【大分県】岡城

CASTLE DATA FILE.113
登城日:2026年3月30日
交通手段:尾辺岡城から車で60分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:梯郭式山城
遺構:石垣
復元建築:ー
スタンプ:チケット売場で押印
御城印:チケット売場で購入
島津群を何度も撃退した日本屈指の石垣の名城
九州遠征5日目 2城目は大分県の岡城に初訪城です。
岡城は日本100名城で国の指定史跡。難攻不落の名城と称された城。
標高325mの天神山に築かれ、1185年に源頼朝に追われた源義経を迎える為に築城したのが始まりと伝わります。
岡城の有名な戦いは1586年、耳川の戦いで敗れて衰退した大友氏を追い詰める為、薩摩の島津氏は豊後や府内に迫る快進撃を続けました。
しかし、志賀親次の指揮の元で岡城は再三にわたり島津氏を撃退。
親次はその功績から豊臣秀吉から1587年に褒状を受けています。
1594年に播磨から中川秀成が移封され、3年がかりの大規模修築を行いました。その後も増改築を繰り返し今の岡城の姿に変貌を遂げます。
藩主の中川氏は明治の廃藩置県まで、この地を治めますが、廃城令で岡城の建物は全て取り壊され、今では石垣のみが残ります。
延岡城からは車で約1時間。城郭に近づくと国道502号線から石垣から壮大な石垣が見えました。
到着は11時。登城口には無料の駐車場があります。

車を降りた瞬間に見えるこの石垣!!
これを見てボルテージが上がらない人はいないでしょう!

沖縄のグスクのような円弧を描いた石垣!
岡城は石垣の名城なのは知っており、ネットやYouTubeを見て予習はしてきましたが、想像を超えてくる予感。
駐車場にある券売所で、通行手形を購入しパンフレットを受け取ります。

券売所の脇から早速 登城開始。
そして登城口に早々と現れる石垣。

門か櫓などの建築物があったのでしょうか。
登城口にふさわしい巨大な鏡石も確認できます。

岡城には珍しい カマボコ石を見ることができます。
上部が丸く加工されて、カマボコのような石は岡城でしか見ることができません。
登城路の至る場所で見ることができます。

登城路を進むと岩盤が剥き出しになっています。
これは阿蘇溶結凝灰岩の岩壁で、登城した人を驚かせること間違いありません。

阿蘇溶結凝灰岩は長い年月をかけて河川が削ったことで、この地形が生み出されました。

道中には土産屋のような店がありますが、この場所は鉄砲方詰所跡です。
江戸時代、城の警備や鉄砲の管理を担っていた鉄砲方の武士たちが詰めていた場所のようです。

道が分岐しており本丸方面に向かう為、まずは大手坂上りを進みます。
それよりも、圧巻のこの石垣!
カマボコ石だけでも芸術品なのに、美しい曲線を描いた石垣はアートの領域。

幅が広めの登城路。

入口付近は岩盤が剥き出しで、途中から石垣に変化します。
そして、山の上に悠々と聳えるのが大手門の石垣!

振り返った大手坂上り。
龍の背のように円弧を描いた石垣。

大手門跡に近づくと登城路が90°折れ曲がります。

目違いのカマボコ石。
なぜ縁を切って目違いになっているのか気になります。

山城のテイストと近世石垣をMIXした一枚。
そして贅沢に使用されたカマボコ石。

大手坂上りを振り返ります。
ほぼ垂直に剥き出した岩壁で、ここから攻めるのは難しそうです。
下に見える舗装された道は後ほど周ります。

大手門に近づくと、見上げるほどの高石垣に囲まれた圧迫感を感じる空間になります。

大手門前から振り返っての一枚。
さらに90°折れ曲がれば、いよいよ大手門です。

大手坂上りの石垣と大手門跡。
まるで外国の石で造られた城のようなフォルム。

大手門には櫓門が建てられ、城の正面玄関らしい威厳と防御力を持った門であったと想像できます。

大手門は1987年の岡城800年祭で20日間限定で復元されました。
ネットで調べると壁や瓦は発泡スチロールなどで復元されたようです。
写真を見る限りはクオリティが高すぎて、本物の建築物にしか見えません。

大手門の鏡石。
石垣天端の切り欠き部は、櫓門の梁を渡していた箇所になります。

城内から見た大手門跡。
右側には櫓門に入るための階段もあります。礎石も残っています。

上から見た大手門跡。
石垣が曲線を描いていることで、真っ直ぐに進軍することができないようになっています。

礎石も残っており、よく見ると門扉を開閉する溝も地面に残っています!

