【佐賀県】吉野ヶ里

CASTLE DATA FILE.115
登城日:2026年4月1日
交通手段:JR「神崎駅」徒歩15分
ステータス:日本100名城・国指定特別史跡
ジャンル:環濠集落
遺構:ー
復元建築:ー
スタンプ:吉野ヶ里遺跡 東ゲート受付で押印
御城印:ー
土塁・空堀・逆茂木など戦国城郭のルーツは弥生時代にあり!
九州遠征7日目は佐賀県の吉野ヶ里遺跡からスタートです。
佐賀駅前のホテルに宿泊したので、JR長崎本線で神崎駅まで2駅 10分程で到着できます。

佐賀駅に停車していた唐津線の電車。
九州遠征の2日目に行った唐津城を見ることができました。

吉野ヶ里遺跡もラッピングされています。

神崎駅で降りて、歩いて15分程で吉野ヶ里の西川ゲートに到着できます。
駅前は特にお店などもなく、少し寂しい感じもします。

駅前にある邪馬台国女王 卑弥呼の銅像!
この時代の人の銅像は、なかなかお目に掛かることができませんので貴重です。

神崎駅から吉野ヶ里遺跡までの道は、田園風景が広がります!
吉野ヶ里遺跡の正門は東口ですが、神崎駅下車すると最寄りが西口になります。
西口でチケットを購入して、遺跡内を走っている無料バスでメインゲートの東口に向かいました。

環濠入口から遺跡に向かいます。
吉野ヶ里は紀元前5世紀から紀元後3世紀の700年間に渡って続いた日本最大級の環濠集落です。

木の柵と堀。
発掘調査で吉野ヶ里の外濠に7ヵ所、南北内郭には3ヵ所の入口が確認されています。

弥生時代の遺跡ですが柵や堀、土塁などワタクシの好きな戦国期の城に通じるものを感じます。

逆茂木もあります。
切った木を敵側に向けることで、侵入を阻むバリケードの役割があります。
逆茂木は大坂の陣で豊臣軍も設置して対抗しました。
まさか戦国時代に使われていた防御システムが、弥生時代のものだとは思いませんでした。
ただ、戦国期とは構造が逆転しています。
戦国時代は守るべき曲輪内に土塁があるので、この逆茂木の向きだと既に敵に侵入を許している気もするので、どういった守りをしていたのか気になります。

南のムラには居住地が集まっています。
中国の暦や方位の概念に基づいて集落形成がされています。

家の中に入ることもできます。
弥生時代の暮らしが再現されており、秘密基地みたいで面白い。
幾つもある建物の中には、内部で飲食可能な家もあるので、子どもがいたら絶対楽しめると思います。

こちらは高床式の建物。

こちらにも入ることができます。

内部はかなり立派です。
発掘調査で発見された柱穴跡から復元していると思われますが、こんなに立派な家が弥生時代にあったとは知りませんでした。

こちらは、より現代に近づいたような造り。
バリエーションが豊富で見ていて楽しいです。

木の使い方に感動します。まさに木造建築の原型です。

集落の中にはムラ長の家もあり、建築や城としての防御施設の原型を見るだけでなく、組織というものがこの時代に発展していたことも学ぶことができました。

展示室内では弥生時代の発掘調査の成果や出土品のレプリカが展示してあります。

頭骨のない人骨。
甕棺墓という弥生時代のお墓で、吉野ヶ里では3100基以上の甕棺墓が発見されています。
無くなった方を丁寧に埋蔵していたことが分かります。

南内郭の入口には櫓門が建っています。
柱穴跡から櫓の規模を想定して復元していると思われますが、戦国期の城門と変わらない規模!

木材の組み方はシンプルですが、使っている木材の太さには驚きます。

物見櫓もあります。
おそらく、誰しもが思うであろうことは、弥生時代ってこんなに文明が発展してたの?ということ。

弥生時代のイメージって縄文時代の進化系という感じでしたが、限りなく高いレベルの文明であることが吉野ヶ里に来ると理解できます。

南内郭にもムラがあります。

王の家。
ムラの中で王の家には柵が造られており、他の家とは少し異なる堅固さがあります。

王の家の内部。
基本的な造りは同じですが、寝床などに王の力を示す物が枕元に置かれています。
続いて北内郭に向かいます。

北内郭は政治などを行う最重要区域となっていたようです。

北内郭で驚くのは、土塁と柵は他の郭と同じく設置されていますが、道が喰違いになっていたり、限りなく城に近い造りになっている点。

北内郭の堀と土塁。

喰違いの道。

同じく喰違いになった道。
奥に見える建物は主祭殿で、吉野ヶ里のシンボル的な建物です。

主祭殿では指導者達が重要な事柄を話し合ったり、儀式が行われていました。
発掘調査を元に古代中国の事例を参考に復元されました。高さは16.5m!

物見櫓から見た防御施設。
二重の堀が形成されており、戦国城郭でいう土橋もあります。

北内郭の景色。
吉野ヶ里に来ると、弥生時代のイメージが一蹴されます。想像を越えて面白い場所。

二重の土塁と堀。
個人的には北内郭の防御施設は感動しました。
山か平地かの違いはありますが、1000年以上経過した戦国期でも同じ防御施設を採用していることを考えると、この防御形態が至高の領域だったといえます。
その後、織田信長が火縄銃を多用した戦を展開することで、城の防御施設も大きく変化と進化を遂げることになります。

同じ北エリアで奥に見える土盛りは北墳丘墓になります。
吉野ヶ里における歴代の王が埋葬されている特別な墓と考えられています。

北墳丘墓に続く道に、ぽこぽこと土の盛り上がりがあります。
これは、先ほど展示室で見た甕棺墓の跡。
城がめぐりで九州を遠征して、雨が降っていることもあり基肄城から吉野ヶ里に変更しました。
ワタクシは城が好きなので、あくまで日本100名城のスタンプを押す目的程度で考えておりましたが、十分楽しむことができました。
2時間ほど見て周ったのですが、吉野ヶ里はまだまだ広くワタクシが見たのは半分程度だと思います。
秘密基地のような感覚が大人のワタクシでもありましたので、子どもがいたら一層楽しむことができると思います。
歴史の教科書を思い出し、懐かしくも大変勉強になりました。










