【大阪府】大坂城

CASTLE DATA FILE.35
登城日:2024年2月6日
交通手段:大阪メトロ「森ノ宮駅」下車→徒歩 約15分
ステータス:日本100名城・国指定特別史跡
ジャンル:平城
遺構:櫓・門・石垣・堀
復元建築:天守
スタンプ:「大阪城天守内」受付で押印
御城印:「大阪城天守内」売店で購入
日本一の防御力を誇ると評される 天下の名城
朝イチで明石城に行き、用事を済ませて最後は大阪城に行きました。
大坂城といえば、やはり豊臣秀吉。大阪府民の心にも豊臣秀吉が強く刻まれています。
しかし、現在の大坂城は歴史上ではやや複雑。
豊臣秀吉の時代の天守は、大坂夏の陣で焼失。その後 江戸幕府が天守を造るも落雷焼失、現在の天守は昭和6年に府民の寄付金によって復興されました。
当時は発掘調査も進んでいなかった為、今残っている大坂城は豊臣秀吉が造ったものと考えられていたそうです。
しかし、実際には秀吉時代の大坂城は江戸幕府に埋められて新たな巨大城郭に変貌を遂げました。
つまり、現在見ることのできる櫓も石垣も、全て徳川が造ったものになります。
徳川期の石垣の上に豊臣期の天守を復興した形になります。
いずれにしても、天下人が造った城には違いありませんのでしっかり楽しみたいと思います。
大坂城は巨大な為、1日で周るのは困難なので今日はごく一部だけ周りたいと思います。

まずは大坂城のメインとなる門、大手門から入城します。
やはり観光客が多いです。人が映らないように写真を撮るのも一苦労です。

大手門の前には巨大な水堀があり、まずは千貫櫓がお出迎えしてくれます。

大手門を抜けると巨大な枡形虎口になっていて、続櫓と多聞櫓が現れます。
この枡形は日本で一番の大きさを誇ります。

江戸時代から残る現存建築の多聞櫓。
使われている石材が全て巨石ということに衝撃を受けました。

多聞櫓と接続した続櫓。そして注目は続櫓の下。
巨大な石材が三つ連なっています。
ちなみに、この石材は大きい順に大手見附石、大手二番石、大手三番石となります。
重量150t。小豆島産の石材ですが、こんなに巨大な石を人力でどうやって運んだのか不思議です。

城郭内部からの多聞櫓。
櫓内には入ることができないのですが、特別公開している時もあるそうです。

一応、隅は算木積みになっていますが、全てが規格外の大きさの石で積まれており、もはや算木積みなのかどうかも謎です。

大手門を抜けると内堀があります。
空堀で奥には本丸に繋がる橋となっています。

橋から見た空堀と高石垣。

美しい空堀。
既に城のスケールが違いすぎて驚愕。

桜門を抜けると枡形になっています。
そして大坂城名物でもある巨大な石材、蛸石が現れます。

理解できないほど巨大な石。
高さ5.5m、長さ11.7m、最低重量108t。表面露出面積59.4㎡と大阪城一の面積。
36畳分くらいの大きさですから、一般のマンションで言えば2LDKクラスです。
岡山県の犬島産の石らしい。当時はこの蛸石の上には多聞櫓があがっていました。

そして、本丸と天守が現れます。
徳川期と豊臣期をミックスさせた天守。
本丸は現在は広場となっていて、多くの観光客で賑わいます。
天守の復興から28年後の1959年に地質調査をした結果、地下9.3mから高さ4mの花崗岩で形成された石垣が出てきました。
上端に火災による火を受けた跡があったことから、大坂夏の陣で焼失した豊臣秀吉時代の、大坂城の可能性が浮上。
同時期に東京で豊臣期の本丸図が発見され、石垣の位置が一致したことで、豊臣期の城は徳川幕府によって埋め立てられて再建されたことが断定されました。
豊臣秀吉が築いた大坂城は、今も地下深くで眠っています。

現在、天守の中は資料館になっています。
徳川期の大阪城はかなり巨大な天守だったようですが、豊臣期も権威の象徴としての壮麗な城だったようです。
資料館に関わらず、城全体的に基本的には豊臣秀吉がメインの内容。

大坂城からの景色。
1614年と1615年にこの城を中心とした大阪の陣が勃発。
主戦場となった大阪を一望できるこの眺め。
高層ビルが立ち並んでいる現代でも、きっと昔と変わらぬ風を感じることができるはず。

秀吉が亡くなった後も大阪を中心とした関西で絶大な力を持っていた豊臣家。
天下は変わり、豊臣家を上回る力があることを示すために、徳川家は豊臣期よりもあえて大きな城を築城したと言われています。
必要以上に大きな数々の巨石も、そんな思惑の一つです。

今の一大都市 大阪の礎を築いたのは豊臣秀吉です。

大坂城の広さは105haで東京ドーム23個分。

現在、本丸には新たな施設を建設中。
眠った豊臣期の石垣を令和7年に公開するプロジェクトが進行しています。

城内には豊国神社があり、豊臣秀吉を祀っています。
銅像も勇ましい。
歴史の舞台の最前線だった大坂城はやはり半日では全てを堪能することができませんでした。
何回かに分けて、また近いうちに訪れたいと思います。










