【東京都】世田谷城

CASTLE DATA FILE.117
登城日:2026年5月5日
交通手段:中野駅から自転車で30分
ステータス:ー
ジャンル:平城
遺構:土塁・空堀
復元建築:ー
スタンプ:ー
御城印:カフェヤスクーカで購入
東京23区に残る中世城郭の遺構と、別世界の歴史の足跡
九州遠征に行ってから1ヶ月。
写真の整理やサイト制作に時間を費やす日々で、城に行くことができない日が続きました。
流石に九州で15城もコンプリートしたので、写真整理だけでもかなり大変でした。
今回は東京23区にある数少ない城跡となる世田谷城に初訪城です。
都内なので自転車で向かい、自宅からは12km程で45分くらいで到着。

世田谷城跡は城址公園として整備されています。
この地は吉良氏の所領となった時期は、少なくとも永和2年(1376年)以前であることは確実視されています。
世田谷郷を本拠地としていたことが確認できるのは、南北朝時代の応永33年(1426年)になってからです。

城址公園の説明看板裏には土塁が残っています。
公園としての整備によって改変はされていますが、土が盛り上がっているのが確認できます。

整備されているので堀底に降りることもできます。

堀の深さは5〜6m程でしょうか。
堀底からのアングルが一番、遺構の迫力が伝わるかなと思います。

堀は2方向に分岐しており、どちらも遺構保存のためか堀底には立入禁止になっています。

土塁の上から見た空堀。
公園整備で近世に石で土留めをされていますが、形状はハッキリと残っています。

土塁の上から見た空堀の分岐。

世田谷城址公園はかなり狭い範囲の為、公園内の遺構はこの土塁と空堀のみとなります。

城内の解説板によると世田谷城址公園は郭1の箇所となり、土塁は縦長に残っているようです。
立入禁止となっているので、近寄ることはできません。

城内の看板にある江戸各所図絵にある世田谷城。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めによる北条氏の没落に伴い、吉良氏は現在の千葉市に逃れ世田谷城は廃城となったと伝わります。

歩いて住宅街を歩くと、遠くに土塁が保存されているのが確認できました。
少し遠くから眺めると、土塁は高さがあるように感じます。

世田谷城跡の近くには豪徳寺があります。
世田谷城に来たら、この豪徳寺はマストです。

豪徳寺の参道入口。
世田谷城にはあまり人はいませんが、豪徳寺には多くの観光客がいました。

豪徳寺の参道の右側には、高く盛られた土が柵の上から頭を出しています。

柵越しに見てみると、おそらく土塁ではないだろうかと思われる土盛りになっています。
集合住宅になっており、関係者以外は中に入れませんが、豪徳寺側からも少しだけ見ることができます。

豪徳寺には井伊家の墓所があり、東京都指定史跡になっています。

豪徳寺の山門。
この山門は明治17年に建立されました。
井伊家は江戸幕府の譜代筆頭家老で、5代6度の家老職を出しました。
井伊直政は徳川家康の重臣で、徳川四天王となり関ヶ原後に彦根に18万石を与えられました。
国宝の彦根城は代々 井伊家の居城です。

山門を抜けると参道のど真ん中に高炉と狛犬が鎮座。
ポイントは井伊家の家紋。

仏殿は江戸時代の1677年に建立された、大変貴重な建物です。
1990年に世田谷区の有形文化財に指定されています。

上部にも井伊家の家紋が輝きます。
真ん中は「丸に橘」紋で、両サイドは「井桁」紋。どちらも井伊家の家紋になります。

仏殿の入母屋部。
普段は城郭建築ばかりを見ており、特に御殿建築との共通点は非常に多いですが、入母屋の下に造られた裳階などは寺院建築特有なので新鮮です。
裳階が雁木のように庇の役割をしています。

