稲村城

里見氏は戦国時代から江戸時代まで10代、約170年間にわたり、房総半島南部を拠点とした一族です。房総里見氏は、初代里見義実が白浜城(南房総市)に本拠地を構えて以降、その時々の状況に応じて、拠点とする城を変えています。

稲村城は、16世紀前半、3代義通が居城とした城で、4代義豊が5代義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城です。館山平野中央部南辺の丘陵端にあります。丘陵先端部にある主郭は、東と南の二辺に高さ約3mの土塁を持ち、北と西の斜面は、丘陵の側面をかき落とし障壁とする切岸手法を駆使し防御としています。

稲村城の見どころ

遺構ポイント

里見氏の内乱以降 廃城となり、遺構がほぼ当時のまま残されています。城郭入口の水往来は岩盤を削った切通になっており、来たものを圧倒します。
堀切、土塁など良好な遺構を見ることができます。整備が行き届いているのもポイント。
標高64mほどで攻めやすいので、中世城郭を楽しみたいビギナーさんにもオススメです。

歴史ポイント

「稲村の変」の舞台となった城。
主に1533年に里見実尭と正木通綱が里見義豊によって暗殺された事件に端を発する、里見氏の内部抗争(天文の内乱)を指します。この混乱により、義豊は最終的に実尭の遺児・義弘と対立し敗北、里見氏の当主が交代する大きな政権交替が起きました。

御城印

◾️御城印販売
・館山市立博物館本館(館山城天守)
 時間:9時~16時45分 ※月曜休館

稲村城 周辺の天気

城郭構造山城
天守構造なし
築城主里見義実
築城年文明18年(1486年)
主な城主里見義豊
廃城年天文3年(1534年)
遺構曲輪・堀切・土塁・切通
指定文化財国の史跡(「里見氏城跡」として)

写真で見る稲村城

登城口 水往来
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登城口 水往来
登城路 水往来
切通
切通
腰曲輪
登城路
本郭堀切
本郭堀切
本郭から見た景色
本郭 土塁
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登城レポート

稲村城について

館山平野・鏡ヶ浦を見下ろせる標高64メートルの丘陵上に築かれ、東西・南北ともに500メートル規模を持つと推定される。また、主郭部分の東側を削り、西側の尾根を盛土した痕跡がうかがえる。

伝承では文明18年(1486年)に里見義実が築城し、延徳3年(1491年)に完成したとされるが、確証はない。ただ、築城が15世紀後半と推定されること、里見氏最初の本拠地とされる白浜城との間で道が整備されていたことが知られていることから、一次史料からは確認されないものの、稲村城が里見氏当主の居城であったこと、また同時代の人々にそう認識されていたことは間違いない事実と認定できる。

稲村城に本拠を構えることで里見氏のその後の飛躍を決定づけた。稲村城の立地は国府一帯を一望できる絶好の構えであった。このことから稲村への進出は、まさに守護の掌握する国衙領=守護領及び国衙機構への守護支配体制を継承する意味を持つといえる。
しかし、戦国時代には国衙機能が喪失されていることから、里見氏の稲村城進出が国府を意識したものだと捉えるのは不適切とする反論もある。また稲村城は、古代以来安房国内で最も生産性の高い地域、およびその水系を管理・掌握する位置にあったと推測され、館山平野の農業生産構造における稲村城の位置を重要視するべきとする指摘もある。

天文2年(1533年)から翌年にかけて発生した天文の内訌が「稲村の変」と呼ばれているように、同城が舞台となっていた(ただし、伝承として伝えられている内訌の経緯と現存の文献などから推定される内訌の経緯は大きく異なっている)。この内訌で稲村城主であった4代当主里見義豊は、従兄弟である義堯に滅ぼされて家督を奪われて稲村城もそのまま廃城となった。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
館山城も車で15分〜20分の範囲にあるので、併せて攻城するのをオススメします。御城印も館山城の天守で販売しています。

マップ

アクセス

◾️公共交通機関
・JR内房線「九重駅」徒歩10分

◾️車・バイク
・館山自動車道「木更津南IC」から90分

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
車で訪城する方は駐車場が離れているので注意です。城郭の近くには車をとめる場所がありません。館山市のHPで「道の駅 グリーンファーム館山」に駐車するようアナウンスされています。

