【埼玉県】滝の城

その他 城北条氏ゆかりの城,土塁,空堀,馬出

CASTLE DATA FILE.53

登城日:2026年5月12日
交通手段:東京都中野区から自転車で60分
ステータス:県指定史跡
ジャンル:平山城
遺構:土塁・空堀・障子堀・土橋
スタンプ:ー
御城印:ー
前回訪城:2024年12月29日

複雑に張り巡らせた深い横堀によって、独立した曲輪が光る

2024年12月以来の訪城となる滝の城。
埼玉県所沢市にある城で、関東一円では戦乱の時期だった15世紀後半に築城されたと考えられています。

享徳の乱の中で扇谷上杉氏が、江戸と河越を結ぶつなぎの城として、整備と拡張されたという説が、出土品から有力視されています。
やがて、小田原北条氏が関東で勢力を拡大すると、北条氏康の三男、北条氏照の支配下に入ります。
1590年に豊臣秀吉による小田原征伐で、浅野長政によって北方から攻撃を受けて1日で落城したと伝わります。

滝の城まつりの開催が近いので、ポスターと幟が至る所にあります。
特に幟は広範囲に、見た限りでもかなり多く掲げられていたのが印象的でした。
幟には北条氏の家紋で、まつりの大名行列も北条氏なので、滝の城は北条氏の城としてPRしています。

滝の城まつりは「滝の城跡」を広く知ってもらいたい後世に残そうと、地元の有志によって2012年から開催されてきた祭りです。
城郭保存のモデルケースのような取り組みです。

後世にどのように歴史を伝えて、どのように城郭を活用していくのかは、自治体や地元の方々の力があってこそ。

天気も良かったので今回は自転車で向かいました。
自宅からは自転車で片道18km、1時間少々で滝の城周辺に到着です。

背後の山が滝の城となります。
周辺は、のどかな風景が広がります。

滝の城の近くには柳瀬川が流れています。
城郭南側は柳瀬川が天然の堀のように、川に沿って城が造られています。

橋には城郭の雰囲気が取り入れられています。
このちょっとした自治体の取り組みがとても重要です。

滝の城址公園として麓は整備されており、野球場やテニスコートになっています。
駐輪場や無料駐車場も完備されており、トイレも公園にあるので整備は完璧です。

自転車を停めて登城開始です。

七曲坂から城山神社方面に向かうと霧吹きの井戸跡があります。
この井戸には伝承があり、昔この井戸には竜が住んでおり、度々悪さをしたことから村人たちは竜を退治するため柳瀬川の対岸に舞台を作り、お祭り騒ぎをして竜をおびき出して弓を射いたという伝説があります。

滝の城の本郭には、城山神社が鎮座しています。
城山神社の鳥居を抜けて本丸に直接行くこともできますが、遺構を見ながら行くには北側から入城するのがベストです。

霧吹きの井戸跡もある七曲坂は、江戸時代から呼ばれていたことが記録されています。
堀切のように尾根が分断されているのが気になるところ。

尾根が分断された場所には稲荷神社が鎮座します。
道を挟んだ対面が城山神社です。

稲荷神社の前には堀跡が残ります。
このあたりには、神社や石碑などが密集しており、何となく聖域のような場所です。

堀の隣には山のように盛り上がった土塁が残ります。

さらに土塁の脇にはもう一つの堀が残ります。
道路側の土塁は、道路整備で削られた可能性がありますが、綺麗に形が残っています。

カーブになっている土塁には「血の出る松」があり、戦国時代に落城した際、城兵の血を吸って赤色の樹液が出るようになったという伝承がありました。

今は枯死して伐採されています。石碑が建っているのですが、何故か写真がピンボケしたので掲載できず。

七曲坂を回り込むと平地となり、城山神社のもう一つの入口となります。
公園化されていることで、至る所から滝の城には入城可能ですが、こちらから入った方が遺構を順序良く見ることが出来ます。

