【宮城県】仙台城

CASTLE DATA FILE.03
登城日:2023年8月15日
交通手段:仙台市地下鉄東西線国際センター駅下車。徒歩25分。
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:連郭式 平山城
遺構:石垣・土塁・堀
復元建築:脇櫓
スタンプ:仙台城見聞館で押印
御城印:青葉城本丸会館内
仙台藩62万石 伊達正宗が築いた城
宮城のお城といえば、やはり仙台城。
伊達政宗が関ヶ原の合戦後ひ建てたお城で、明治維新までの270年に渡って伊達家仙台藩が治めていました。地元の方はだいたい青葉城と呼んでいます。
仙台城は標高130mの青葉山に建てられた平山城です。城の東側は広瀬川による64mの断崖絶壁。南は竜ノ口渓谷の80mの深い谷。
弱点の北側には高さ17m、全長179mにも及ぶ巨大な石垣で防御されています。
ちなみに仙台で育ったワタクシですが、仙台城に来るのは初めてです。

メインは大手門跡の入り口から登っていくのですが、今日は巽門・清水門跡から登っていきます。

おそらく築城当時のと思われる野面積みの石垣を見ることができます。

清水門の石垣。

至る所に昔の石垣の遺構があって、見どころが満載です。

そして北側には最大の見どころ巨大な石垣が見えてきます。
この標高の山城に高さ17mの巨大な石垣は迫力があります。
石垣は切込接。ちなみに、この石垣は3代目らしく、東日本大震災で石垣が崩れた際、現在の石垣の中から伊達政宗時代と思われる石垣が出てきました。
現在は修復が完了し、元の姿を取り戻しました。

近くで見るとより迫力を感じます。

ちょうど観光で歩いている人と比べると、如何にこの石垣が巨大なものか分かります。

仙台城には天守がありませんでした。
理由としては諸説あるようですが、天守を造るには莫大な資金が必要です。
天下泰平の時代に入った時代だったので、そのお金を町づくりのために活用したと言われています。
天守はありませんでしたが、本丸には大広間がありました。
内部は伊達政宗らしい派手な桃山様式の豪華絢爛な広間だったようです。畳430畳。およそ600人は入ることができたという、日本最大の本丸です。
それも今では礎石しか残っていないので残念ではあります。

やはり伊達政宗といえばこの銅像です。

仙台城から見る景色は絶景です。
建物や景観は変われど、ここから見ている空や山や川は今も昔も変わらない。
伊達政宗はこの景色を見て何を考えてたのだろう。
などと考えるのが個人的に好きなのです。

本丸跡地には今は何もありませんが、以前は懸造の建築物がありました。
懸造とは崖などに張り出した建物。京都の清水寺も懸造です。
伊達政宗が仙台を居城とする前の米沢城にも懸造があったらしく、伊達政宗が好んだ建築様式なのかもしれません。

昔はこの本丸入口の石垣には、三重の櫓が二基ありました。
正保3年の地震で被災したようです。ここに三重櫓が二基あったということを想像しただけでワクワクします。
天守はないけど、天守に匹敵する迫力があったに違いありません。

今、仙台城に唯一ある建築物がこの大手門脇櫓。
脇櫓の隣には巨大な大手門があり、脇櫓と含めて国宝に指定されていました。
明治維新後、廃城令によって本丸は解体。多くの建築物は失われました。二の丸はその9年後に焼失。
陸軍が仙台城に置かれ、残っていた大手門と脇櫓を含む建築物は仙台空襲で焼失してしまいました。

なんとも悲しい結末。
そして、現在ではこの脇櫓だけが復元された状態です。仙台城に観光に来た人たちは、何もなくて驚くようです。
しかし、2038年までにこの大手門が復活する計画があるようです。
できたら、そのほかの建築物も自分が生きているうちに復元してもらいたい。特に大広間を死ぬまでに見てみたいものです。

仙台城の麓の資料館には伊達政宗の胸像があります。
なぜ顔と胸だけなのか。
実は仙台城の山頂にある像は二代目です。第二次世界大戦で、物資が乏しかった日本は全国の銅像を回収しました。
伊達政宗像も回収されたそうです。
一度溶かして武器や弾にされるはずだったのでしょうが、この顔と胸を残した状態で塩釜という地に捨てられていました。
そして、仙台城に戻ってきたということです。
歴史は深いです。
戦国武将の中でも人気が高い伊達政宗ですから、観光客も凄く多かったです。
仙台城は歴史的価値の高い建築物も多く、資料や写真も残っているので復元は不可能ではないのかと思います。仙台市の取り組みに期待したいと思います!
仙台駅前の、みそ壱でランチ

仙台市内に幾つか店舗がある、みそ壱。
赤黒ネギみそラーメン。間違いない!










