【東京都】初沢城

CASTLE DATA FILE.118
登城日:2026年5月6日
交通手段:高尾駅から徒歩10分
ステータス:都指定史跡
ジャンル:連郭式 山城
遺構:堀切・土橋・竪堀・曲輪
復元建築:ー
スタンプ:ー
御城印:ー
宅地開発という本当の廃城から守られ、今に残る謎の城
昨日の世田谷城に続き、本日は東京都八王子市にある初沢城に訪城しました。
八王子市には北条氏照が居城にしていた滝山城、八王子城が有名で、初沢城はあまり聞き慣れない城です。
八王子一帯には城跡が多く残っているので、今後も少しずつ攻めていきたいと思っています。
中央線に乗って「高尾駅」で下車。
登城口までは約10分ほどなので、電車でも気軽に行ける好アクセスがポイント!
京王線も走っているので抜群です。
初沢城の歴史は、鎌倉時代に片倉城を居城としていた高乗寺開祖の長井氏によって築城されたと伝わります。
不明点が多く謎だらけの城ではありますが、後北条氏の時代には、北条氏照の居城 八王子城の支城でした。
豊臣秀吉による小田原征伐で豊臣軍と激突した北条氏。
1590年6月23日に八王子城は陥落。支城となる初沢城も落城しました。

近くには浅川小学校があり、学校の敷地沿いを進むと到着できます。
少し小高い山が初沢城となります。
初沢山の尾根沿いに造られた城で標高は294m。麓からの比高は100m程度です。

城に近づくと、高尾みころも霊堂という霊園の建物があるので、こちらを目指すと迷うことがなく高尾駅から進むことができます。

初沢城の登城口は大きく2つあります。
駅から近いのは高尾天神社から登る北側のルート。山の反対側に南ルートがあります。
今回は駅からも近いので北側ルートから登城します。

急な階段を登ると高尾天神社があり、初沢城の登城口となります。

階段上からの景色。
時間は14時で天気は曇り。気温は暖かく悪くないコンディションです。

まだまだ登城口の入口ですが、割と市街地との高低差があるのが、写真でお分かり頂けると思います。

階段の上には高尾天神社のある敷地が広がります。
高尾天神社は1983年に、福岡県の太宰府天満宮から分霊して創建されました。

神社の近くには学問の神と呼ばれる藤原道真の銅像が建っています。

この平場からは高尾の街並みを一望できる、絶好のポイントになっています。

藤原道真の銅像の脇にある階段から登城を開始します。

左側は急な斜面で、神秘的に生える木を潜り抜けて進みます。

初沢城には縄張りが分かる解説板やマップが無いので、赤色立体図を元に縄張りを説明。
廃城から年数が経過しているので、明確にどこまでが城域で、どこまでが当時の形状であったかは謎なので、完全に個人的な妄想と思い込みで書き綴ります。

坂を進むとワイドな空間となります。
正面は一段高く赤色立体図の「神社上の平場」となっており、何となく枡形のようにも見えます。

上から見ると攻撃しやすい造りになっているようにも思えます。
当然、個人的な妄想なので遺構かは不明です。

高尾天神社から一段上がって、広めの平場となります。
このあたりも個人的には何かしらの曲輪だったのでは?と感じます。

この場所が当時の曲輪であるとはネットで調べても、特に書いてはないので確証は無いのですが、城郭らしい造りをしています。
その観点を念頭に置きながら、検証していきます。

至る所から高尾市街が一望できます。

高尾天神社側には腰曲輪のような平場が配置されています。

個人的に気になったのは、神社脇の登城路との合流地点付近。
土塁と堀のような形状をしています。
もちろん後世に改変された可能性もあります。

木を伐採したばかりで、見やすくなったからでしょうか。やはり土塁や堀のように思えてしまうのです。
続いて山の山頂となる郭1を目指します。

神社付近は穏やかな雰囲気でしたが、登城開始早々、テイストが変わって城郭の雰囲気が増します。

山の尾根に沿って進みます。尾根の脇は割と深い谷となっています。
自然地形を活かした城であったと考えられます。

中間には幾つか分岐点があります。
看板がないので注意が必要です。
ネット情報では案内板があるので迷わないと書いてることが多いのですが、現在は分岐点には道を示すものは見当たりませんでした。