看板の裏側には先ほど稲荷神社側から見た堀跡が見えます。

ここは二重の堀となっており、土塁の反対側も堀となります。
こちらの横堀は深さもあり見応えあります。
切れ目から堀底に下りることもできます。

奥の神社社務所がある平場が二の郭で、その周りを囲むように横堀が設けられています。

堀底を直進すれば七曲坂と、先ほど見た稲荷神社になります。
左側が二の郭跡、右側が二重の堀を挟む土塁。
主郭が近いこともあってか、防御力が高めです。

稲荷神社方面の堀底からも撮影。
見事な横堀です!

空堀堀底から見た二の郭北側の横堀。
高めの土塁と正面には二の郭に入るための土橋が確認できます。

角度を変えて、もう一枚。
土橋の先にある鳥居が二の郭の入口となります。

二の郭に繋がる土橋。
先ほど空堀から見た土橋となり、鳥居の先が二の郭。

土橋から見た右側には二重の堀。

角度を変えてもう一枚。
迷路のように横堀を張り巡らせています。

土橋から見た左側の二の郭を囲む横堀。
左側の二の郭は、攻めてくるを横からも攻撃できるように張り出した設計になっています。

二の郭をぐるりと囲む半円を描いた横堀になっています。

張り出した左側の二の郭跡。
今週予定となる滝の城まつりの準備が進められています。

二の郭北側の土塁。

二の郭から見た横堀。
深く掘り込まれており、上から見ると迫力があります。

二の郭から本郭に入る土橋。
土橋の先が城山神社となり、本郭跡になります。

土橋の右側。
左側が本郭となり右側が二の郭で、隔てる横堀は深く堀底が狭くV字型の薬研堀になっています。

堀底からのショット。
鋭いV字型状であることが見てとれます。
滝の城には幾つも空堀がありますが、堀底が広い箱堀が基本となります。

土橋の左側も横堀で防備されています。
こちらは本郭を攻めた跡に向かいます。

本郭には城山神社の本殿が置かれ、この地を守り続けています。
1908年に愛宕社、熊野社、天神社を合祀してできた神社ということですが、その前にあった神社はいつ創建されたのかは、調べても分かりませんでした。

熊野社は平安時代末期から鎌倉時代に武士の間で武士に厚く信仰され、戦勝に所縁があることから特に東国武士に参詣が盛んになりました。

城の近くに熊野神社を勧請して信仰したので、逆に言えば熊野神社の近くには城があることが多いです。
北条氏に所縁のある城の周りにも、熊野神社は多いので注目です。

本郭から見た景色。
標高は約50m、一帯には平野が広がるので低い山でも景色が良いです。

本殿の裏側に回ると、横堀を上から見ることができます。
三の郭と本丸の横堀は滝の城で1番深く、防御力が高くなっています。

本殿裏に残る四脚門跡。
馬出と本丸には橋が架けられており、本丸側には門が建てられていました。

城山神社の社殿改修に伴って、平成2年に本郭で発掘調査が行われました。
その際に四脚門の跡が検出されました。

焼土が広がっていたので、焼失したことが判明しています。

四脚門跡から見た対面の馬出方向。
深い空堀でこの一部だけが土が盛られています。
四脚門の跡が検出されたことで、この場所に橋が架かっていたと考えられるようになりました。

本丸の空堀に沿って三の郭方面に向かいます。
右側が本郭と横堀、左側が馬出です。

本郭の空堀は現状でもしっかり形状が残っているように思えますが、現状よりも3m以上深い堀だったようです。

V字に土が盛られている箇所に、橋が架けられていたと推定されています。
発掘調査で柱穴跡と、炭化物や礫が検出されているので、四脚門同様に焼失したと考えられています。

