【熊本県】熊本城(再訪)

その他 城

CASTLE DATA FILE.36

登城日:2026年3月31日
交通手段:路面電車「市役所前」目の前
ステータス:日本100名城・国指定特別史跡
ジャンル:梯郭式 平山城
遺構:櫓・門・塀・石垣・堀
復元建築:天守・櫓・城門・本丸御殿
スタンプ:2024年2月10日に押印済み
御城印:2024年2月10日に購入済み
前回訪問:2024年2月10日

復旧が進む熊本城。深堀をして天守と三の丸近辺を巡る

九州遠征 6日目の1城目は2024年2月以来となる熊本城です。

2016年に起きた熊本地震で甚大な被害を受けた熊本城。前回訪問した時、地震から8年が経過していたので復興は進んでいると思っていましたが、実際に行ってみると、崩れたままの石垣や倒壊したままの建築物を目の当たりにして、なんとも言えぬ心が縛られるような思いを鮮明に覚えています。

前回訪問から2年が経過して、どのように復旧が進んでいるのか確認したいと思い、今回の九州遠征の計画に組み込みました。

大分県の岡城を訪城し、レンタカーで熊本県に戻ってきました。
熊本駅前でレンタカーを返却し、路面電車で宿泊先のホテルに到着。

今回は熊本城を望めるホテルを予約しました。

ホテルのテラスから見た熊本城。
雨が降っていましたが、この贅沢な景色を独り占めできる素敵なホテルです。

宿泊したホテルは「アンドコンフィホテル熊本城ビュー」ワタクシが泊まった時は、素泊まり1泊6098円とリーズナブルで、部屋もとても綺麗でした。

そして、屋上のテラスで熊本城を堪能できるのが最大の魅力。

夜は少しだけ熊本城の周りを歩きました。
近くの遊歩道から撮った天守。夜に見ると街灯も信号もアートです。

朝6時に起きて昨日同様、テラスから朝の熊本城を拝みます。
昨日の夕方から大雨で、引き続き風が強く本日は曇り予報。

前回訪問した時に着手していなかったエリアが、着実に工事されているようで、少しの安堵を感じます。
2016年に被災した熊本城は、当時は復旧に20年の工期が計画されましたが、今は2052年の35年工期に延長されています。

以前来た時よりも、だいぶ量は減ったように思えますが、今でも崩落した石は敷地に並べられて普及の日を待っています。

昨日の夜に歩いた歩道橋から、今日はスタートします。

熊本城は城外からはあまり天守が見えないので、意外とナイスな写真スポットです。

熊本城への入城ルートは幾つかありますが、あえて2年前と同じルートで向かうことにしました。

熊本稲荷神社方面から、棒庵坂を上って北大手門跡を抜けるルートを選択。

県立美術館の脇から四方寄熊本線に出ると、足場が架けられて大工事中です。
東方面の東竹の丸にある櫓群、田子櫓・七間櫓・十四間櫓・四間櫓・源之進櫓の復旧が進められています。

