【大阪府】茶臼山陣城

CASTLE DATA FILE.27
登城日:2023年12月11日
交通手段:JR南海線「新今宮駅」徒歩15分
ステータス:ー
ジャンル:陣城
遺構:ー
スタンプ:ー
御城印:ー
大坂冬の陣で徳川家康が本陣を置き、夏の陣で真田幸村が陣を置いた合戦のキーポイントエリア
昨日の京都城巡りから大阪市内に入ったので、本日は茶臼山陣城にやってきました。
夕方の到着だった為、急ぎ足で周りました。
大河ドラマ「どうする家康」で大坂の陣の回となり佳境を迎えています。
縁あってこのタイミングで大阪に来れたので、やはり茶臼山には足を運ぶべきと思い向かいました。
茶臼山といえば、大坂冬の陣の際は徳川家康の本陣を置いた場所。
さらに大坂冬の陣の際は、この戦いで日本一の兵(ヒノモトイチノ ツワモノ)と称さた真田幸村が陣を置いた場所になります。
JR南海線の新今宮駅から歩いて15分程で茶臼山公園に到着しました。

あべのハルカス前からのショット。
線路の奥に見える木々のあたり一帯が茶臼山公園です。
先日、NHKの歴史探偵で大坂の陣VR再現映像を見ました。
この茶臼山の前には高さ5m、長さ1kmにも及ぶ堀のような自然地形の谷があったそうです。
あべのハルカス側から向かうと、電車の線路がかなり下がった位置にあります。
もしかして、その自然地形を利用してできたのがこの線路か!?妄想を膨らませていると身体が痺れます。
実際は分からないのですが、そんな妄想を膨らませることができるのも戦国ロマンです。

公園入り口に入ると、オシャレな空間が広がります。
この時期はイルミネーションやスケートリンクもあり、カップルが多くいました。
この空気感を切り裂いて突き進み、案内図通りに茶臼山の山頂に向かいます。
写真の右手が茶臼山となります。
高低差のある地形をしているのが分かります。

この地で激戦が繰り広げられたと考えると、当時を勝手に想像してしまいます。
麓には水路があり、堀のようになっています。

大阪府のビルが並ぶ一角に不自然に残る山の雰囲気。
茶臼山は小高い丘のような山で、陣を張るには絶好だったと考えられます。

階段を登り切ると、中心にこんもりと盛られた場所が山頂となります。

山頂に到着です。公園として綺麗に整備されています。
大坂冬の陣では徳川家康の本陣、大坂夏の陣では真田幸村の陣を置いたことを考えると、大坂の陣のファクターとなる場所は、この茶臼山だったと考えられます。

あべのハルカスも近くに見えます。
兵力で劣る西軍の真田幸村は徳川家康の首だけを狙い、三度に渡って本陣を攻め込みました。
大坂冬の陣では大阪城を防御する為の出城、真田丸を戦の最前線に築いて迎え撃ち、
夏の陣でも最前線に陣を張って東軍の徳川を迎え撃ちました。

とても有難いのが、公園内に多くの看板を設けていること。
歴史に興味ない方は、毎日この公園を通っても、この地で昔に何があったのか知ることはありません。
しかし、看板一つあれば歴史に触れる機会が生まれます。
たかが看板ですが、この地の歴史を伝える非常に重要なアイテムです。

「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」
大坂冬の陣では、徳川軍に寝返るように説得された時の言葉。

「恩義を忘れ、私欲を貧り人と呼べるか」
豊臣秀吉の人質として大阪で過ごした真田幸村。
秀吉に気に入られ、真田幸村は豊臣姓を拝領しています。そして、最後の最後まで豊臣家のために戦いました。
武士道を貫き通した真田幸村らしい言葉。

大坂夏の陣の看板。
真田幸村は歴史ファンでも人気の武将。
個人的にも好きな武将ランキングで上位に位置しています。
昔から好きでしたが大河ドラマ真田丸を見て、もっと好きになりました。堺雅人さんが演じた真田幸村は本当にカッコよかった。

小高い山の麓は公園として広場になっています。
何もない普通の広場ですが、ワタクシの見方としては数千の兵を駐屯するには十分な広さだなと感じました。
これが戦国妄想ロマンです。

アクセスも良いので、ぜひ立ち寄って妄想を膨らませて頂きたいスポットです。
徳川家康を追い詰めた「ラストサムライ」真田幸村 終焉の地

そして、茶臼山に来たら絶対にセットで周るべきスポットは安居神社。
茶臼山の近くにある神社です。
大坂冬の陣、夏の陣で激戦地となった大阪の天王寺。至る所に戦いの爪痕が残っています。
兵力には諸説ありますが、西軍は圧倒的に兵力で劣っていました。
また、豊臣秀吉が造った難攻不落の大阪城は、冬の陣後に徳川家康によって堀を埋められたことで、防御機能を完全に失っていました。
そんな絶望的な状況の中で、大活躍をしたのが冬の陣同様で真田幸村。
真田幸村は大坂夏の陣で討死しましたが、その最後の地となったのが安居神社とされています。

境内には真田幸村の像があります。
まるで時が止まったかのような静けさ。
戦い続けた真田幸村は、疲れ切ってこの場所に座っていたそうです。
そして最後を迎えました。

1615年に勃発した大坂夏の陣で、圧倒的不利な西軍の真田幸村は、総大将徳川家康の首のみを狙います。
冬の陣は出城の真田丸で、夏の陣は茶臼山で真田幸村が戦いの最前線に陣を敷いて徳川家康を迎え撃ちました。
三度も徳川本陣を攻撃し、徳川家康は一時退き自刃を決意したと言われています。
しかし、戦の勝敗とは時の流れ。
勝利したのは徳川軍で、その後世界でも類を見ない200年以上もの間、戦争のない平和な時代が日本に訪れます。

平和で多くの人が行き交う天王寺。
400年以上も前に激戦だったこの地に立ち、昔の情景を想像すると、タイムスリップをしたかのような感覚になります。
真田家の家紋、六連銭。
六文銭は「三途の川の渡し賃」であることから、いついかなるときにおいても死をいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたともいわれています。
まさに家紋に恥じない戦いをした真田幸村。
そんな知力に優れ、武力に優れ、義理に堅い武将は長い時を経た現代でも我々を魅了し続けています。

最後に茶臼山の前にある、川底池という溜池を通って帰ります。
池の上が本陣跡となります。防御に堅そうな城っぽさを感じます。
雨が降って、空もだいぶ暗くなり、通天閣もライトアップされました。

歴史探偵のVR大坂の陣では、真田隊は徳川の陣から見えないように、右手に巨大な馬出を造って兵を隠していたようです。
敵を十分に引きつけてから、天然の地形を利用して一斉攻撃。
敵がどんどん引きつけられ、徳川本陣が薄くなってから、馬出から一気に真田幸村率いる本体が徳川本陣を側面から回り込んで攻めました。

今、その痕跡を見ることはできないのですが、間違いなくこの地で攻防と激戦が繰り広げられたのは事実。
歴史の舞台に実際に立って、想像するのが何よりも楽しいのです。
大河ドラマ「どうする家康」では、終盤となる大坂の陣の回となりました。まさに徳川家康と真田幸村の戦いです。
そんなタイミングで近くを通り、寄ることができたのは、何かの縁かもと勝手に思ってしまうのです。









