上田城【日本100名城】

上田城は真田昌幸によって築かれた城で、二度にわたって徳川軍を撃退した「上田合戦」の舞台としても有名な城。「関ケ原の戦い」で真田昌幸、信繁が属した西軍が負けたため、上田城は徳川家康によって徹底的に破却され堀も埋められたが、上田藩主として入城した仙石氏によって再建された。

真田氏が造った上田城の縄張りを生かして再建したと伝わります。
櫓や石垣が当時の遺構として残っており、上田城跡公園として整備されています。
また、アニメ映画『サマーウォーズ』では舞台となる家の門が、上田城の城門をモデルに描かれている。

上田城の見どころ

遺構ポイント

上田城と言えば現存の櫓や復元された櫓門が有名で、本丸を中心に遺構が残っています。本丸以外は市街地化が進んだことで遺構は失われていますが、実は遺構を生かした整備が行われたことで、姿は変わっても形は変わらない遺構の片鱗を確認することができます。

観光ポイント

上田城の最寄り駅、上田駅に着いた瞬間 真田氏一色です!街の至る所に真田氏の家紋「六文銭」が溢れています。
真田推しには1日では足りないほど施設が充実しています。
お城良し、歴史良し、食べ物良しの三拍子が揃った街です。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
日本100名城スタンプ
・上田城内「上田市立博物館」
・上田城東側 二の丸橋を出た正面「上田市観光会館」

■御城印
・上田城本丸「真田神社」
・上田城東側 二の丸橋を出た正面「上田市観光会館」1F売店

上田城 周辺の天気

別名尼ヶ淵城
城郭構造梯郭式平城
天守構造なし
築城主真田昌幸
築城年1583年(天正11年)
主な城主真田氏、仙石氏、藤井松平家
廃城年1874年(明治7年)
遺構櫓、石垣、土塁、堀
指定文化財長野県宝(南櫓、北櫓、西櫓)
国の史跡
再建造物東虎口櫓門

写真で見る上田城

上田城 南櫓と西櫓
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上田城 南櫓と西櫓
西櫓
上田城 本丸東虎口
本丸東虎口
本丸北側水堀
上田城 二の丸東側空堀
二の丸から見た景色
上田藩主屋敷門
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訪城レポート

上田城について

上田盆地の北部に位置し、千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。北に太郎山、南に千曲川があり、築城前は土豪小泉氏の古い城館が存在した(現在、二の丸より西側の小泉曲輪と呼ばれている場所)と伝えられる。城の南側は千曲川に接し、北側と西側に矢出沢川を引き込んで総構えとし、唯一の攻め口である東側にも蛭沢川や湿地帯などがある。

上田城は戦国時代末期、信濃国小県の真田氏館の真田昌幸が真田氏当主であった1583年(天正11年)に築城が開始された平城である。1585年頃に真田氏館、もしくは戸石城から本格的に拠点を移したと考えられている。天正11年、天正13年、天正18年と何度かの過程を経て築城をされたものである。上田を含む信濃国は、支配していた武田勝頼を甲州征伐で滅ぼした織田信長が本能寺の変で横死した後、天正壬午の乱と呼ばれる争奪戦が行われた。
甲州征伐で生き残った真田昌幸は、臣従する相手を次々変えたうえに徳川家康についたが、天正壬午の乱の戦後処理を巡り対立。1585年(天正13年)の第一次上田合戦で攻め寄せた徳川軍を撃退した

1600年、関ヶ原の戦い(慶長5年)で西軍についた真田昌幸は、連動する第二次上田合戦でも東軍別動隊の徳川秀忠軍に立ち向かい、防いだ。本戦で西軍が敗れたため、昌幸は紀伊国の九度山に配流され、翌1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。

関ケ原の戦いの後、昌幸の嫡子である真田信之は、上田など真田領を安堵されたが、上田城が破却されていたため、元々の居城である上野国沼田城を本城とし、上田城三の丸に屋敷を構えて統治を行った。この頃、城下町の整備が行われた。真田信之は江戸幕府に対して元和7年(1621年)に城の再整備・拡張を申請するが却下され、元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。

上田には小諸藩より仙石氏が移封された。仙石忠政は破却されたままの上田城の再建を申請し、寛永3年(1626年)から現在の上田城が普請されることとなった。大まかには真田氏時代の縄張りをも利用していると推測されているが、後に近世城郭として新たに築城された。本丸には櫓7棟、櫓門2棟などが普請された。

現在ある本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。二の丸にも櫓や櫓門を再建するため、櫓台なども構築されたが、寛永5年(1628年)4月20日仙石忠政の死により工事は中断され、これ以上の増築は行われないまま、仙石氏の転封および松平氏(藤井松平家)に藩主家が交代し、幕末を迎えた