鬼瓦にも井伊家の家紋!
まさか都内で、彦根藩の井伊家一色に巡り合うとは思いませんでした。

仏殿の前にあるのは三重塔。
高さ22.5mで迫力ある建築物です。

古風で伝統的な様式の三重塔ですが、2006年に落慶された比較的新しい木造建物となります。

三重塔の前には猫を祀った招福殿があります。
猫と豪徳寺は深い関わりがあり、彦根藩主の井伊直孝は鷹狩りの帰りに、お寺の門前にいた猫に手招きされ立ち寄ったそうです。
寺で過ごすと突然落雷が鳴り、雨が降り出しました。
落雷を避けられ、和尚と楽しい話ができた直孝は、その幸運に感動したと伝わります。
豪徳寺は井伊直孝に支援され1633年に再興しました。そして、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、招福殿が建てられました。

猫の銅像の先を進むと井伊家の墓所があります。
井伊家の本拠は滋賀県の彦根ですが、下野(現在の栃木県佐野市)に1万7693石、そして世田谷、用賀、瀬田、弦巻で2306石の領地を与えられました。
そもそも、この地が井伊家の領地だとは知りませんでした。

都内であることを忘れてしまう程、この空間だけが妙に穏やかで静けさに包まれています。

井伊直孝の墓所。
唐破風のような装飾が施された墓石。井伊家の場所内の墓石はほぼ同じ形をしていました。
桜田門外ノ変で暗殺された、老中 井伊直弼の墓もあります。

豪徳寺内にある梵鐘。
ひっそりと佇んでおり、観光客の方々は素通りしていましたが、この梵鐘は仏殿同様にとても貴重な遺物です。

梵鐘は延宝7年(1679年)に完成してから今日まで移動されることなく、この地にあり続けています。
製作者の藤原正次は当時、江戸では名のある鋳物師でした。
世田谷区内に伝わる梵鐘としては現存最古となります。

城山通りから宮の坂駅方面に行き、次の目的地に向かいます。
宮の坂駅は東急世田谷線で世田谷城の最寄り駅となります。

駅の名の如く「宮」なので、駅の前には世田谷八幡宮があります。

世田谷八幡宮の創建は1091年で、源義家が奥州からの帰る途中に豪雨にあい、天気の回復を待つ為に10日間滞在したことが始まりとされています。
1546年には当時の世田谷城主だった吉良頼康によって社殿を修築、造営が行われ備前雲次の太刀を一振り寄進したと伝わります。

江戸時代には徳川家康から社領十一石が寄進されたので、現在の境内地は四千坪となります。
お参りをして次の目的地に向かいます。

世田谷八幡宮から歩いて7分程で、延命山 勝光院に到着です。
山門と門脇には均整がとれた2本の杉の木が立ち並びます。

勝光院は中世戦国時代に世田谷城主だった吉良氏の菩提寺で、1335年に吉良氏が創建したと伝わります。
ちなみに「吉良氏」と聞くと1701年の「松の廊下殺傷事件」と、忠臣蔵の「赤穂事件」を連想しますが、こちらは三河吉良家になります。

勝光院は徳川家康が関東に入封後の1591年に、三十石の朱印地を与えられたお寺です。

本堂の彫刻。
中央には龍が彫られています。

梵鐘は1698年に造られたもので、世田谷区で2番目に古い梵鐘です。世田谷区の有形文化財に指定されています。
先ほど行った豪徳寺が最古なので、とても近い距離に貴重な梵鐘が2つあることになります。

本堂の裏には書院があります。非公開なので外観も含めて見ることができませんが、江戸時代の1823年に造られた建物で、梵鐘と同じく有形文化財に指定されています。

世田谷城から自転車で数分、歩いて10分ほどの場所には世田谷代官屋敷が残ります。
江戸時代に彦根藩井伊領 世田谷の代官職を明治まで務めた大場氏の屋敷であり、代官役所です。
大場氏は元はこの地を治めていた吉良氏の重臣でしたが、井伊家の領地になると代官に起用されました。

茅葺の表門と大場氏の主屋は現存建築で、国の重要文化財に指定されています。
この日は休業だった為、内部には入ることができず。
また別の日に行ってみたいと思います。
初めて世田谷城に行きましたが、歴史が密集しており充実した時間でした。
世田谷城は遺構が少なめではありますが、この地に城があった足跡が残っています。
23区内でアクセスも良く、気軽に行けるのでおススメスポットです。