分岐がある場所には登城口と同じく平場が設けられています。

振り返ってのショット。
左側が登ってきた登城路で右側が平場になっています。

上から見ると登城路を見渡せるようになっています。
攻撃するには絶好の造りで、このような平場が仕掛けが幾つか確認できます。

途中、急な斜面もあります。
しかし、登城路は綺麗に整備されているので登りやすく、ハイキングにも最適なコースです。

ゆっくり写真を撮りつつ、周囲の遺構を確認しながら15分ほど歩くと道が急に狭くなります。
右側は郭1となります。

道が分岐して、真っ直ぐ進むと郭2方面へ。
180°回り込むと郭1方面に進むことができます。

まずは郭1方面に向かうため、180°ターンしてさらに登ります。

山頂部の郭1はかなり細い曲輪となっています。
ベンチが置いてあり、ひっそりと静寂な空間が流れます。

木が多いので景色を望むことはできませんが、おそらく城郭や城下を一望できると思われます。

居住する空間としては小さすぎるので、考えられるのは物見の監視的な役割、または狼煙台だった。
もしくは登城路から攻めてくる敵を迎撃するための施設だったのかなと感じます。

赤色立体図で見る郭1。
十字が山頂部の郭1。周りには腰曲輪が幾つも展開されています。

ベンチがエモい。
右側の窪んだ場所から下に降りることができます。

郭1の虎口であったかは謎ですが、山頂部から腰曲輪の方面に降りて、下から郭1を見てみたいと思います。

左側の一段高い場所が郭1となります。
斜面は人工的に削られています。

振り返っての一枚。
右側が郭1、左側は急な斜面となります。一眼レフのレンズフィルターを変えたので調子良き。

登城路から見た郭1。
下に進むと郭1は見上げるほど高くなります。
やはり、郭1は防御的な施設だったのかなと感じます。
続いて郭2と郭3を目指します。

郭2の入口となる尾根には、かなり小規模ですが土橋のようになっています。

両脇が削り込まれているのが確認できます。

反対側もかなり浅めではありますが、斜面に沿って削り込んで竪堀となっています。

振り返ってのショット。
奥に見える坂道が郭1に繋がる登城路です。
この角度から見ると土橋のように見えます。
両脇に竪堀を設けて尾根をスリムにしてあります。
今のところ、遺構らしい遺構を初めて見ました。

郭2も、郭1同様に細長く小さな平場です。
こちらも居住地としては狭すぎるので、防衛施設と考えられます。

郭2の先には、一段低い場所に郭3が連続しています。
郭2と郭3が接続する箇所は、両脇をうっすら削り落としているのが確認できます。

振り返ってのショット。
土橋のようになっています。

郭3も小さな郭です。
突き出した形状をしているので、物見の役割や防衛的な役割があったように思えます。

郭3から貯水槽方面に下ります。

下から見た郭2と郭3の接続部。
石塁は土留めの役割で後世に積まれたものです。

真下からも撮影。
左側は郭2、一段下には郭3。
中間部は削り落として土橋になっています。
郭2と3は細長い郭でしたが、下から見ると狙われている感があり、防御的な能力値は高めです。

郭2と郭3の下には貯水槽があり、この場所が一番大きな平場となっています。
個人的にはこの大きさのスペースなら兵も駐屯できるし、建物も建てれるかなと思い貯水槽近辺を徘徊。

消えかかった文字が書かれた、とても小さな白い板が柵の前に立てられています。
よく見ると初沢城二の丸跡と書いています。

この場所が二の丸であったかは不明ですが、広さからすると何かしら城の一部であったことは十分に考えられます。
山の上部はこの貯水槽の平場以外は、兵を駐屯させる場所も見当たりませんでした。

貯水槽の設置による改変はあるようですが、土塁のような土盛りもあります。
フェンスを見ると形状がハッキリと分かります。

左側がかなり盛り上がっているのが分かります。

下からも確認してみます。
貯水槽の設置と管理の為に、後世に通された道の可能性もあるので判断するのは難しいですね。

南側から一度下山。写真は下から見た初沢城です。
そして、初沢山の麓にある髙乘寺に向かいます。

初沢城南側の登城口から髙乘寺までは、歩いて15分ほどでした。
1394年に開創された髙乘寺は、臨済宗から曹洞宗へと改宗を経て1505年に改めて開山。
開創には当時の片倉城主だった長井髙乘が深く関わっており、お寺の名前も長井氏が由来となっています。