大手門の近くには古大手門があります。
近世城郭に改修された当初は、こちらが大手門でした。
誰もが知る築城の名手・藤堂高虎は慶長16年(1611年)、肥後熊本藩の監国に赴くため、熊本城に向かう際に岡城に立ち寄りました。
その際に、東向きの大手門は朝日が当たると戦いで不利となることから、大手門の向き改造すべきことを指摘したと伝わります。

現在残っている大手門跡は、藤堂高虎のアドバイスによって新しく造られた門となります。
藤堂高虎のエッセンスが入っていると知ると、堅固に造られた大手門も納得です。
大手門を抜けると西の丸方面と本丸方面に分かれます。

本丸には長く続く石垣沿いを進みます。
この石垣は家老の屋敷が置かれた曲輪となります。

大手門を出てすぐの位置にあることから、守りとしての役割もあったのかもしれません。
ちょうど桜も綺麗に咲いています。

屋敷跡の階段と石垣。

一段下がった場所には広い曲輪があります。

この広い曲輪には中川但見屋敷がありました。
中川但見は藩主中川家に代々仕えた家老の家系です。2代藩主 中川久盛の代に戸伏性から中川性を名乗りました。

屋敷の門跡と石垣。
屋敷の入口としては、かなり立派な門跡です。礎石も確認できます。

中川但見屋敷跡と細い道を挟んで、城代屋敷跡があります。
他の屋敷跡と比べるとコンパクトな曲輪。

三の丸に最も近い場所に籾倉跡があります。
米を籾のまま蓄えていた曲輪とされており、主郭に近い場所にあることを考えると、籠城戦を想定した配置であったようにも思えます。

本丸に続く登城路からは、壮大な三の丸と本丸の石垣を見ることができます。
岡城は大野川と稲葉川に挟まれた山に造られており最強な立地です。

断崖の岩盤の上に高石垣が積まれており、芸術の領域です。

家臣の屋敷群の先が主郭となり、まずは三の丸に入るための西中仕切門跡を通過します。

注目は左側の崖にそびえる三の丸石垣。
深い清水谷から生えるように、急勾配な石垣が積まれています。
ちなみに、この時点で写真撮影した枚数は200枚を超えていました。

枡形からみた西中仕切門跡。
石垣には階段も設置されており、2つの階段が同時に映る貴重な一枚です。

西中仕切門から見た、枡形と太鼓櫓門跡。

太鼓櫓門跡を通過すると三の丸になります。
太鼓櫓には時を知らせる為の太鼓が置かれていました。

西中仕切門の枡形から太鼓櫓門があり、その先にさらなる枡形空間があります。
二重の枡形になっており防御力が高い最強の設計です。

太鼓櫓門の脇の通路は東ノ郭に繋がっています。

太鼓櫓門の石垣を横から見ると、特徴的な造りをしているのが分かります。
右側の三の丸石垣と太鼓櫓門石垣は縁が切れており、太鼓櫓門の石垣は独立しています。
石の積み方も異なり、三の丸石垣は加工された石の横目地を揃えています。
太鼓櫓門石垣は多角形に加工された石を、隙間なく積んだ亀甲積みのように見えます。