この辺りは2年前は手付かずの状態でしたが、国指定重要文化財の櫓群は、復旧へと着実に工事が進んでいるようです。

本丸の北東側に位置する平櫓の石垣。
高さが約19mもあり、石垣の名城たる所以を感じます。

なんと美しい曲線。まるで切れるナイフのように鋭い隅部が特徴的です。

坂を進むと北十八間櫓・東十八間櫓・五間櫓の石垣が修復されています。
前回は崩落した状態でネットが張られた痛々しい姿でした。

これら建築物の復旧完了は2037年を予定されています。
手前が小天守で、奥が大天守となり、かなり近くで見ることができるスポットです。

北十八間櫓あたりをGoogleのストリートビューで見ると、倒壊した状態を見ることができます。
20mの高石垣 もろとも崩落し、悲惨な状態です。

以前は入隅になったこの辺りにも崩落した石垣が並べられていました。

美しい曲線の石垣。
初めて熊本城に来た2年前、崩落を免れたこの辺りの石垣を見て、圧倒されたことを覚えています。

棒庵坂を進み北大手門跡に向かいます。

城郭の北側に位置するこの場所は空堀となっており、崩落した石垣が並べられています。

巨大な土橋の先が北大手門跡になります。

土橋から見た左側の空堀。
熊本城は外郭から見る以上に、高低差のある地帯に築城されているのが確認できます。

土橋から見た右側の空堀。
こちらの石垣は2年前と変わらず、石垣が崩落した状態です。

石垣が崩落した天端はモルタルによって保護されています。
奥の突き出した石垣には戌亥櫓の櫓台になります。

そして、北大手門の石垣も変わらず痛々しい応急処置が施された状態です。

北大手門跡を進むと左手に加藤神社があります。
加藤神社は熊本の発展の礎を築き、熊本城を築城した加藤清正を主祭神とした神社です。

加藤神社の先には宇土櫓が修復工事中で足場が組まれています。
宇土櫓の石垣の高さは25mもありますが、熊本地震に耐え抜きました。

今回 発掘調査が行われ、地中深くまで石垣が積まれていることが判明しました。
高度な技術で積まれた石垣は強度が高く、崩落を免れました。

櫓では国内最大の3重5階 地下1階。
高さ19mで江戸時代から残る貴重な現存の櫓です。その規模から第3の天守とも呼ばれます。

桜の馬場 城彩苑の、わくわく座で展示されている宇土櫓1/20スケールの模型。
実際はこのような続櫓が接続した造りになっていました。

しかし、続櫓は完全に地震で倒壊しました。
宇土櫓は日本の現存する城郭建築の中で、4番目の高さを誇ります。
1位 姫路城大天守
2位 松本城大天守
3位 松江城天守
4位 熊本城宇土櫓

宇土櫓も熊本地震で被害を受けた為、最近 完全に解体が終わり復旧作業中。
宇土櫓の工事完了は2032年を予定されています。

Googleストリートビューで見た宇土櫓。
石垣、建築物も無惨に破壊されています。

熊本城の全ての建築物が被害を受けており、さらにこの惨状を見ると、現場の職人や専門家の方々の力によって、かなり復旧は進んだと思います。

西出丸には大量の瓦が保存されています。
瓦も使えるものと損傷しているものを、一枚一枚確認しているのをテレビで見ました。

宇土櫓の前には西出丸という曲輪が配されており、西出丸の石垣のみが残ります。
石垣の上には復元された長塀がありましたが、地震で塀は完全に倒壊しました。

石垣沿いを歩くと西大手櫓門へと繋がります。

この辺りは石垣もまだ復旧されず、完全に見る影もありません。

城内に掲示されている写真。
震災前は立派な櫓門が建っていましたが、地震によって石垣も櫓門の土塀も倒壊しています。

Googleのストリートビューでは、今でも震災当時の状況を見ることができます。
石垣は崩落して算木積みの隅石だけが残り、櫓門を支えています。

西大手櫓門跡の前には西大手門土橋があります。綺麗な桜並木になっています。

奉行丸の土塀や石垣は、2年前は倒壊したままの状態でした。
今は撤去されて復元を待っている状態です。

西大手門土橋から見た西出丸の石垣。
左の隅には戌亥櫓が建っていましたが、今は長塀も含めて解体されました。

西出丸の前は水堀となっています。
西出丸にあった乾櫓と塀の復旧は2047年頃の予定です。21年後 ワタクシはちょうど還暦を迎えています。

橋を渡り二の丸から本丸方面へと向かいます。
二の丸周辺にある、熊本城お休み処の裏から撮影した未申櫓。

二の丸を回り込み、法華坂を下ると本丸へのゲートがあります。
奉行丸前の空堀。今は石垣の上にはモルタルで保護されて復旧を待っていますが、前回来た時は塀も倒壊したままでした。

2年前に訪問した時の奉行丸の崩落した石垣と倒壊した塀。
被災してから8年も経過しているのに、この惨状を目にして言葉を失ったことは鮮明に覚えています。

奉行丸の南西に建つのが未申櫓。
奥には天守も見えます。曇っていた天気に一瞬だけ晴れ間が見えました。

未申櫓は2層3階で、2003年に木造復元されました。芸術的な清正流石垣 扇の勾配を見ることができます。

未申櫓の下にある、本丸へのゲートは8時45分にオープンのため、慶宅坂を下り桜の馬場 城彩苑周辺を散策。

坂を下りると見える石垣。
この石垣は陸軍病院玄関前石垣で、江戸時代の絵図には描かれていない石垣のようです。

廃藩置県で熊本城は廃城後、日本陸軍の熊本鎮台が置かれたので、その際に積まれた石垣と考えられています。

8時45分にチケット売場までのゲートがオープン。
チケット売場の前で9時のオープンを待ちます。
平日にも関わらず行列!しかし、早めに並んだことでポールポジションをゲットしました。

