世田谷城
世田谷城(せたがやじょう)は南北朝時代に関東管領 足利基氏から武功の恩賞として世田谷の地を与えられた初代吉良氏によって築かれたと伝わります。
築城の正確な時期は定かでないが、一説には貞治5年(1366)頃、吉良治家が世田谷城を築いたともいわれています。
城内には吉良氏の居館が置かれ、吉良御所または世田谷御所と称されるほど格式ある館でした。
Contents
世田谷城の見どころ

吉良氏は清和源氏流・足利氏の庶流にあたり、以後8代にわたり世田谷を本拠としてこの城で勢力誇りました。
戦国期には小田原の北条氏と姻戚関係を結びます。しかし、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めで、主家の北条氏が滅ぶと世田谷城主・吉良氏朝も運命を共にして所領を失い、吉良一族は上総国生実(現在の千葉市)へと落ち延びました。

世田谷城跡は現在、世田谷城址公園として整備されており、土塁と空堀が残っています。整備されているので、堀底からも空堀を見ることができます。
遺構は少なめで、立ち入れる場所は限られていますが、東京23区に残る貴重な遺構です。
江戸時代は彦根藩主 井伊領となったので、近くには井伊家の菩提寺となる豪徳寺があります。
豪徳寺の参道にも土塁らしき土盛が確認できます。

土塁

空堀
御城印
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世田谷城 周辺の天気
| 城郭構造 | 平城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 吉良氏 |
| 築城年 | 応永年間(1394年 – 1426年) |
| 主な城主 | 吉良氏 |
| 廃城年 | 天正18年(1590年) |
| 遺構 | 空堀、土塁 |
| 指定文化財 | 東京都指定旧跡 |
| 登録文化財 | なし |
写真で見る世田谷城
登城レポート
マップ
アクセス
■公共交通機関
・東京急行電鉄世田谷線「宮の坂駅」徒歩6分
■車・バイク
・首都高速3号渋谷線「池尻」から約15分
・首都高速4号新宿線「永福」約15分
■駐車場
・世田谷城阯公園は駐車場無し
世田谷城について
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成しています。築城時期ははっきりとしていませんが、世田谷郷が吉良氏の所領となった時期は少なくとも永和2年(1376年)以前であることは確実です。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は上総国生実(現在の千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城となりました。
開発が進み旧態は詳らかでないが、豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城阯公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられている。
遺構
世田谷城阯公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存しています。世田谷城阯公園内の遺構に関しては公園整備時に手が加えられています。
豪徳寺の参道脇や住宅地の裏手に土塁が確認できますが、立ち入ることができません。
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豪徳寺
豪徳寺の正式名称は、大谿山(だいけいざん)豪徳寺。文明12年(1480年)に、世田谷城主の吉良政忠が亡くなった伯母のために創建した臨済宗の弘徳院が前身とされ、その後、曹洞宗に改められます。
寛永10年(1633年)には当地を含む「世田谷領」と呼ばれる地域が彦根藩の支配となり、彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺に。2代藩主・井伊直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんで、豪徳寺と改号されました。
寺院内には井伊氏の墓所があります。
世田谷天満宮
寛治五年(1091年)、後三年の役の帰途、源義家公がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり、今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りしたのが始まりと伝わります。
1546年には当時の世田谷城主だった吉良頼康によって社殿を修築、造営が行われ備前雲次の太刀を一振り寄進したと伝わります。
勝光院
曹洞宗寺院の勝光院は、延命山と号し、建武2年(1335)に建長寺の吟峰竜公禅師が開山、世田谷城主吉良治家が開基となり、臨済宗金谿山竜凰寺として創建しました。天正元年(1573)吉良頼康の子氏朝が小机村雲松院の住持天永琳達禅師を招き、父頼康の院号より興善山勝光院と改称の上曹洞宗に改めました。
徳川家康関東入国後の天正19年には30石の御朱印状を拝領しています。また境内には世田谷吉良家歴代の墓所など多数の世田谷区指定文化財があります。
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