太鼓櫓門の枡形。
階段の脇には鏡石も積まれています。

太鼓櫓門の枡形は大手門と同じく階段で囲まれ、少し高い場所に三の丸が広がります。

太鼓櫓門の脇に、隣接して配置されているのが鐘櫓跡。
緊急を知らせる為の銅鐘が置かれていました。鐘櫓が西中仕切門の枡形を形成しています。

鐘櫓から見た三の丸石垣。
高さは15m〜16mほど。これほど高い石垣を標高300mオーバーの山の上に積むのですから、労働力も計り知れないものがあります。

鐘櫓跡から見た清水谷と舞い散る桜。

鐘櫓の石垣。
下は高所恐怖症の方にとっては、恐ろしい程の深く急な崖になっています。

三の丸は他藩からの使者や家臣が藩主と対面する場だったと考えられています。

現在は3代藩主に藩政に関する指南を行った熊沢蕃山や、幕末の勤王の志士 小河一敏などの石碑が置かれています。

三の丸から見た本丸石垣。
三の丸のさらに一段高い位置に本丸があります。

三の丸と並ぶように本丸下には二の丸があります。突き出した形状の地形に二の丸は造られています。
当然ながら二の丸にも高石垣が用いられています。

二の丸の先端には月見櫓跡があります。
月見櫓は高欄(手摺)と廻縁(バルコニー)を持つ二重の櫓で、軍事目的というよりは遊興の場でした。

月見櫓跡から見た景色。
さらに二の丸には御風呂屋があり、二階建ての建物の一階に風呂、ニ階には畳の座敷が設けられていました。

平和な世の中を象徴的するような二の丸ですが、二の丸から見る三の丸の石垣はやはり壮大で、ギャップを感じます。

三の丸石垣と清水谷。

二の丸にある井戸跡。
造られた当初から水はなかったことから、抜け道があったとか、財宝が隠されているなどの伝承があります。
江戸時代は深さが60mもあったそうです。

二の丸から見た本丸北側の石垣。

二の丸から見た本丸北西隅の石垣。
奥に見える階段を登れば本丸です。高石垣の上には三重櫓が建っていました。

三重櫓の櫓台。
隣には礎石が残っているので、門があったと思われます。

続いて二の丸から本丸に移動します。
本丸には石の階段を登ります。

本丸の入口となる門跡。
どのような形の門だったのか分かりませんが、控柱と間口を見ると薬医門とかだったのでしょうか。

本丸跡。
現在は岡城天満神社がありますが、本丸には藩主の御殿が建てられていました。

当時は本丸御殿を囲むように、三階櫓、多聞櫓、金倉、角櫓が配置された堅固な曲輪でした。

本丸の南西隅に位置する御三階櫓跡。
天守に相当する櫓だったとされており、大手門同様に岡城800年祭で20日間限定で復元されました。

御三階櫓は古写真も残っており、礎石も残っています。

御三階櫓跡から見た三の丸、大手門方面。
見ての通り大手門から本丸までの通路は全て断崖絶壁!
守りの堅さを実感できます。やはり戦国期を生き抜いた城は別格です。

御三階櫓跡の直下には、三の丸東虎口跡があります。

本丸南東隅にあった金倉跡。

金倉跡からは道が極度に狭まった東中仕切門が見えます。
その先には東ノ郭方面に繋がります。
続いて、本丸を降りて三の丸東虎口から東ノ郭に向かいます。

三の丸東虎口は御三階櫓石垣の真下にある門で、高い石垣で囲まれた門。

三の丸東虎口と本丸石垣。
ここから見る御三階櫓の櫓台と本丸石垣は美しい。

反対側の三の丸石垣と三の丸東虎口。

御三階櫓の石垣。
加工された石を使った、かなり先進的な積み方。急勾配な石垣で上部はほぼ垂直になっています。

本丸南側の石垣。
通路にも石垣が積まれており、同時に撮れるこのアングルはベストスポットです。

本丸下から見た金倉跡の石垣。
先進的な算木積みと高石垣も凄いのですが、大注目なのは隅石。

算木積みが連続しています。
左側二つの算木積みは同面です。

理由は不明ですが何かしらの理由で拡張され、隅部に隅部を付け足したものと考えられます。
増築によって継ぎ足した石垣はほかの城でもよくありますが、隅石に隅石を継ぎ足しているのは初めて見ました。

金倉石垣と本丸石垣。
もはや言葉は必要ありません。写真で察して頂ければ!

そして本丸と東ノ郭を隔てる東中仕切門跡。
門を抜けると道がスリムになっているので、大群では攻め込むことができません。

東ノ郭方面から見た東中仕切門跡。
金倉跡の石垣。奥に行く手を阻むように立ち塞がるのが金倉の高石垣。

桜並木と東中仕切門。

東ノ郭の石垣と登城路。
中川氏が岡城に入り改修するまでは、東ノ郭が中枢でした。

山の尾根上に曲輪を配した、戦国期らしい連郭式の曲輪配置。
東ノ郭の尾根は主郭や屋敷跡の曲輪に比べると、尾根が細くなっています。

東ノ郭に残る小さな枡形虎口。

広がる東ノ郭跡。
元は城の中心だった東ノ郭は、主郭が今の本丸に移動すると、茶室や歴代藩主の御廟所が置かれました。
個人的には一種の聖域のような空間に変化したのではないかと思います。