本丸までの通路は石垣が崩れた為、現在は地上6mに通された特別見学通路が建てられています。
こちらから本丸へと向かいます。

石垣が崩落している箇所は、数寄屋丸五階櫓の石垣になります。

見学する人がまず目にするのは、数寄屋丸二階御広間。

石垣は今でも崩れており地震の爪痕を目の当たりにします。修復を待っている状態です。

数寄屋丸二階御広間は単層2階の建物で、1階は土間で2階は書院造りの広間となっており、建物の長さは33m。
1989年に熊本市政100周年を記念して復元されました。

熊本城が名城と評される所以の一つは、この本丸に向かうまでの連続枡形。
高い石垣で形成された5つの連続した枡形。
これでもかというほどの強固な防御施設です。

残念ながら立ち入りができませんが、特別見学通路から見下ろすことができます。
正方形の櫓台には竹の丸五階櫓が建っていました。

特別見学通路から見た熊本城天守と本丸 大広間。

加藤清正によって築かれた大天守は、まさに日本人が思い描く城!という風格。
望楼型で入母屋破風と、最上階に設けられた唐破風など威厳・威圧・美が揃ったデザイン。

熊本城の本丸御殿は藩主の居住空間や対面の場所でしたが、明治期の西南戦争で焼失しました。
発掘調査、絵図、文献、明治に撮られた写真などを元に2008年に見事に復元。

熊本城の見どころの一つ、二様の石垣。
加藤清正の時代の石垣と、息子の加藤忠広時代の石垣を一挙に見れるスポット。

角度を変えてご紹介!

手前側の緩やかな勾配の石垣が、加藤清正の時代の石垣。
急勾配の石垣が、息子の加藤忠広時代の石垣と考えられています。

急勾配の先進的な石垣は細川氏時代の石垣と考えられてきましたが、近年では息子の加藤忠広の時代に拡張されたことで、この石垣が積まれたと考えられています。

下部は緩やかで上部がそり返るような美しい勾配。
この石垣の曲線美は、扇の勾配と呼ばれており、清正流とも言われています。

隅石を見ると手前が重ね積みで、奥が算木積みで形成されています。
この石垣技術の発展によって、急勾配の高石垣が全国に普及しました。

特別見学通路からの眺めは、本来であれば見ることのできないアングルからの景色なので、熊本城の「今」を噛みしめます。

特別見学通路の終着は本丸御殿 大広間の前となります。
本丸御殿は豪華な書院造りの建物。

地震の影響によって現在は立入禁止となっており、こちらも修復待ちでの状態です。
2032年に修復完了を予定しています。

特別見学通路から見た本丸御殿。
有名な話ではありますが、熊本城には「昭君之間(しょうくんのま)」という格式ある部屋があります。

この部屋は加藤清正が豊臣家の有事に際して秀頼を密かにかくまうために造られた部屋といわれています。
名前の由来は中国の故事に登場する王昭君の絵画があることにちなんでいますが、一説によると、「しょうくん」=「しょうぐん(将軍)」の意とする説があるそうです。

特別見学通路から見た、本丸御殿の石垣。
反対側の奥が二様の石垣です。

天守がある本丸には、本丸御殿の地下となる闇り通路を通り抜ける必要があります。
照明がついているので写真では明るいですが、照明を消すと真っ暗で、徹底的な防衛を計っています。

御殿の入口も地下にあるという、大変珍しい造りになっています。
藩主も地下より御殿に入っていたようです。

闇り通路には目地漆喰が施され、石垣の隙間に漆喰がつめられています。これは大坂城や江戸城など、一部の城でのみで見られる工法です。

闇り通路をくぐり抜ければ熊本城天守が目の前に出現!

