【神奈川県】河村城

CASTLE DATA FILE.101
登城日:2026年3月18日
交通手段:JR御殿場線「山北駅」徒歩15分
ステータス:県指定史跡
ジャンル:山城
遺構:曲輪・堀切・畝堀・土塁
復元建築:木橋
スタンプ:ー
御城印:JR山北駅前「観光案内所」で購入
小田原北条氏の城郭の中で、最高クラスの堀切が残る!
神奈川県山北町にある河村城に初訪城。
ずっと行きたいと思っていた城だったので、熊の心配が増える前に、このタイミングで決行。
河村城の始まりは、山北町周辺を支配していた河村氏が砦のような小規模の城を築いたのが始まりとされています。
南北朝時代の資料には河村城の名前が出ています。
1352年に南朝方の新田義興らが河村城に籠城し、北朝方の足利尊氏軍と交戦。
翌1653年に新田軍は河村城から退却しています。
その後、関東管領上杉氏、大森氏の持城となった後に、小田原北条氏が武田氏に備えて出城として改修しました。
度々城主が変わりましたが、現在の城跡は北条氏時代のもで、大規模な遺構が残ります。
東京からは小田急線で新松田で1回乗り換えて、御殿場線「山北駅」で下車することをオススメします。
曇り予報でしたが、少し青空見えるベストコンディションでした。

単線のローカル線。電車本数に限りがあるので注意が必要です。

駅前にはレトロな商店街が広がります。

駅から見た河村城がある城山。
河村城はゴリゴリの山城ですが、駅から歩いて行けるアクセスの良さがポイント!

道中には看板もあるので迷うことなく、スムーズに登城口まで進むことができます。

トンネルを抜けて、さらに進みます。

河村城ある山の麓には盛翁寺があり、道路には石塔が並んでいます。

河村城には登城ルートが3つあります。
今回ワタクシがセレクトしたのは、山北駅から最も近いルート。
こちらにも無料駐車場があるので、安心して登城できるルートです。

桜が既に咲いていました。
来週にはソメイヨシノも満開になりそうです。

いよいよ急な坂となり、登城開始です!

登城路は崩落と土砂崩れのように地表が削れていたので、拡大しないか今後が心配。

登城路の脇は深めの谷となっており、天然の堀となっています。

所々にある熊出没注意の看板。
ワタクシも鈴を付けて、一応最低限の装備で登りました。

この道は後世に造られた道なのでしょうか。直線的な急な坂が多いので、もしかしたら当時は無かった道の可能性があります。

登城路を振り返っての1枚。急な斜面に階段が造られています。

突如現れるのが超巨大な堀切!
整備されて木が生えていないので、大迫力の堀切を目の前で見ることができます。

左側が小郭、右側が茶臼郭。しかも、北条氏城郭の特徴でもある障子堀(畝堀)となっています。

さらに衝撃なのが、小郭と本郭も同じように堀切で尾根を遮断しています。
同じくらいの巨大な堀切が2連続になっているので、凄まじさに圧倒されます。

やはりこちらも堀切の下部は障子堀となっています。

未だかつてないほど最高クラスの堀切を、スタートから見てしまいました。

茶臼郭→堀切→小郭→堀切→本郭という並びになります。

気を取り直して、急な階段を登って茶臼郭から堀切を見てみます。

茶臼郭は小さな出郭のような見通しの良い独立した郭となっています。

下には障子堀を確認することができます。
これぞ、後北条氏の城!弱点とも言える堀底の往来を遮断する役割があります。

茶臼郭から見た小郭。
そして、郭を分断する堀切!さらに奥に見えるのが本郭。本郭と小郭も堀切で分断されています。
これだけでも十分来た価値があります。

この堀切の脇を抜ければ本郭に向かうことができます。
障子堀の最下段には水が溜まっている場所はお姫井戸。発掘調査では井戸跡の確認はできていないようですが、落城の際に姫が身を投じた井戸という伝承が残っています。

茶臼郭から反対側に階段で下りることができ、堀切の反対側からも写真を撮ります。

下から見た本郭。
本郭の手すりの高さを見れば、郭の大きさが分かります。

本郭の斜面に沿って進みます。

振り返っての一枚。小郭と堀切、そして登城路。
手すり側は急な崖になっています。

簡易の門を抜けると、いよいよ本郭です。

本郭には神社のような建物と石碑があります。

建物の裏側から堀切が見れるので、ここも忘れずに確認!

10m以上も削り落とした堀切。
中間には小郭。奥に見える柵は茶臼郭。

本郭は細長い郭となっており、そこまで大きな郭ではありませんが、3面が削ぎ落とされた急斜面になっており、防御性の高さが際立っています。
本郭から蔵郭方面と西郭方面に抜ける道があります。まずは、西郭方面に向かいます。

