絶景も魅力的。



遺構:曲輪・堀切・空堀・水堀
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城(市指定史跡)
館山城データベース
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稲村城(いなむらじょう)
稲村城【館山市】
前期里見氏の居城で、里見義豊が義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城。里見氏の嫡流は途絶えることとなり、里見義堯を祖とする後期里見氏が始まり、稲村城は廃城となった。土塁や堀切、切通しなどの遺構を確認することができる。



遺構:土塁・堀切・切通し・曲輪
縄張り:平山城(国指定史跡)
稲村城データベース
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久留里城(くるりじょう)
久留里城【君津市】
室町時代には真里谷氏の居城として、戦国時代には里見氏の居城として知られている。房総半島の代表的な城郭で、現在は城山公園として整備されており、展望台として模擬天守が建てられている。



遺構:土塁・堀切・郭・土橋・井戸
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城
久留里城データベース
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関宿城
関宿城【野田市】
徳川家康の異父弟 松平康元を藩祖とする関宿藩の藩庁が置かれ譜代大名が城主を務めた。戦国時代には北条氏と上杉氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられたことで有名な城。



遺構:移築城門(埋門)・御殿(実相寺)
復元建築:天守(模擬)
縄張り:平城
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根小屋城
根小屋城【鴨川市】
何時・誰が・何の目的で築城されたのか謎多き城。しかし、堀切など城郭の遺構が確かに残っている。



遺構:曲輪・堀切・竪堀・切岸・石積み等
縄張り:ー
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臼井城(うすいじょう)
臼井城【佐倉市】
太田道灌や上杉謙信など何度も合戦の舞台となっている城。1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられる。以後、廃城となる。



遺構:土塁・空堀・土橋・郭
縄張り:平山城(市指定史跡)
臼井城データベース
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増尾城
増尾城【柏市】
高城氏の家臣 平川若狭守の居城。高城氏は北条氏に属していた為、1590年の「小田原攻め」の際に廃城となったと考えられている。土塁や空堀、虎口などの遺構も良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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国府台城
国府台城【市川市】
太田道灌の弟、太田資忠によって築かれた城。江戸川と坂川の合流地点という要所であったため、北条氏と里見氏を中心とした房総諸将らによって行われた国府台合戦など、争奪戦が繰り返された。



遺構:堀・土塁・井戸
縄張り:連郭式 平山城
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米本城
米本城【八千代市】
村上氏の居城で文明年間には大田道灌に攻められ落城したと伝わる。本丸や二の丸など中枢部分が破壊されているが、腰曲輪などは確認できる。城址の北側には村上氏の菩提寺である長福寺がある。



遺構:空堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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造海城
造海城【富津市】
房総半島を支配した里見氏の家臣、正木氏の拠点。東京湾を挟んで対峙する北条水軍に備えた城郭。岩盤を切り込んだ堀切を各所で見ることができる。



遺構:空堀・石垣・土塁・井戸
縄張り:連郭式 山城
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師田城(もろとじょう)
師田城(もろとじょう)【印西市】
臼井氏の居城である臼井城の支城として、師戸氏によって築かれた城。印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たした。小田原征伐で落城。現在も大規模な遺構を見ることができる。



遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城(沼城)
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白浜城(しらはまじょう)
白浜城【南房総市】
白浜城は安房里見氏発祥の地とされる城で「結城合戦」に敗れた里見義実がこの城を拠点に安房平定に乗り出したと伝わる。堀切や土塁のない初期の山城構造で、切岸や岩盤を削ったダイナミックな切通を見ることができる。



遺構:切岸・切通
縄張り:山城(南房総市指定史跡)
白浜城データベース
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秋元城
秋元城【君津市】
第2次国府台合戦により北条軍に攻められ落城。その後は北条氏の城として機能していたが、1590年の小田原征伐で浅野長政が率いる房総別働隊によって攻められ廃城。現在も土塁や堀切などの遺構が良好な状態で、戦国時代の山城の姿をとどめている。



遺構:土塁・堀切・堀・土橋・切岸
縄張り:山城
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万喜城(まんぎじょう)
万喜城【いすみ市】
戦国時代に美濃国からきた土岐氏によって築かれ、房総でも代表的な山城である。北条氏に臣従した土岐氏は1590年の小田原合戦で本多忠勝が率いる徳川軍に攻め落とされ滅亡。徳川家康の関東入封後に忠勝が大多喜城に入る前に一時的に万喜城を居城とした可能性があるとされている。



遺構:曲輪・堀切・切岸・土塁・井戸
縄張り:山城
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小金城(こがねじょう)
小金城【松戸市】
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城するまで、高城氏3代の居城として栄えた城。その後、徳川家康の五男・信吉の居城となるが、信吉が本佐倉城に移ると廃城となる。発掘調査で検出された障子堀や畝堀など北条系の城郭特有の遺構が残る。



遺構:曲輪・土塁・障子堀・畝堀
縄張り:平山城(市指定史跡)