明治以降は、破却や城外への移築が行われて城内には石垣と櫓(西櫓)が1棟残るのみであった。昭和期に、移築されていた本丸の櫓2棟が元の位置に再移築され、平成期には櫓門や塀などが木造復元されている。今後、二の丸の土塁の復元や土塀や本丸の解体された4つの櫓と櫓門、土塀も木造復元されることになっている。

現在は旧二の丸内が上田城跡公園になっており、毎年花見の季節(4月上旬)になると、上田城千本桜まつりが行われ、多くの市民や観光客で賑わう。夜には千本桜のライトアップがされ、日本夜景遺産に認定されている。

敷地内には上田市民会館(平成26年(2014年)閉館)、野球場、市立博物館、招魂社などが置かれている。

本丸跡にある真田神社は、上田合戦で「落ちなかった」城であることにあやかり、受験生の祈願も多い。神社境内には古井戸があり、「城外への抜け穴になっていた」との伝説がある。三の丸の藩主居館跡には、松平氏時代の屋敷門と堀が残されている。同地は現在上田高校の敷地として利用され、門は学校の正門として使用されている。

構造

本丸を南側に置き、二の丸が本丸の北・東・西を囲み、二の丸と東の大手門の間に三の丸を置く、梯郭式といわれる縄張りとなっている。これは千曲川に接する断崖となっていた南側が最も天然の防御力が強く、当初は天正壬午の乱において後北条氏による上州方面からの、上杉氏による越後方面からの攻撃に対するものであった。

翌1584年に真田氏が徳川氏と断交したため、当初は越後方面に予定していた大手(防御正面)を対徳川を想定して東側に変更した。

通常は本丸や二の丸など城の中心に置かれる政務用の建物が、三の丸に置かれているのが、真田信幸が上田領を継承した際に、既に上田城は破却されていたため、再建は叶わず、三の丸に居館を置いた。

その後、上田城が仙石氏により再建された時、昌幸時代の本丸周囲の堀は、1度埋められたものが、仙石氏によってそのまま掘り戻されたと考えられ、以降も大きな変更はされないまま現在見られる姿になっていると考えられる。なお、堀底の発掘調査により、真田氏時代の金箔瓦や、菊花文軒丸瓦、金箔鯱の破片などが出土している

現在、堀が住宅開発で埋め立てられたこともあって現存する郭は本丸だけである。 上田城に天守はなかった。第一次上田合戦の様子を叙述した山鹿素行の『武家事紀』には、「天淵殿守モ無之小城」との記述が見られ、江戸時代に仙石氏により再建された上田城にも天守はない。ただ第一次上田合戦当時の上田城は未完成とされていることや、寛永年間の作成という絵図には上田城本丸に「御天守跡」と記入されていること、桃山時代のものとみられる金箔を施した軒丸瓦や鬼瓦、鯱瓦の破片などが出土していること、同時期の近隣諸城(小諸城や松本城、高島城)や嫡男真田信幸の沼田城に天守があることなど、いくつかの傍証から真田昌幸時代に三層四階建ての天守が存在した可能性はある。

仙石氏による上田城の再建では、本丸2つの櫓門、7つの櫓が建てられた。二の丸には土塀が建っていただけで櫓台はあったが二の丸御殿、櫓、門は建てられなかった。小泉曲輪には建物は建っていなかった。三の丸には中屋敷、上田藩主居館が建っていて藩主は上田藩主居館に住んでいた。仙石忠政の死によって二の丸の整備は中断、松平氏時代にはほとんど整備されないまま幕末を迎えた。

本丸は東西に延びた長方形だが、その北東の角のみ鬼門を避けるため欠いた構造をしている。

城下町

上田城を中心に形成された城下町のうち、北国街道に沿った海野町、原町、横町、柳町、田町、鍛治町、紺屋町が宿場町の機能を担った。海野町には本陣と問屋を兼ねた柳沢家があり、原町には問屋の滝沢家があって、宿役を勤めた。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
廃城令で破却され移築された南櫓と北櫓。移築先はまさかの遊郭でした!鉄砲狭間の付いた恐ろしい装備付き。遊郭時代の写真も残っています。昭和に市民からの熱望で今の元ある場所に再移築されました。

マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR上田駅・しなの鉄道上田駅・上田電鉄別所線上田駅から徒歩12分

■車
・上信越自動車道「上田菅平IC」から約4km 約15分

上田城 周辺スポット

上田藩主居館跡

現在の上田高校の敷地は、そっくりかつての藩主(城主)屋敷の跡にあたります。同校東側の表門と、その両脇につづく土塀・濠・土塁は、昔の面影をよくとどめていて、上田市の文化財に指定されています。