角度を変えてみます。
奥には本郭があり城山神社の本殿が見えます。
この場所に橋が架かっており、対面に四脚門がありました。

橋の前には馬出が広がります。

馬出と二の郭を仕切る横堀。
左側が二の郭、右側が馬出になります。

左奥の堀底の発掘調査で、作業途中に水が湧き出たことで掘り下げが中止になりましたが、ピンボールを刺して測量した結果、現状の地面から3.4m下に堀底があることが判っています。

かなり深い空堀だったと考えられます。

角度を変えてもう一枚。
手前には馬出の横堀があり、さらに奥にせり出した二の郭の横堀に接続されているので、堀が複雑にクランクします。

三の郭跡。
北条氏照が家臣と茶の湯を楽しんだと伝わる郭で、茶呑み郭とも呼ばれています。

三の郭から見た本郭の横堀。

こちらも三の郭と本郭を仕切る横堀。
とにかく滝の城は遺構の残存度が、非常に高い城跡です。

三の郭には大井戸跡が残ります。
発掘調査で6段の階段と井戸跡が検出されました。

驚きなのが、深さ8.4mまで掘り下げられましたが、井戸底まで到達することが出来ず、安全上の観点から調査が終了しています。
かなり深い井戸跡であったことが分かっています。

三の郭は四方を深い空堀を巡らせて完全に独立した郭なので、籠城戦を考えると何がなんでも水が必要であったと考えられます。

三の郭と馬出の間にある門跡。
発掘調査で1列の石敷きと7本の柱穴が発見されています。
炭化材が出土していることから、門は焼失したことが判明しています。

三の郭から見た門跡。
対面に見える郭が馬出。

この門跡からは扇谷上杉氏の城でよく見られる「ウズマキかわらけ」が出土していることから、扇谷上杉氏が滝の城を使用していたことは間違いないようです。

門跡を進んで三の郭の周りを歩きます。
門の先は土橋になっています。

土橋から見た左側の横堀。
左は馬出で正面が二の郭となります。

この馬出は、三の郭前に建てられた門と、本郭に架けられた橋を防備するために設けられたと考えられます。

土橋から見た右側は、横堀が三の郭を囲みます。

振り返った土橋。
左側が三の郭の横堀、この土橋の先に門跡があります。

三の郭の横堀沿いに進み、東郭へと向かいます。

三の郭東側の堀底は、整備されて通路となっています。
右側の、三の郭が高いので、迫力ある通路となっています。

三の郭の南側下には東郭があります。
東郭から本郭の堀底に行くことができるのですが、草が生い茂っているので今回は撤退しました。

公園を出て推定大手口に向かいます。
城郭北側にあたる、この先が大手口と推測されています。

今は普通の空き地になっていますが、縄張り図を見ると、このあたりが大手口だと思われます。

大手口付近の脇には、立ち入りができませんが城址公園の森があります。
草木が生い茂って見えないのですが、下はかなり掘り込まれた段差になっています。

発掘調査では深さ5mもあるクランク状の堀が、約40mに渡り検出されています。
そして、堀底は北条氏築城術の代名詞ともいえる障子堀となっていたようです。

城山公園の周りは企業の建物や一般住宅が建っており、城の雰囲気は失われています。
この写真のあたりには外堀があったようで、発掘調査で外堀には大手口と同様に障子堀が発見されています。

滝の城は民間開発に伴う発掘調査を11回、史跡整備を目的とした学術調査を10回も行っていることから、かなり遺構が明確です。

城山神社の社務所付近に、令和8年3月発行の発掘調査のパンフレットが置かれていました。
前回、訪城した際は無かったのですが、このパンフレットがとても充実した内容で、分かりやすいシロモノでした。

前回よりも理解度を深めながら周ることができました。

前回訪問した際も同じことを感じましたが、滝の城は埼玉県の指定史跡ですし、これだけの遺構が残っているので、もっと注目されて欲しい城です。

城郭範囲は宅地開発などで狭くなっていると考えられますが、北条氏による築城の特徴がよく残っています。

草が生い茂った時期だったので、また冬の時期に来て、大手口付近と出郭付近を周りたいと思います。