本丸までは多くの人がいたのですが、本丸の先にある東ノ郭には嘘のように人が誰もおらず、聖域のように感じたのかもしれません。
しかし、とても静かな時間が流れており、風も心地よくて落ち着く不思議な空間でした。

東ノ郭に設けられた清水門跡。
門跡には石垣が積まれており、この門を下ると稲葉川に繋がっているようですが、現在は草木が生い茂って進むことはできません。

岡城の東側を堅守するのが下原門。
突如出現する巨大な石垣。中川氏が入城して大改修する前は、こちらが大手口でした。

目視では確認できないのですが、千切という珍しい技法が用いられ、石垣のズレを防ぐためにホゾを切って、石垣をはめ込んでいるそうです。
日本の伝統的な木造建築の手法が石垣で使われています。

元来た道を大手門側に戻り、中川但見屋敷跡から北側屋敷群に向かいます。

北側屋敷群と主郭方面の曲輪の間には清水谷があり、谷に沿って周り込むように屋敷が配置されています。

屋敷跡から階段を下りて北側へ移動します。

屋敷跡の石垣。

北側への移動途中には腰曲輪があり、芸術的なアーチ形状の石垣を見ることができます。

反対側からも撮影!

北側屋敷群の石垣も壮大なもので、屋敷が置かれた幾つもの曲輪が広がります。
左側の高い位置にある曲輪が西の丸跡の石垣です。
まるで一つの街のようです。

北側屋敷群から近戸門跡に向かいます。

近戸門は岡城の北西側にある門で、かつては城下町へと通じる通用口で、家臣の日常的な出入りに使われていました。
大手門と同様に高い石垣が積まれ、石垣をまたぐ形で櫓門が建っていたと考えられます。

近戸門の先には七曲りという、駐車場に繋がる登城路がありますが、立入禁止になっていました。
近戸門の脇には普請方跡に繋がる細い通路があります。

上から見た近戸門跡。
門の横架材をかけていた石垣の切り欠きも残っています。
櫓門の大きな門であったと思われます。

普請方跡が立派な石垣の通路を形成しています。

大分県竹田市の岡城跡にある普請方跡は、江戸時代に城の建築や土木工事、石垣の修復などを担当していた部署の役所、または屋敷があった場所のようです。

普請方跡周辺から眺める本丸方面も絶景。
北側屋敷群と主郭を隔てる清水谷は天然の要害となっています。

三の丸と二の丸の石垣を一望できます。
桜も綺麗で、最高の時期に来ることができました。

普請方跡の付近には埋門が残ります。
石垣のトンネルになっています。珍しいのは門脇が階段になっており、埋門の上も通路になっている点。

曲輪側から見た埋門。
立体交差になっているのが分かります。

普請方跡から見た西の丸方面。
続いて岡城の最北端に位置する中川覚左衛門屋敷跡に向かいます。

中川覚左衛門屋敷跡は約200坪の広大な敷地で、発掘調査に基づき当時の部屋の間取りが平面復元されています。

中川覚左衛門屋敷跡内にある石垣。
櫓台のような規模と高さ。隅石が無く角はアール形状になっています。

中川覚左衛門屋敷跡の石垣。
よく見ると隅石のような縦目地が揃った石垣があります。拡張されたのでしょうか。

屋敷跡から見た腰曲輪。
様々な形状をした石垣。

中川覚左衛門屋敷跡の近くに配置されているのが、中川民部屋敷跡です。
発掘調査に基づき礎石位置を配置することで当時の間取りが再現されています。

中川民部屋敷跡から見た近戸門跡と普請方跡。
中川民部屋敷跡は、ちょうど西の丸の下に位置しており、西の丸に繋がっています。

中川民部は3代藩主・中川久清の五男である中川久旨を祖とする家系です。
奥に見える高い石垣の上が西の丸です。

個人的に中川民部屋敷跡で気になるポイントは、石垣の隅石。
一見すると普通の算木積みのように見えるのですが、石の切り口が揃えられています。

このパターンの石垣は初めて見たので、非常に興味深かったです。

中川民部屋敷跡から西の丸に向かいます。
左側が西の丸の石垣。

西の丸跡には綺麗に咲き誇る桜と菜の花が満開です。
家臣の屋敷跡よりも高い場所にあり、敷居の高さを感じる曲輪になっています。

西の丸は3代藩主・中川久清が隠居所として西の丸御殿を築いたのが始まりです。
西の丸御殿は1771年の大火災で焼失し、1779年に再建してからは藩庁としての機能が集約されました。