→マップ

真田氏館跡

館跡は四周に土塁を廻らしており、土塁の高さは現在4mから5mあり、南側には大手があり枡形も残っている。遺構の現存しているものはこのお屋敷以外になく、中世豪族の館跡として貴重です。

→マップ

上田城 周辺宿泊施設

上田城 周辺グルメ

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管理人:つぶやき城ー

MEMO
信州と言えば蕎麦!しかし上田市は蕎麦だけではない!
信州名物「美味だれ焼き鳥」(おいだれやきとり)は、すりおろしニンニクがたっぷり入ったしょうゆベースのタレを焼きたての焼き鳥に自分でかけて食べるご当地グルメ。

長野県の城を攻める

長野県

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松本城【日本100名城】: 36.238631, 137.969549
上田城【日本100名城】: 36.403893, 138.244593
小諸城【日本100名城】: 36.327171, 138.417429
高島城【続日本100名城】: 36.039810, 138.112014
龍岡城【続日本100名城】: 36.196577, 138.502257
飯山城: 36.859416, 138.358469
松代城【日本100名城】: 36.565823, 138.196077
高遠城【日本100名城】: 35.832793, 138.062852
林城: 36.222404, 138.002154
鈴岡城: 35.483591, 137.825933
大島城: 35.576519, 137.915883
青柳城(あおやぎじょう): 36.430804, 138.027163
戸石城(といしじょう): 36.425124, 138.291414
上原城: 36.008753, 138.148570
桑原城(くわばらじょう): 36.025865, 138.139729
飯田城: 35.512725, 137.823057
松尾城: 35.492128, 137.843528
荒砥城(あらとじょう): 36.479778, 138.136430
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松本城【日本100名城】
松本城【松本市】
松本城は日本でも有数の美しさを誇る城で、漆黒の天守は現存建築で国宝に指定されている。天守を築き城下を発展させたのは徳川家から出奔して豊臣秀吉の家臣となった石川数正。珍しい連結複合式天守の天守は絶対に見るべき城。



遺構:天守・石垣・土塁・堀・二の丸土蔵
国宝:天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓
復元建築:黒門・太鼓門
縄張り:梯郭輪郭複合式  平城(国指定史跡)

【松本城データベース】
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上田城【日本100名城】
上田城【上田市】
二度にわたって徳川軍を撃退した、真田昌幸が築城した有名な城。関ケ原の戦いで真田昌幸、信繁が属した西軍が負けた為、上田城は徳川家康によって徹底的に破却。後に上田藩主として入城した仙石氏によって再建された。



遺構:櫓・石垣・土塁・堀
復元建築:城門
縄張り:梯郭式 平城(国指定史跡)

上田城データベース
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小諸城【日本100名城】
小諸城(こもろじょう)【小諸市】
小諸城は仙石秀久の居城として知られ、江戸時代に入った後も極めて要衝な領地であった為、譜代大名が歴代藩主を務めた。天守台や石垣のほか、2つの重要文化財が残されている。



遺構:大手門・三之門・天守台・石垣・空堀
国の重要文化財:大手門・三之門
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)

小諸城データベース
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高島城【続日本100名城】
高島城【諏訪市】
諏訪湖に突き出した水城で、日本三大湖城のひとつに数えられている。地盤が悪かった為か、天守を含めた主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺きを採用している珍しい城。



遺構:石垣・堀・門
復元建築:天守・櫓・門・塀
縄張り:連郭式 平城(市指定史跡)
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龍岡城【続日本100名城】
龍岡城(たつおかじょう)【佐久市】
龍岡城は函館とともに日本に2つしかない五芒星形の西洋式城郭である。函館の五稜郭に3年遅れ、1867年(慶応3年)に龍岡藩主・松平乗謨によって築かれた。完全な完成前に明治維新を迎え廃城となる。



遺構:櫓・石垣・土塁・堀・御台所
移築建築:時宗寺に大広間・薬師寺に通用門・民家に城門が移築現存
縄張り:稜堡式 平城(国指定史跡)
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飯山城
飯山城【飯山市】
戦国時代には上杉謙信が武田信玄に対する前線基地として改修し、川中島の戦いの時は北信濃の戦略的拠点として使われた。江戸時代には飯山藩の藩庁が置かれた。



遺構:石垣・土塁・櫓
移築建築:鈴泉寺に城門・山田家資料館に長屋門・信叟寺(しんそうじ)に南大手門・妙専寺に本丸裏門が移築。
縄張り:平山城(県指定史跡)
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松代城【日本100名城】
松代城【松代町】
松代城は海津城という名で武田信玄が山本勘助に命じて築いた城。甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城のひとつとされている。江戸時代に真田信之が入城してから松代城となる。太鼓門、堀、石垣、土塁などが復元されている。



遺構:石垣・土塁・堀
復元建築:太鼓門・堀・石垣・土塁など
縄張り:輪郭式 平城(国指定史跡)

