石神井城

石神井城は豊島氏の居城で、豊島泰経が城主だった1477年(文明9年)に江戸城主・太田道灌に攻められ落城した。
現在、城址は石神井公園として整備されており、内郭の空堀と土塁がわずかに残っている。また、三宝寺池西南端付近に空堀の痕跡、その南側住宅地内に物見櫓跡の痕跡が確認できる。
東京都指定文化財史跡。

石神井城の見どころ

歴史ポイント

石神井城を築城した豊島氏は、現在の東京都周辺に勢力を持っていた武家で、平安時代から室町時代にかけて国人系領主として存続しました。
文明5年(1473年)当主の豊島泰経らが、扇谷上杉氏と対立した長尾景春に味方したことで、上杉方の武将 太田道灌と険悪化します。
文明9年4月、江古田・沼袋の戦いで太田道灌との戦いで豊島方は大敗。
豊島氏の城の練馬城、石神井城が次々と太田道灌によって落城し、翌年 豊島氏宗家は滅亡したと伝わります。

遺構ポイント

石神井公園として整備されている石神井城には土塁や空堀が残っています。
しかし、遺構保存の為近寄ることはできず、フェンス越しに遺構を確認することができます。
また、石神井公園の三宝寺池は石神井城の濠と伝わります。
石神井城の近くの石神井氷川神社は城主の豊島氏が城の守護神として創建しました。同じく城の近くの道場寺は豊島氏の菩提寺なので、併せて周るのがおすすめです。

石碑

空堀

石神井城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • 西武鉄道「石神井公園駅」から近くアクセスは良好。急行も止まるので、池袋から15分程度で到着できる。
  • 遺構は主に土塁と空堀で一部が残って、保存されている。公園としては整備されているが、遺構の少なさからか、城としての整備は少ない

平均:56/100 ポイント
合計:335/600 ポイント
おススメ度:★★☆☆☆☆

■見どころバロメーター

■東京都 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー

石神井城の御城印

※営業時間や配布場所は最新情報をご確認ください。

御城印販売

■・渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館
 開館時間:3~11月▶11:00~16:30
      ※休日は17:00まで
      12~2月▶11:00~16:00
      ※休日は16:30まで

石神井城の周辺天気

城郭構造連郭式平山城
天守構造なし
築城主豊島氏
築城年鎌倉時代後期
主な城主豊島氏
廃城年文明9年(1477年)
遺構土塁、堀
指定文化財都指定史跡

写真で見る石神井城

石神井城 内郭入口と水壕
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石神井城 内郭入口と水壕
石神井城 内郭空堀
石神井城 内郭空堀
石神井城石碑と内郭土塁
石神井城 内郭土塁
石神井城 三宝寺池
石神井城 勝海舟屋敷 移築長屋門
石神井城 勝海舟屋敷 移築長屋門
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・西武池袋線・石神井公園駅から徒歩20分
・西武新宿線・上石神井駅から徒歩20分

■車・バイク
・関越自動車道・大泉ICから15分
・関越自動車道・練馬ICから15分

■駐車場
・石神井公園第一駐車場(有料:41台)、第二駐車場(有料:18台)

石神井城の歴史

石神井城の築城時期は定かではないが、一般的には室町中期頃であったと考えられている。鎌倉期以降宇多氏・宮城氏らの館が構えられていた場所に、彼らと婚姻関係を結びながら石神井川流域の開発領主として勢力を伸ばした豊島氏が築いた城で、以後この地は豊島一族の本拠地にもなった。

豊島氏は貞和5年(1349年)に石神井郷の一円支配を開始したものの、応安元年(1368年)の「平一揆の乱」に敗れて関東管領・上杉氏に所領を没収されており、その後応永2年(1395年)になってようやく同郷を還補(げんぽ=所領返却)されている。

石神井城内に鎮守として祀られている氷川神社、城内に創建された三宝寺のいずれもが「応永年間の建立」と伝えられていることから、城もこの還補直後(応永年間)に築かれたとする説が有力である。

平安期以来、武蔵の名族として名を馳せていた豊島氏は室町時代中期、新興勢力の扇谷上杉氏家宰太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において太田道灌に攻められ没落した。

文明9年(1477年)のこの戦いにおいて、豊島氏は当主の泰経とその弟泰明(ただし、当時の史料には「勘解由左衛門尉」「平右衛門尉」との官途名の記述しかなく、実際にそう呼ばれていたか否かは不明である)はそれぞれ石神井城と練馬城に拠り道灌と対峙したが、同年4月13日練馬城を攻撃された後の江古田原の戦いで惨敗を喫し、泰明は戦死、泰経は石神井城に敗走している。

その後、4月14日に道灌は石神井城近くの愛宕山(現:早稲田大学高等学院周辺)に陣を張り石神井城と対峙、18日になって一旦和平交渉が結ばれた。しかし、豊島氏側が条件であった「城の破却」を実行しなかったことから、21日に道灌は攻撃を再開、外城が攻め落とされたため、泰経はその夜城を捨て逃亡した。

構造

石神井城は石神井川と三宝寺池(石神井公園)を起点に延びる谷との間に挟まれた舌状台地上に位置する。ただし、同時期の他城郭とは異なり、台地の先端ではなく基部に占地し、堀切を用いて東西の両端を遮断している。