大天守と小天守も地震によって被害を受けましたが、懸命の復旧によって2021年6月に完全公開されました。
熊本のシンボルだった天守は再び蘇ったことで、今では復興のシンボルとして新たな役割を担っています。

大天守と小天守が連結した漆黒の天守。
大天守はこれだけ迫力がありますが、実は3層構造で、地下1階と内部は6階という設計。

小天守は2層4階+地下1階という構造です。
江戸時代初期の特徴でもある望楼型天守で、千鳥破風、入母屋破風、唐破風があり、豪壮なイメージに美を兼ね備えています。

天守や御殿など主な建物は明治10年の西南戦争で焼失します。その後、石垣のみが残されまいましたが、昭和35年にRC造で外観復元されました。

天守は古写真も残っています。
天守の高さは29.5m、小天守は19m。

宇土櫓は宇土城天守が移築されたと考えられていましたが、近年では宇土城の天守はこの小天守だったと考えられているようです。

天守には小天守より入城します。

小天守は穴蔵になっており、石垣に囲まれた階が地階となっています。
同じレベルの地震が起きても耐えれる設計になっているようで、鉄骨のブレースや制振ダンパーなど最新技術が取り入れられています。

現存建築の宇土櫓は、国の重要文化財なので、簡単に工法を変えることができないので、復旧には膨大な時間を要します。

小天守から大天守に入るようになっており、内部は資料館になっています。
館内には天守の模型もあります。

大天守の最上階は、御上段という藩主を迎えるための豪華な空間でした。

かなり精巧に造られているので必見です。

館内は充実した内容で、映像なども分かりやすいので熊本城について詳しく知ることができます。

熊本城は加藤清正が中世城郭を取り込み、茶臼山一帯を大改修して地形を巧みに生かしています。

天守から見た宇土櫓。
今回の解体修理における調査で新たな発見が多くありました。

天守から見た北十八間櫓・東十八間櫓・五間櫓の石垣修復工事。

天守から見た本丸御殿と熊本市内。

天守から見た連続枡形。
特別見学通路は空中回廊とも呼ばれ、見ての通り普段は歩くことができない空中から熊本城を観覧できます。

天守から見た西側。
宇土櫓がある西側は二の丸が広がります。

平左衛門丸から見た天守。
どの角度から見ても絵になります。

熊本城の特徴としては、天守台よりも天守の方が一回り大きい、張出造になっていること。
横架材を天守台から飛び出させ、その上に天守を建てることで天守台よりも大きな建物となっています。

今は天守が失われましたが、長州藩の本拠となる萩城も同じような造りの天守をしていました。

天守台の高さは約12m。
小天守の石垣と大天守の石垣は微妙に積み方も異なり勾配にも違いがあります。

美しい勾配を目の前で見ることができます。

1601年頃に加藤清正によって築かれた石垣。
加藤清正は豊臣政権、徳川政権で多くの城造りに関わりました。
有名なのは名古屋城の天守台。

清正が築いた石垣は、曲線が美しく崩れにくい「扇の勾配」が特徴で、他の大名が築いた石垣が雨などで崩れる中、清正の担当した石垣はびくともしなかったという逸話も残っています。

天守の西側には平左衛門丸という曲輪が広がり、復旧工事中の宇土櫓があります。
加藤清正の重臣、加藤左衛門の屋敷があったことから、この名が付いたとされています。

平左衛門丸には連続枡形の出口があります。
特別見学通過から見た連続枡形は、ここに繋がるように設計されています。

早くこの連続枡形を実際に歩いてみたいです。

今は通行できませんが、本丸御殿の下には闇り御門が見えます。

再び特別見学通路から戻ります。
通路からは田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓の復旧工事を見ることができました。

足場からは建物の形もはっきり見えて、着実に修復が進んでいるようです。
続いて備前堀方面の行幸坂を下ります。

行幸橋方面に歩くと備前堀があり、飯田丸五階櫓の石垣を見ることができます。
石垣の高さは15m。

西南戦争で政府軍は飯田丸五階櫓の石垣を砲台にして応戦したそうです。

飯田丸五階櫓も3層5階の櫓で、加藤忠広の時代以降となる1615年から1624年の間に造られたと考えられています。

飯田丸五階櫓は明治時代に破却されましたが、2005年に木造で復元されました。
震災で石垣が崩落して、隅石のみで建物を支えていたことで「奇跡の一本石垣」として有名になりました。