ちなみに寺の紋ですが、かなり有名な家紋です。

鬼瓦にも紋が型取られています。
これは長井家の家紋ですが、西国の大大名 毛利家の家紋と同じです。
長井家は毛利家の系譜ということで、同じ家紋が使われています。

ここで、赤色立体図で初沢城を見てみました。
なんと、先ほどまでいた山頂の郭1付近に気になるポイントを見つけてしまいました。
下山したばかりなので、また戻るのは気が引けたので、もし堀切に近い北側にも登城口があればと微かな望みにかけて麓を歩きました。

初沢城の西側は、かなり急な崖になっています。
ちょうどこの角度くらいから見える山の上の平坦部に堀切があるはずなのですが、草木が生い茂っており、形は判断できません。

麓には初沢城のある山に沿って初沢川が流れており、天然の要害になっています。
川がとても綺麗で絵になります。

初沢川が城郭の西側と北側を流れているので、城としての立地は適していると思われます。
豊臣軍の大軍勢には太刀打ちできなくとも、中世城郭としては防御力が高そうな、地形を生かした城です。

城郭の北側。
右側の突き出した山の尾根にポイント2があり、こちらから登り口があればと思ったのですが、麓はテニスコートで立ち入りができず、登り口を確認することができません。

赤色立体図を元に歩き、遺構は目の前の山上にあるはずなのに全く近づけない!
きっと戦国時代もこのような感覚だったのだと思います。
致し方なく歩いてきた道を戻り、下山した南側から本日2度目の登城開始です。

貯水槽の脇を進み、郭1方面を目指すと赤色立体図通りに道が分岐していました。
右側が郭1方面、ポイント1とポイント2方面は左側を進みます。

早速、倒木があり行く手を阻んできます。

道になってはいるのですが、倒木が凄くかなり険しい道のりです。

登城路から見上げると、かなり急な斜面になっています。
うっすら竪堀のように、縦方面に窪みが見られます。

倒れた木を避けながら進むと、ポイント1に到着!
写真では普通の道に見えますが・・

明らかに人工的に掘削して横堀になっています。
尾根続きのようにも見えるので堀切になるのかな。いずれにしてもポイント1は攻略できました。

ポイント1から郭1の方向を見上げた写真。
赤色立体図ではこの上には腰曲輪があり、さらにその上に郭1があります。

ポイント2は堀底を進んだ、さらに先にあります!
しかし倒木が行く手を阻み、明らかに今までより険しい道であると予想できます。
無理は良く無いので、危険と感じたら引き返すことを念頭において進むことにしました。

細い通路が崩れています。
微かに道になってはいますが、明らかに人は通っていないと思われるほど荒れています。

山の中にフェンスが現れるので、フェンス沿いに少し下ると遂に発見!
赤色立体図の通り、そしてワタクシの予想通り堀切でした。
赤色立体図の凄さを実感!

しかも、かなり状態が良い遺構。
苦労した分だけ喜びは倍増です。初沢城における最大の見どころだと思います。

上からも見てみます。
堀切のお手本のように、尾根を見事に断ち切っています。
童心に帰るようなワクワクと、宝を探し当てたような達成感。これが山城の醍醐味です。
ただ、とてもオススメできる登城路ではないので、本当に注意が必要です。
行かれる方は、安全第一で行きましょう。

この細い尾根に堀切があるということは、北側の侵入を警戒していたことになります。
謎は深まります。
登城しながら思っていたことは、何となくコンパクトな八王子城のように感じていました。
誰から見ても山頂部には居住空間があったとは考えにくいのと、南側は防御機能が薄すぎるので、もし居館があるなら北側の高尾天神社あたりかなと推測してしまいます。
八王子城も麓に居館エリアがあり、背後に詰城となる山城があります。

高尾天神社にて、無事の帰還に感謝を込めて手を合わせて終了です。
赤色立体図はGPS機能も付いているので自分の位置もわかりますし、何よりも初沢城のように縄張り図が無い城では、大活躍です。
最後に「高尾浅川の自然を守る会」による文書を一部を引用。
この山は八王子城外部戦国の山城跡で、この40年程の間にも幾度となく開発の危機にさらされました。
しかし、市民の皆さん、歴代の八王子市長、都知事、多くの方々のご尽力により、落城をまぬがれ今日の姿が残りました。
この山は別名 やすべえの森と呼ばれ、山を買ったやすべえさんは、立入禁止にせずに誰もが散歩できるように道をつくったそうです。
初沢山の麓は宅地開発で住宅が密集しています。
初沢山は当たり前の景色ではなく、守るために尽力された方のお陰であることは間違いありません。

東京都指定史跡ですし、もっとこの城が認知されることを願っています。
少しサバイバルな1日でしたが、およそ3時間ほど楽しむことができました。