稲村城 周辺スポット

普門院 船形山 大福寺

境内の船形山中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂がシンボル。地元の人からは「崖の観音」として広く親しまれています。高台に建つ観音堂は、眼下に広がる館山湾や遠くに伊豆大島を望む絶景も大きな魅力です。

安房神社

地元では「大神宮」と呼ばれ、古くから篤い信仰を集めてきた安房神社。2670年以上の歴史を持ち、天富命(あめのとみのみこと)が阿波から開拓に訪れた際、自分の祖先である天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀るために建てたと伝わります。

稲村城 周辺宿泊施設

稲村城 周辺グルメ

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千葉県の城を攻める

千葉県

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佐倉城【日本100名城】: 35.723376, 140.218163
大多喜城【続日本100名城】: 35.286025, 140.239170
本佐倉城【続日本100名城】: 35.728279, 140.260413
館山城(たてやまじょう): 34.981546, 139.855730
稲村城(いなむらじょう): 34.997732, 139.903550
久留里城(くるりじょう): 35.287702, 140.089964
関宿城: 36.096511, 139.779997
根小屋城: 35.065680, 140.061307
臼井城(うすいじょう): 35.738453, 140.179024
増尾城: 35.841751, 139.984660
国府台城: 35.747088, 139.899763
米本城: 35.745860, 140.114973
造海城: 35.205444, 139.840937
師田城(もろとじょう): 35.752951, 140.183423
白浜城(しらはまじょう): 34.912893, 139.890673
秋元城: 35.253821, 139.990721
万喜城(まんぎじょう): 35.297610, 140.325515
小金城(こがねじょう): 35.836028, 139.922760
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佐倉城【日本100名城】
佐倉城【佐倉市】
江戸幕府の老中・土井利勝の居城として知られている佐倉城。江戸を守る要衝の地として代々譜代大名が封ぜられている。佐倉城は石垣を使用しない土造りの城で、印旛沼を外堀の一部にした近世城郭だった。



遺構:堀、土塁
縄張り:連格式平山城(市指定史跡)
佐倉城データベース
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大多喜城【続日本100名城】
大多喜城【大多喜町】
徳川四天王 本田忠勝が居城とした城で本丸跡には模擬天守が建てられている。遺構としては大多喜高校に二の丸御殿薬医門が移築されており、さらに二の丸には周囲10m、深さ20m 日本一の大井戸が現存している。



遺構:土塁・横堀・堀切・曲輪・井戸
移築建築:薬医門
復元建築:天守
縄張り:連郭式 平山城(県指定史跡)
大多喜城データベース
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本佐倉城【続日本100名城】
本佐倉城【酒々井町】
千葉氏後期の本拠地となった城。半島状の丘陵地に建ち、残る三方が湿地帯に囲まれた天然の要害。土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な状態で残っている。駅から近くアクセスが良いのもポイント。



遺構:空堀・土塁・虎口・郭
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)
本佐倉城データベース
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館山城(たてやまじょう)
館山城【館山市】
里見氏が築城した城で、里見八犬伝のモデルとなった城でもある。模擬天守の内部には里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』に関する読本、絵草子、錦絵などが展示されている。館山湾を一望できる絶景も魅力的。



遺構:曲輪・堀切・空堀・水堀
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城
【館山城データベース】
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稲村城(いなむらじょう)
稲村城【館山市】
前期里見氏の居城で、里見義豊が義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城。里見氏の嫡流は途絶えることとなり、里見義堯を祖とする後期里見氏が始まり、稲村城は廃城となった。土塁や堀切、切通しなどの遺構を確認することができる。



遺構:土塁・堀切・切通し・曲輪
縄張り:平山城(国指定史跡)
稲村城データベース
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久留里城(くるりじょう)
久留里城【君津市】
室町時代には真里谷氏の居城として、戦国時代には里見氏の居城として知られている。房総半島の代表的な城郭で、現在は城山公園として整備されており、展望台として模擬天守が建てられている。