西の丸から見た駐車場。
岡城に到着して車を降りてから見た石垣は、ちょうどこの場所になります。
駐車場にはチケット売り場があり、この一帯は総役所跡で、岡藩の行政機関・裁判所として機能を持った曲輪でした。

西の丸から一段下がって伸びるように、突き出した形状の先には角櫓跡があります。

監視の目的に造られたのか、三方が崖に囲まれた完全に独立した独特な櫓跡です。

西の丸北側の石垣。
桜が綺麗ですが、やはり注目は桜の下の石垣でしょう。
積み方が落とし積みになっています。加工した石垣を横向きに積むのではなく、斜めに積んでいます。

特に注目なのは北東隅の石垣。
アーチ状に積まれた石垣。

西の丸の北東隅に位置する場所で、鬼門の方向にあたります。
陰陽道では「角」に邪気が溜まると考えられたため、あえて角を造らないことで魔除けの意味を持たせました。

石垣に生えた木にも注目。
石を這うように根を張っており、まるでジブリのラピュタのような世界観。

角櫓に向かう通路から見る、西側の西の丸石垣。
ここにも増築のような継ぎ足した石垣があります。

石の種類や積み方を見ると、同じ時代くらいの石垣のようにも見えます。

この付近からは通行止めとなっている七曲りの登城路が見えます。

角櫓からの景色は、足がすくむほどの絶壁です。

角櫓跡から見た西の丸。
日本の城とは思えぬ独特な造り。ここからの景色は岡城に来たら絶対に見て頂きたいポイントです。

南側西の丸石垣。

右側は南側西の丸への入口。
登城路の一段下に帯曲輪のような平場が配されています。

帯曲輪の石垣。

階段があるので、こちらから西の丸に上がれるのかと思い進みますが・・

なぜか石垣に突き当たって道が行き止まります。
トラップでしょうか?
弓や銃の攻撃を受けながらこの場所に来たのに、引き返すとなれば心が折れます。

振り返えると三段の石垣になっています。
左側の石垣は西の丸に繋がる通路の石垣。さらに左側の高い石垣が西の丸。右側は帯曲輪の石垣になります。

帯曲輪から見た大手坂上りの石垣。
大手門に向かう際に高圧的で、圧迫感のあった石垣はこの石垣です。

一度、大手坂上りから下山して、入城した時に二手に分岐した下の道を歩きます。
パンフレットに何も記載がないエリアなので、この道がどこに繋がるのか、何があるのか謎のまま進みます。

大手坂上りの石垣と大手門石垣。

下から見た大手門の石垣。
右側に近いが窪んだ場所があります。
この辺りは古大手門跡があった場所で、尾根を分断した堀切のような窪みの見えます。

大手坂上りの石垣。石垣が微妙に段地になっています。
序盤で見た坂上りのカマボコ石の目違いが、この箇所です。
何の目的で段地にしているのでしょうか。

剥き出しの岩盤の上にそびえる大手門石垣。
下から見る大手門も大迫力です。

奥には三の丸と本丸の石垣も見えます。

歩いていると谷に石垣を発見。
下には大野川が流れ、その先に国道502号線が見えます。車を運転をしている時に見えた石垣は、この滑瀬坂の石垣でした。
ここは滑瀬坂と呼ばれ、近年に木を伐採をしたことで全体が露わになりました。

何度も折れる道を進むと、下に行くことができます。

滑瀬坂を下ってみます。

なんとここにもカマボコ石がありました。
岡城はあまりにも広いエリアで石垣が積まれており、見どころが多すぎました。
石垣を積んだのは最高技術を持った穴太衆という話もあります。
他の城では見ることのない技術が詰め込まれており、独自テイストの石垣が多く見られました。
日本屈指の石垣の名城と言っても過言ではありません。
雨予報だったので2城目に訪城して大正解でした。
遠征5日目は早々に切り上げ、熊本県に移動します。