本郭と接続している馬出郭。

馬出郭の周りは切岸のように切り立った斜面になっており、本郭を守備するための郭と考えられます。

馬出郭付近から見た西郭方面の登城路。
ここから西郭→北郭→北郭張出と続きます。

まずは西郭へと向かいます。

右側は杉林になっていますが、奥にうっすら見える平地が本郭となり、間は谷のようになっています。

西郭を分断する堀切。
少し草で覆われていますが、当時の遺構がそのまま残っています。

西郭の西側には土塁のような盛り上がりを確認できます。

西郭と北郭を分断する堀切。
特に説明の看板などはありませんが、明らかに人工的に尾根を削られ、V字になっています。

スタートの茶臼郭の巨大な堀切を見たことで感覚が少々バグっていますが、この堀切も十分 良質な遺構です。

本郭と西ー北郭の間を仕切る谷底には水郭と馬洗場いう郭が置かれていますが、杉の木が多く斜面も急で道が分からないため、上から見下ろすだけにしました。

北郭は細長い郭となります。

北郭と北郭張出を分断する堀切。
堀底が極度に絞り込まれているように感じます。

反対側からも撮影。
右側は草木で生い茂って写真では見えないのですが、両側が急斜面になっています。

西郭、北郭は突き出したような山の尾根筋に展開された郭となります。

北郭張出。こちらが山の先端になります。

富士山が見えるスポットらしいのですが、草木も多く天気も曇りな為、富士山は見えませんでした。

駅がある山北町内を一望できます。
甲斐へ繋がる篭坂峠の道を抑えるために、河村城は北条氏によって増強されました。
来た道を戻り、再び本郭に戻ります。

本郭と蔵郭を繋ぐ、復元された橋。
橋が架かっているということは当然・・・

そこには堀切があります。
幅20m、深さ8mの堀切で、発掘調査で堀底を含めて5回の造り直しが確認されています。

橋脚跡も確認されており、400年前に伐採された木材で橋が架けられたことも調査で確認されています。

渡った蔵郭からのショット。
復元された木橋の手すりは神奈川県産のヒノキ、橋脚や床板は国外の硬い樹木で造られています。
どのような形の橋であったかは不明ですが、間違いなくこの橋によって当時の雰囲気を味わうことができます。

蔵郭は東西70m、南北30mの長楕円形の郭です。
蔵郭では建物跡が発見されており、炭化したイネやムギが出土しているので、貯蔵した建物であったと考えられています。

蔵郭と近藤郭を分断している堀切と橋。
当時は土橋で繋がっていたのか、木橋でつながっていたのかは不明ですが、凄まじい堀切を見ることができます。

橋から見た堀切。
幅25m、深さ12mで河村城最大規模の堀切になります。
この巨大な堀切が本郭と蔵郭を守っているので、籠城戦を想定していると考えられます。

反対側の近藤郭からの写真。
あれ?って思うのは不自然なコンクリートと何かの絵。
どういった意図でこのような仕様になったのかは謎です。
素晴らしい遺構が残る河村城の中で、これだけは心がどうしても受け入れることができませんでした。

堀切の斜度は50度。自然地形の谷を利用して造られたそうです。

この堀切の底も障子堀になっています。
保存のために少し埋められているのか、実際は高さ2mの障子堀であったと発掘調査で判明しています。

近藤郭は巨大な堀切の前にあるので、おそらく本郭に侵入させない為の馬出の役割があったのでしょうか。

今は平坦な近藤郭ですが、発掘調査で空堀跡が発見され、現在は保存のために埋め戻されています。
そして、郭内にあるコンクリートのベンチ。
実はこのベンチの形こそが、発見された遺構の形を表しています。
斬新かつ分かりやすい整備の手法!

近藤郭に連なって大庭郭があります。
大庭郭は河村城で一番大きな郭です。

大庭郭には展望台が設置されています。

展望台から見た近藤郭と堀跡。

展望台から見た大庭郭。

展望台から見た多地屋敷。大庭郭の北側に突き出した郭。

多地屋敷から見た山々。
山の反対側は山梨県です。武田信玄の領国、甲斐の国境に近い河村城は、1569年に武田信玄の侵攻によって落城したと記録があるようです。
その後、御厨道を抑える重要拠点として、大改修して補強されました。

多地屋敷からは山北町の街も一望できます。

大庭郭の南側には水郭が配されており、どんよりとした雲のあたりに北条氏の支城となる沼田城と岩原城があります。
その丘陵の裏側に北条氏の本城 小田原城があります。

水郭から見た足柄平野。曇って見えませんが、奥には相模湾が広がります。

大庭郭東側は大庭郭張出があります。

大庭郭張出と奥に桜が咲いている馬達戸は、深い空堀で分断されています。

橋から見た堀切。蔵郭と近藤郭を分断する堀切よりも深いように見えます。

馬達戸から見た堀切。現代風の橋が架かっていますが、深く幅広い堀切がしっかりと残っています。

こちらが大手らしいので、馬達戸は馬出の役割があったと考えられます。

季節は着実に春に近づいています。

気温もちょうど良く、素晴らしい1日。

右側が馬達戸、堀切に架かる橋の先が大庭郭張出。一段高い場所が大庭郭となります。

大手に繋がる道。道路整備によって改変されていると思いますが、城郭南側が大手だったと考えられています。

こちらの道も軽く歩いてみました。
最初に登城したルートと同じく、深い谷になっています。
登城口から約2時間半程で、全てを見てまわる事ができました。
河村城はテレビでも見ていましたが、現地で見ると想像を遥かに超えた城でした。
特に堀切の数、規模は北条氏の支城の中でもトップクラスです。
障子堀で有名な山中城ほどではありませんが、河村城の障子堀も綺麗に整備されています。
豊臣秀吉による小田原征伐で河村城は落城し、そのまま廃城になったと伝わります。
発掘調査と整備によって、河村城は400年の時を超えて眠りから覚め、北条氏の貴重な遺構を現代の我々に伝えています。