現在城域一体は開発が進み旧態は失われているが、土塁と空堀を廻らせた内郭が僅かに残っており、発掘の結果、折れを伴った堀・土塁によって城内が複数の郭に区画されていたことが判っている。この城の最終形が完成したのは太田道灌との緊張関係が高まった15世紀半ばで、同時期に江戸城への「対の城」として大掛かりな増・改築が行われた可能性が高い。

城は西から東へ延びる約1キロの舌状台地の西端から中央部にかけて築かれており、全体像はいまだ不明である。中心部規模は南北約100〜300メートル・東西約350メートルで、面積は約3万坪。北は三宝寺池、南・東は石神井川という“天然の水堀”によって守られていた。

中心部内郭が、台地の先端では無く中央部付近に築かれたのは、豊富な水量を持つ三宝寺池に接する位置の方が、生活利便の上でも防御面においても優れていたためであったと思われる。なお、人工の防御は全て西向きに造られており、これは北・南・東からの侵入が物理的に不可能であったことを示すものと考えられている。

台地の付け根部分は、幅約9メートル、深さ約3.5メートル(土塁頂部との高低差推定7メートル)、延長約300メートルにも及ぶ「大濠」によって断ち切られており、その先は小規模な空堀と土塁が内郭に至るまで連続する構造となっていた。

『新編武蔵風土記稿』には、「櫓ノアリシ跡ニヤ、所々築山残レリ」とあるが、現在もその名残りとして、大濠内側の地表に若干の高まりが見られる(かつての規模は頂部25×15メートル・径40メートル・高さ0.8メートル。昭和32年の調査では、柱穴が検出されたほか、陶磁器片2片が出土)。

また、大濠の西、内郭の東にも外城や城に付随する何らかの施設があったと考えられている(東側には「大門」の小字あり)。

内郭部分等では、これまでにもたびたび発掘調査が行われており、近年においても1998年から2003年にかけて6年連続で実施されている。この時には、内郭の空堀が「箱堀」で、深さ約6メートル・上幅約12メートル・下幅約3メートルであることが判明。

人為的に一部が埋められた跡も確認された(道灌に対して一旦降参した際の痕跡とする説が有力)。土塁の基底部幅は16.3メートル、高さ約3メートル(城が存在していた当時の高さは推定約6メートル)。また、内郭の土塁内側からは1間×1間の掘立柱建築物、3間以上の総柱または庇付建物の可能性がうかがえる柱穴が検出された。

そのほかには直径約4メートル、深さ約3メートルの巨大な地下式坑が検出され、これは食料貯蔵庫の跡と推定されている(地下式坑は昭和42年調査では計3か所検出)。内郭への出入りは、土橋がない状態であっても西側に「折(おり)」(真横から矢を射掛けるための構造)が存在することから、木橋によって行われていたとみられる。

また、土塁中からは道灌との合戦時期に近い15世紀頃の常滑焼片が出土しており、内郭は戦闘に備えて急遽増築されたものとも考えられている。内郭からは遺物として、12世紀以降の陶磁器、かわらけ、瓦、小刀、砥石など(以前の調査では灯明皿、石臼片、焼米、鉄釘、墨等も記録されている)が出土。

陶磁器は日常品が少なく、白磁四耳壷・青白磁梅瓶・褐釉四耳壷などの威信材が目立つ。これについては、「戦闘前に貴重品を内郭に運び込んでいたため」とする説もある。全体的には生活痕が乏しく、そのため近年では「内郭は生活の場ではなく、非常時の籠城用施設であった」とする見方が有力となっている(城主の平時の居館の位置については、「三宝寺裏山付近」とする説が有力。

※内郭部に隣接する場所で、近年まで土塁・空堀がみられたこと等からの推測)。なお、土塁南側には切れ込みが観察されるが、これは虎口ではなく、近世に入ってから造られた通路である。

現在、内郭は遺構保護のためフェンスが設けられており、無許可で立ち入ることは出来ない。

遺構

内郭の空堀及び土塁が石神井公園内に残る。また、三宝寺池西南端付近に空堀の痕跡、その南側住宅地内に物見櫓跡の痕跡(円形の高まり)が認められる。

愛宕山城

愛宕山城は、石神井川をはさんだ対岸の小高い岡(現・早稲田大学高等学院・中学部)にあり、石神井城のある岡から約700m離れている。平成4年に学校施設建て替えのために発掘調査が行われ、コの字形の堀が発見された。

石神井川源流や南方台地を監視するために石神井城の支城として築かれたと考えられ、のちに石神井城を包囲した太田道灌の陣城として再利用したと推測される。

石神井城 周辺スポット

三宝寺

石神井城の近くにある三宝寺には、幕末のキーポインター、勝海舟の屋敷の長屋門が移築されています。
昭和35年に移築されたもので、格式高い長屋門で練馬区の有形文化材に指定されています。

→マップ

道場寺

室町時代に、石神井城主・豊島景村の養子である豊島輝時が大覚禅師を招いて創建した、豊島氏代々の菩提寺です。もとは臨済宗でしたが、江戸時代初期に曹洞宗へ改宗しました。戦国時代の北条氏康印判状や、文応元年(1260年)の弥陀板碑などが区の指定・登録文化財となっています。

石神井氷川神社

石神井氷川神社は、室町時代(応永年間:1394年〜1428年)にこの地を支配した豊島氏が、居城である石神井城の守護神として武蔵国一宮である大宮の氷川神社から御分霊を勧請して創建した神社です。
境内には、江戸時代に豊島氏の子孫が奉納したとされる古い石灯籠が残されており、練馬区の登録文化財になっています。

石神井城 周辺宿泊施設

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