松代城データベース
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高遠城【日本100名城】
高遠城【伊那市】
諏訪氏一門の高遠頼継の居城。武田信玄によって攻め取られる。信玄は山本勘助に大規模な改築を命じた。江戸時代には高遠藩の藩庁となり、内藤清枚などが城主を務めた。現在は石垣や空堀などが残されている。



遺構:石垣・土塁・空堀・門
縄張り:平山城(国指定史跡)
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林城
林城【松本市】
信濃守護・小笠原氏が本拠とした城で、天文19年(1550年)小笠原長時が武田信玄に敗れて信濃を退去したのちは深志城が活用された為、そのまま破却され廃城。土塁や野面積の石積が残る。



遺構:石垣・土塁・堀切・竪堀・空堀・虎口・土橋
縄張り:山城(国指定史跡)
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鈴岡城
鈴岡城【飯田市】
小笠原三家のひとつ、鈴岡小笠原氏の居城。1554年の武田信玄による伊那侵攻のときには、城主の小笠原信定は抵抗したものの落城。その後は松尾城の支城として使用されたと考えられている。



遺構:曲輪・土塁
縄張り:平山城(県指定史跡)
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大島城
大島城【松川町】
武田信玄が秋山信友に命じて、駿河・遠江への侵攻拠点として大改修させた城。1582年に織田信忠の軍勢が伊那に侵攻して落城。土塁や空堀など甲州流築城術の遺構を確認でき、特に二重の三日月堀に囲まれた丸馬出は必見。



遺構:土塁・曲輪・堀・馬出
縄張り:連郭式 平山城(町指定史跡)
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青柳城(あおやぎじょう)
青柳城(あおやぎじょう)【筑北村】
青柳氏の居城。武田信玄が松本から川中島平への前衛拠点として改修している。「第1次川中島の戦い」では村上義清、高梨政頼らの求めに応じて信濃に出兵した上杉謙信の軍勢によって放火されるなど、多くの合戦の舞台となっている。



遺構:曲輪・石垣・土塁・堀切・竪堀
復元建築:模擬櫓
縄張り:山城(県指定史跡)
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戸石城(といしじょう)
戸石城【上田市】
村上氏と武田氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられた城。東太郎山(標高1300m)に築かれた枡形城、本城、砥石城、米山城からなり、これら4城を総称して「戸石城」と呼ぶ。アニメ映画「サマーウォーズ」にも登場。劇中の陣内家の屋敷は戸石城跡に所在している。



遺構:曲輪・堀切・竪堀・土塁・石積・虎口
縄張り:山城(県指定史跡)
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上原城
上原城【茅野市】
1542年に武田信玄が侵攻すると、諏訪頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退却して降伏。以降、武田信玄が実効支配する。高島城が築城されたことで諏訪郡の政治的拠点は高島城に移転される。現在、土塁や空堀などの遺構が残っている。



遺構:曲輪、土塁、空堀、物見石
縄張り:山城(県指定史跡)
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桑原城(くわばらじょう)
桑原城【諏訪市】
1542年武田信玄が諏訪へ侵攻し、諏訪氏は滅亡。桑原城はまもなく廃城となったと伝わる。築城年月日も含めて謎が多い城だ。城址は整備されており、土塁や空堀などの遺構が残っている。



遺構:曲輪・堀切・土塁
縄張り:山城(長野県指定史跡)
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飯田城
飯田城【飯田市】
戦国時代に武田信玄、織田信長、徳川家康と領主が度々替わった城。現在の松本城の天守は飯田城の天守を移築した説もある。本丸跡は神社境内となり、石塁、空堀と土塁の一部が残っており、合同庁舎には桜丸御門が現存している。



遺構:桜丸御門(赤門)・石塁・空堀・土塁
移築建築:八間門(民家)・藥医門(経蔵寺)・桜丸西門(雲彩寺)
縄張り:平山城
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松尾城
松尾城【飯田市】
小笠原三家のひとつ、松尾小笠原氏の居城。本能寺の変後、徳川家康の家臣となり、徳川家康の関東移封にともない本庄城に移り松尾城は廃城となる。現在、城跡は松尾鈴岡公園として整備されている。



遺構:曲輪・土塁
縄張り:平山城(県指定史跡)
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荒砥城(あらとじょう)
荒砥城(あらとじょう)【千曲市】
千曲市城山史跡公園として整備されており、中世の史実に基づいて館や見張り台、兵舎、門などが復元。戦国時代の山城の姿が蘇った。ドラマのロケ地としても使用され、大河ドラマ「風林火山」では海ノ口城として、「江~姫たちの戦国~」では小谷城のロケ地として使用された。



遺構:土塁・空堀
復元建築:館・見張り台・兵舎・門
縄張り:山城