鉢形城【日本100名城】

鉢形城(はちがたじょう)は、埼玉県大里郡寄居町大字鉢形にあった戦国時代の日本の城。
構造は連郭式平山城。標高は最高点(三の曲輪)で122m。
深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。

鉢形城の見どころ

■泉水坂から大手にかけて掘り込まれた空堀や土橋は見事なほど良好に残っている。
■大手と復元された四脚門と石積み土塁は、綺麗に整備され当時の雰囲気を味わうことができる。
■本曲輪から見る断崖絶壁の景色は、鉢形城が天然の要害によって守られていることが分かるスポット。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。

日本100名城スタンプ
鉢形城歴史館受付(休館日は駐車場正面入口の郵便ポスト)
開館時間:9:30~16:30(入館は16時まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始

■御城印
鉢形城歴史館受付

鉢形城周辺の天気

城郭構造連郭式平山城
天守構造なし
築城主長尾景春
築城年1476年(文明8年)
主な改修者田丸直昌、森忠政
主な城主長尾景春、上杉顕定、北条氏邦
廃城年1590年(天正18年)
遺構土塁、堀、土橋、石垣
指定文化財国の史跡

写真で見る鉢形城

鉢形城 大手側 空堀
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鉢形城 大手側 空堀
鉢形城 大手土橋
鉢形城 大手虎口
鉢形城 復元四脚門と虎口
鉢形城 復元四脚門
鉢形城 三の丸石積土塁
鉢形城 復元馬出
鉢形城 復元馬出から見た空堀
鉢形城 三の丸ー二の丸 空堀
鉢形城 馬出
鉢形城 御殿曲輪土塁
本曲輪の空堀
御殿曲輪から見た荒川
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レポート

鉢形城について

鉢形城を初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線として重要な役割を担っていた。その後、下野国遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。 また跡地の周辺には殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える。

関東地方に所在する戦国時代の城郭としては比較的きれいに残された城のひとつといわれる。1932年(昭和7年4月19日)に「鉢形城跡」(はちがたじょうあと)として国の史跡に指定された。1984年(昭和59年)からは寄居町による保存事業が開始された。現在は鉢形城公園(はちがたじょうこうえん)として整備され、園内にはガイダンス施設である鉢形城歴史館が設置されている。

稀に見る頑強な要害だったとされ、武田信玄、上杉謙信、前田利家、上杉景勝らの数度の攻撃に耐え、小田原征伐では3万とも5万とも言われる北国軍に包囲されて2ヶ月に渡って籠城したのちに「開城」という形になった。

鉢形城の歴史

鉢形城では、築城以来、様々な戦いが繰り広げられました。1476年(文明8年)に鉢形城を築城した長尾景春は、家督を継がせてもらえなかったことに不服だったことから、主君である関東管領「山内上杉顕定」(やまのうちうえすぎあきさだ)に反乱を起こします。
長尾景春は鉢形城に立てこもって戦いますが、山内上杉氏は扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)と協力してこれに対抗。

さらに、扇谷上杉氏の家宰 太田道灌が鉢形城を急襲し、落城させます。長尾景春が追放された鉢形城には山内上杉顕定が入城し、鉢形城は約40年間に亘って山内上杉氏の拠点のひとつとなりました。

一方、関東制圧を狙う北条氏も鉢形城を見逃しません。1564年(永禄7年)、北条氏康は、四男の北条氏邦を山内上杉氏の重臣で当時城主を務めていた藤田重利の娘 大福御前(おふくごぜん)へ入り婿させて鉢形城に入らせます。
藤田氏の養子となったことで、北条氏邦は難なく鉢形城や領国、家臣も手に入れたのです。1590年(天正18年)、豊臣秀吉による「小田原の役」の際、前線基地である鉢形城も攻撃を受け、約3,000人の城兵で籠城。

約2ヵ月にわたって守り通しましたが、前田利家・上杉景勝・真田昌幸・本多忠勝らの連合軍約35,000人の兵に囲まれ、ついに落城します。

その後、鉢形城は徳川家康の領有となり、成瀬正一、日下部定好ら徳川氏配下の武将が代官となって鉢形城周辺を統治しました。

遺構と復元

鉢形城跡では、二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀の発掘調査が1997年(平成9年)と1999年(平成11年)にわたって行われました。その結果、最大で幅約24m、深さ約12mの大規模な堀であると確認されました。堀の底では「畝」(うね)と呼ばれる高まりも発見。
畝の役割は、敵兵が堀で動き回るのを防ぐためとも、堀の底の水を一定に保つためとも言われています。畝のある堀を「障子堀」(しょうじほり)と呼び、後北条氏支配以前から用いられていたことが判明しました。

復元された全長約100m、高さ約4mの石積土塁も見どころのひとつ。
また、土塁や堀といった遺構と、それらによって区切られたいくつかの曲輪も発見。二の曲輪・三の曲輪の他、「笹の葉のように小さい曲輪」と言う名を持つ笹曲輪などです。馬出も発掘され、こちらも復元が進められました。

1932年(昭和7年)4月19日 遺構の残存状況がきわめて良好な考古資料であり、関東地方の戦国時代の状況を示す文献資料も豊富に残されていることから、「鉢形城跡」として国の史跡に指定された。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
このエリア一帯は名城の激熱スポット!日本100名城の鉢形城(寄居町)・続日本100名城の菅谷館(嵐山町)・同じく続日本100名城の杉山城(嵐山町)が近距離に存在しています。うまく計画をたてれば3城攻略も可能です。

マップ

アクセス

■東武東上線・秩父鉄道秩父線・JR八高線寄居駅下車。徒歩約25分。
■イーグルバス(元東秩父村営バス)「和紙の里」行きで「鉢形城歴史館前」下車、徒歩約5分

■関越自動車道花園ICから国道140号バイパスで秩父・長瀞方面へ約6km、15分

鉢形城 周辺スポット

武州寄居七福神めぐり

寄居七福神の一番の特徴は御神体を露座でお祀りし、その御像の大きいことです。
五ヶ寺を一巡するとおよそ25kmの行程です。各お寺には、駐車場があるので車で参拝も可能です。

→寄居町観光協会オフシャルサイト

昭和の名水百選「風布川・日本水」 

その昔、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、戦勝を祈願し喉の乾きを癒やすため釜伏山中腹の「百畳敷岩」と呼ばれる大岩壁に剣を突き刺したところ、たちまち湧き出したという伝説のある名水です。日本水水飲場では、日本水を汲むことができるため、町内外を問わず大勢の方が訪れています。

→マップ

鉢形城 周辺宿泊施設

鉢形城 周辺グルメ

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