遺構:土塁・堀切・郭・土橋・井戸
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城
久留里城データベース
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関宿城
関宿城【野田市】
徳川家康の異父弟 松平康元を藩祖とする関宿藩の藩庁が置かれ譜代大名が城主を務めた。戦国時代には北条氏と上杉氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられたことで有名な城。



遺構:移築城門(埋門)・御殿(実相寺)
復元建築:天守(模擬)
縄張り:平城
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根小屋城
根小屋城【鴨川市】
何時・誰が・何の目的で築城されたのか謎多き城。しかし、堀切など城郭の遺構が確かに残っている。



遺構:曲輪・堀切・竪堀・切岸・石積み等
縄張り:ー
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臼井城(うすいじょう)
臼井城【佐倉市】
太田道灌や上杉謙信など何度も合戦の舞台となっている城。1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられる。以後、廃城となる。



遺構:土塁・空堀・土橋・郭
縄張り:平山城(市指定史跡)
臼井城データベース
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増尾城
増尾城【柏市】
高城氏の家臣 平川若狭守の居城。高城氏は北条氏に属していた為、1590年の「小田原攻め」の際に廃城となったと考えられている。土塁や空堀、虎口などの遺構も良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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国府台城
国府台城【市川市】
太田道灌の弟、太田資忠によって築かれた城。江戸川と坂川の合流地点という要所であったため、北条氏と里見氏を中心とした房総諸将らによって行われた国府台合戦など、争奪戦が繰り返された。



遺構:堀・土塁・井戸
縄張り:連郭式 平山城
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米本城
米本城【八千代市】
村上氏の居城で文明年間には大田道灌に攻められ落城したと伝わる。本丸や二の丸など中枢部分が破壊されているが、腰曲輪などは確認できる。城址の北側には村上氏の菩提寺である長福寺がある。



遺構:空堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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造海城
造海城【富津市】
房総半島を支配した里見氏の家臣、正木氏の拠点。東京湾を挟んで対峙する北条水軍に備えた城郭。岩盤を切り込んだ堀切を各所で見ることができる。



遺構:空堀・石垣・土塁・井戸
縄張り:連郭式 山城
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師田城(もろとじょう)
師田城(もろとじょう)【印西市】
臼井氏の居城である臼井城の支城として、師戸氏によって築かれた城。印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たした。小田原征伐で落城。現在も大規模な遺構を見ることができる。



遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城(沼城)
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白浜城(しらはまじょう)
白浜城【南房総市】
白浜城は安房里見氏発祥の地とされる城で「結城合戦」に敗れた里見義実がこの城を拠点に安房平定に乗り出したと伝わる。堀切や土塁のない初期の山城構造で、切岸や岩盤を削ったダイナミックな切通を見ることができる。



遺構:切岸・切通
縄張り:山城(南房総市指定史跡)
白浜城データベース
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秋元城
秋元城【君津市】
第2次国府台合戦により北条軍に攻められ落城。その後は北条氏の城として機能していたが、1590年の小田原征伐で浅野長政が率いる房総別働隊によって攻められ廃城。現在も土塁や堀切などの遺構が良好な状態で、戦国時代の山城の姿をとどめている。



遺構:土塁・堀切・堀・土橋・切岸
縄張り:山城
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万喜城(まんぎじょう)
万喜城【いすみ市】
戦国時代に美濃国からきた土岐氏によって築かれ、房総でも代表的な山城である。北条氏に臣従した土岐氏は1590年の小田原合戦で本多忠勝が率いる徳川軍に攻め落とされ滅亡。徳川家康の関東入封後に忠勝が大多喜城に入る前に一時的に万喜城を居城とした可能性があるとされている。



遺構:曲輪・堀切・切岸・土塁・井戸
縄張り:山城
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小金城(こがねじょう)
小金城【松戸市】
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城するまで、高城氏3代の居城として栄えた城。その後、徳川家康の五男・信吉の居城となるが、信吉が本佐倉城に移ると廃城となる。発掘調査で検出された障子堀や畝堀など北条系の城郭特有の遺構が残る。



遺構:曲輪・土塁・障子堀・畝堀
縄張り:平山城(市指定史跡)