深大寺城
深大寺城は室町時代に南関東で勢力補もった扇谷上杉氏の城と考えられています。15世紀末 山内上杉氏と扇谷上杉氏の抗争の中で、扇谷上杉氏の主要拠点を結ぶ役割を果たしました。
小田原北条氏が関東で勢力を拡大をすると、小田原北条氏に対抗する城として16世紀前半に上杉朝定が再築しました。
都内でありながら、現在も遺構を残した貴重な城跡です。
Contents
深大寺城の見どころ

深大寺城の近くには、都内では浅草寺に次ぐ2番目に歴史がある、創建733年の深大寺があります。
参道には多くの深大寺そばのお店が立ち並び、古き良き雰囲気を味わいながら観光を楽しむことができます。
また、深大寺城の麓は「都立神代植物公園」となっており、植物や野鳥を見にくる方が多くいます。気軽に大自然と歴史、食を楽しむことができるスポットです。

都内からもアクセスが良好な調布市に、良好な状態で遺構が残っています。市街地化が進む中で、深大寺城一帯だけ、取り残されたように戦国の雰囲気を醸し出しています。
土塁、土橋、横堀が残っており、主郭部周辺には切岸など城郭形成の根幹を見ることができます。
扇谷上杉氏の城は、次の時代に改修されて使用されることが多かったので、深大寺城では扇谷上杉氏時代の遺構が残る貴重な城です。

建物跡

横堀

土橋

土塁

虎口跡

帯曲輪
登城レポート

MEMO
- 扇谷上杉氏時代の遺構は貴重なので遺構ポイント及第点
- 城内には発掘調査の解説板が設置されており、整備が整っている
平均:2.66
合計:16.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
深大寺城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・渋沢×北区 飛鳥山おみやげ館
開館時間:3~11月▶11:00~16:30
※休日は17:00まで
12~2月▶11:00~16:00
※休日は16:30まで

深大寺城 周辺の天気
| 城郭構造 | 連郭式平城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 狛江氏か |
| 築城年 | 不詳 |
| 主な改修者 | 扇谷上杉氏 |
| 主な城主 | 難波田氏 |
| 廃城年 | 天文6年(1537年) |
| 遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
写真で見る深大寺城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・京王線「布田駅」徒歩20分
・京王線「調布駅」から京王バス「深大寺」バス停で下車
・JR中央本線「三鷹駅」から小田急バス「深大寺」バス停下車
・JR中央本線「吉祥寺駅」から小田急バス「深大寺」バス停下車
■車・バイク
・中央自動車道「調布IC」から10分
■駐車場
・近隣に有料駐車場あり
深大寺城について
南方の野川を水濠、西方を除いた三方を沼地とし、西方に空濠を三段に構えて三郭・二郭・主郭を配した直線連郭式城郭である。主郭は東西50m・南北90mほどで、全周を土塁で囲み、北と南に平虎口を設け、北虎口は土橋を経て二郭に、南虎口は東の腰郭に通じると共に西の空濠からの侵入に備えている。特に、北西端の櫓台は重要部署で、北虎口と二重土塁の空濠に加え二郭全体を監視している。
二郭は東西50m・南北120mほどで、南の土塁中央に平虎口を設け、西の土塁は復元されたものである。北端のテニス倶楽部への進入道路が二郭・三郭間の空濠跡で、南端で竪濠として落とされている。
三郭は東西100mほどで、宅地化で遺構は失われている。二郭側の土塁は一部復元されて園内に留められ、西方の空濠は道路になっているが、南側の切岸は往時のままと思われる。
※城郭内の案内看板より
1郭・2郭・3郭と腰郭からなる構造でしたが、現在3郭は破壊されてテニスコートと住宅となっている。
平成17年(2005)に第3郭内の宅地造成計画に伴う調査で空堀や土橋が発掘されたことが契機となり、北条方による改変を受けずに扇谷上杉氏系の築城技術を残す希少な城館跡であり、都心近郊にありながら腰郭、土塁、空堀などの遺構が良好な形で残っていることが再評価。
2007年7月26日に第1郭、第2郭、第3郭南側斜面の一部に第3郭の空堀の一部を加えた約24,000平方メートルの地区が新たに国の史跡として指定されました。
縄張り

※深大寺城内 案内看板より
歴史
東京都及び調布市教育委員会は発掘調査を重ねており、築城者は不明だが、15世紀には「ふるき郭」が築かれていたようだ。 16世紀に入って北条氏は相模に進出し、扇谷上杉氏は南武蔵の防衛ラインとして「ふるき郭」を活用している。大永4年(1524年)1月、江戸城を北条氏綱に攻略された扇谷上杉朝興は、巻き返しを図るため、居城の河越城から頻繁に南武蔵に出撃。
享禄3年(1530年)6月、朝興は深大寺城に、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷き、小沢原で合戦になった。この深大寺城は「ふるき郭」と思われる。扇谷上杉方としては、北条勢を多摩川で食い止め、かつ江戸城奪還を図るため、天文6年(1537年)4月、13歳で父・朝興の跡を継いだ上杉朝定は難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築した。
しかしながら、同年7月、氏綱は深大寺城を迂回して河越城を直接攻め、朝定が松山城に敗走したため、深大寺城の軍事的価値が失われた。その後、この地が北条氏の支配となったが、深大寺城の記録が見当たらないので、廃城になったようである。
廃城後
扇谷上杉勢を北に追いやった北条方にとって、多摩川左岸の深大寺城は小田原城の防衛には不要になった。その結果、城が手付かずで残り、城郭史上、貴重な遺構になっている。例えば、深大寺城と同形の片倉城(八王子)は扇谷上杉氏が北条氏に備えて築いたが、北条氏の手で改修されて北条氏の城という位置づけになっている。
天文初期、敵兵を空濠に誘導して矢で殲滅する「扇谷上杉氏の城」は、「平虎口」「横矢が弱い」「切岸が緩い」など戦国期における築城技術の進化途上にある。北条氏が合戦を通して扇谷上杉氏などの城郭を改修し、北条流築城技術を完成させているのは疑う余地はないといわれる。
平成10年(1998年)に東京都指定史跡となり、平成19年(2007年)7月26日付けで国の史跡に指定された。
MEMO
都心からも近く、観光スポットとして有名な深大寺。「深大寺そば」は有名で参道近辺には20軒ほど蕎麦屋があります。深大寺城の曲輪にも蕎麦が植えられており、年に2回 花を咲かせます。
深大寺城 周辺スポット
浮岳山 深大寺

「深大寺」は浅草の浅草寺に次ぐ、東京の古刹(こさつ)。東日本最古の仏“釈迦如来像”を有し、2017年9月15日には国宝に指定。
複数の湧き水があり、その豊富な湧き水が蕎麦の栽培に適していたこと、水車を利用した製粉ができたことで、深大寺周辺では蕎麦が名物になったのだそう。
深大寺城 周辺宿泊施設

深大寺城 周辺グルメ

深大寺といえばやはり蕎麦。深大寺そば組合のHPを見ればお店の情報やマップが確認できます。
東京都の城を攻める
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