備前堀と飯田丸五階櫓の石垣。

備前堀は幅30m、長さ140mの水堀で、熊本城や城下の水堀はほとんどが埋め立てられた為、とても貴重な遺構となります。

櫨方門(はぜかたもん)周辺の石垣

馬具櫓の石垣も復旧作業中です。
馬具櫓は南側の入口を守る櫓で1階建ての建物でした。

2014年に復元されましたが2016年の4月16日の本震で石垣が膨らみ、度重なる余震によって同年5月10日に崩落しました。
馬具櫓台も西南戦争で砲台として使われました。

職人さんが懸命に作業をしています。
馬具櫓の建築物は2042年に復旧予定。

馬具櫓の前には坪井川が流れています。
この坪井川を最初に改修したのは加藤清正で、熊本城の防衛と治水の為に大工事を行いました。

坪井川沿いに石垣が積まれており、黒と白の長塀がものすごい長さで建っています。
長塀は日本最長となる242mもあり、国の重要文化財に指定されています。

地震で一部倒壊しましたが、現在は綺麗に復旧されています。

桜の馬場 馬彩苑側の坪井川と石垣。

長塀と坪井川を挟んだ対岸には加藤清正像があります。
熊本城は加藤清正が築き、息子の忠広の代に加藤家は改易となり、その後は細川家が熊本城に入城。
明治まで細川家が代々この地を治めました。 

続いて桜の馬場 城彩苑で活気ある商店の雰囲気を味わいます。
一つの商店街のようにお店が立ち並んでいます。平日にも関わらず多くの人がいました。

熊本といえば、からし蓮根や馬刺しなどが思い付きますが、ちくわサラダがソウルフードだと初めて知りました。
エビをちくわに挟んだ揚げ物。
注文すると新たに揚げてくれます。
朝から歩きまくっていたので、エネルギーチャージができました。

桜の馬場 城彩苑の一画にある、わくわく座に展示されている石垣の一部。
崩落した石垣から発見された石らしく、刻印石は全国の城でよく目にしますが、似顔絵の刻印は初めて見ました。

続いて、二の丸に向かいます。
現在は二の丸広場として整備されています。

二の丸には藩校の時習館や上級家臣の武家屋敷が立ち並んでいました。

二の丸 西側を守る住江門。
石垣はネットで覆って保護されています。

住江門跡も枡形になっており、厳重な設計になっています。

住江門跡の前の石垣は崩落したままの状態です。

二の丸の石垣と堀。
住江門付近は石垣造りですが、基本は土造りとなっています。

続いて護国神社の脇を通って三の丸跡方面へ向かいます。

二の丸跡と護国神社や野球グラウンドを繋ぐ宮内橋。

橋の下は一般道になっていますが、元は堀だったのでしょうか。
明らかに堀底を活かして道路が整備されたように見えます。

橋を渡ると右側が護国神社。正面には野球グラウンド。
グラウンド沿いを右に進めば三の丸公園に繋がっています。

三の丸跡は三の丸公園として整備されています。
崩落した石垣が並べられています。

三の丸公園の前にある熊本博物館には、立派な石垣を見ることができます。

博物館の隣は旧細川刑部邸ですが、現在は休館中のため中には入れませんので、石垣だけ楽しみました。

敷地内の屋敷は、熊本市東子飼町で下屋敷として使用されていたものを、平成2年に4年を費やして移築されました。

三の丸桜所を上から観覧。綺麗な桜並木となっています。

三の丸広場に残る石垣。
公園の一部となって溶け込んでいますが、石垣の隅石を見ると先進的に算木積みになっています。

木の根が覆いつくし、石垣には木も生えて神秘的な状態になっています。
4時間半ほど熊本城を堪能しましたが、それでも百間石垣や監物櫓など、熊本城の魅力的なポイントを見ることができませんでした。

復旧作業が続く熊本城は2052年まで「今」が常に変わります。
行くたびに変わる姿を見れるのは、喜びでもあり楽しみでもあります。

熊本城は築城から今まで多くの災害に見舞われてきましたが、その度にその時代の職人が修復してきました。
2016年の震災は過去最大の被害でしたが、令和の職人がかつての姿を取り戻してくれるはずです。

2027年には幾つかの建物が復旧される見込みなので、また改めて来たいと思います。
上熊本駅から佐賀県に移動し、佐賀城を目指します。