【長崎県】平戸城

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CASTLE DATA FILE.105

登城日:2026年3月27日
交通手段:名護屋城から車で90分
ステータス:日本100名城
ジャンル:梯郭式 平山城
遺構:狸櫓・北虎口門・石垣
復元建築:天守・乾櫓・見奏櫓・懐柔櫓
スタンプ:天守内で押印
御城印:天守内で購入

貿易船を監視する海の要塞。焼失で一度は破却されるも1718年に復活!

九州遠征2日目 3城目は長崎県の平戸城です。
唐津城→名護屋城→平戸城と沿岸の3城を攻める今回の計画で最後の城。

名護屋城から車で約1時間半で、到着は15時頃。
唐津城と名護屋城が見どころが多かった為に、予定よりも時間が押してしまいましたが、無事に到着することができました。

平戸城は日本100名城に選定されており、雄大な海の平戸瀬戸を望む要塞で、平戸藩松浦氏の居城でした。

平戸城無料駐車場に車を駐車して早速 本丸を目指して登城開始です。

平戸城の本丸には幾つかのルートがありますが、今回は駐車場から最も近い天守裏のルートから登城します。
頂上部に本丸を置き、本丸を囲む形で二の丸を配した梯郭式 平山城です。

1599年に松浦鎮信が築城したのが始まりで、完成して間もない1613年に焼失します。

焼失は原因不明とされていますが、松浦家は豊臣家との関係が深かった為、幕府から動向を疑われたことが原因で自ら焼き払っという説があります。

駐車場からの登城路。
焼失後から100年間は藩主の松浦家は城を持たず、城下町の御館を本拠として藩政を行いました。

将軍 徳川綱吉の外様大名登用策で、寺社奉行に就任したことで城の再建が許可されます。
新たな築城に関して厳しかった時代に、築城許可が出たことは特例でした。
工事は1704年に開始され、1718年に完成しました。

駐車場から登城して間もなく、北虎口門が現れます。

石垣を土台にした櫓門で、城の北側を守る重要な門です。
現存する唯一の木造遺構で、二の丸御殿への通用門でした。

櫓台の石垣は、自然石を使用した野面積みで隅は算木積み。所々に結晶岩のような細長い石材も確認することができます。

北虎口門と並んで左右には狸櫓と地蔵坂櫓があります。
地蔵坂門は絵図では平櫓で描かれていますが、1962年に二重櫓で再建されました。

北虎口門を見張るように高い場所に築かれています。

地蔵坂櫓の反対側に位置する狸櫓。
北虎口門よりも全面にせり出して配置されています。
北虎口門から侵入する敵を横からも攻撃できる設計。

内側から見た北虎口門と狸櫓。
北虎口門の築造は江戸時代の1707年で現存建築物となります。白漆喰と下見板張りの木板が見事なコントラスト。

脇の階段から本丸に向かいます。

狸櫓も北虎口門と同様に現存建築物で、平戸城の数少ない江戸時代から残る遺構です。

狸櫓の前から見た北虎口門と地蔵坂櫓。
狸櫓の前からは臨場感のある景色を見ることができます。

狸櫓から斜面に沿って造られた石垣と土塀。
土塀には狭間が設けられていますが、ポイントは土塀を支える石垣にも狭間が設けられている点。

石狭間は大坂城や二条城でも見られますが、狭間の全面をくり抜いた石狭間は非常に珍しいです。
土塀の狭間と石狭間の両方から攻撃することが可能です。

平戸城は二の丸が本丸を囲む形で造られています。
本丸への登城路から見た本丸石垣。

二の丸と本丸を仕切っている本丸門。
当時はどのような形の門だったかは不明ですが、鉄筋コンクリートで復元されています。

外観は北虎口門をベースにしているようで、櫓内部は売店になっています。
模擬櫓に分類されるのかなと思いますが、支える石垣は当時のものだと思われます。

見どころは本丸門を抜けた先の枡形。
石垣で造られた空間で、本丸を守る最後の門として厳重に造られているように感じます。

礎石らしき石も残っています。
この枡形の階段を上れば天守となります。

平戸城には実際は天守は築かれておらず、3層5階の鉄筋コンクリートで昭和37年に造られました。模擬天守です。

平戸城天守内の展示室に飾られている軒瓦。
よく見ると十字のマークが刻印されています。

天守内部は展示室となっており、出土品や平戸城主 松浦家について知ることができます。
現存建築の北虎口の門扉も展示されています。
修理の際に現存の門は交換されました。

天守最上階からの景色は絶景です。
平戸城は平戸島の北部に位置しており、平戸瀬戸に突き出した丘陵の頂上部に築城されました。

貿易船を監視するには絶好の立地です。

目の前には平戸港があり、海運・貿易の拠点でもありました。
平戸城は3方向が海に囲まれており、船で入港する人達は海から平戸城を目印にこの平戸瀬戸を通過したことでしょう。

天守から見た見奏櫓と懐柔櫓。
奥に見える赤い橋はワタクシも通過してきた平戸大橋。

平戸島に入るには平戸大橋を通る必要があり、平戸大橋からの景色も素晴らしかったです。
手前側が見奏櫓で奥が懐柔櫓です。

白浜港も見えます。後ほど白浜港付近も周ります。
1550年にポルトガル船がはじめて平戸港に入港しました。

平戸は小学校の時にも習ったフランシスコザビエルが布教活動をした町です。
日本で初めてクリスマスが行われ、市内にはザビエルの記念碑と平戸ザビエル教会があります。

続いて登城してきた道を戻って北虎口門の脇にある地蔵坂櫓にきました。
地蔵坂櫓の前には盛土がされています。

盛土の上から撮った地蔵坂櫓。

地蔵坂櫓付近から見た亀岡神社。
二の丸の西側を一望できるスポットです。二の丸には藩主の御殿が建てられていました。

同じく、地蔵坂櫓付近から見た乾櫓。
続いて乾櫓方面へと向かいます。

乾櫓は二の丸を守っていた櫓で三重三階。
天守が無かった平戸城において、唯一の三重櫓だったことから天守代用とされていました。

乾櫓付近から見た二の丸。
天守がある場所が本丸なので、二の丸より一段高い山の上に本丸が置かれているのが分かります。
本丸の標高は52mで、小高い丘の上に築かれております。

乾櫓の近くにある方啓門跡。

コンパクトな枡形になっています。規模からすると防御のための門ではなかった可能性があります。

方啓門から階段を下りるとテニスコートがあり、一般道となっています。

一般道からは道沿いに積まれた石垣と乾櫓が綺麗に見えます。
現在のテニスコートあたりは、当時は新馬場という曲輪でした。

乾櫓付近は木が多いので撮影スポットがかなり限定的です。
方啓門あたりから見る乾櫓が綺麗に写真が撮れます。

二の丸を守る二ノ大手門。
亀岡神社の鳥居が目印。

石垣で形成された枡形で、二の丸を堅固する厳重な造りになっています。

二ノ大手門から続く形で二の丸には石垣が積まれています。
隅石は大き目な石で形成された重ね積み。5~6m程の高さがあり、平戸城の中では見ごたえある石垣の一つです。

二ノ大手門からさらに階段を下りて、一ノ大手門へと向かいます。

一ノ大手門跡。
一ノ大手門と二ノ大手門が連続する平戸城の見どころポイントです!

地面には礎石も残っています。

一ノ大手門の枡形。
規模は二ノ大手門の方が大きいように感じます。

石垣の高さも二ノ大手門の方が高く堅固ですが、一ノ大手門には大きな鏡石があります。
石垣は加工した石を積んだ打込接。

一の大手門の雁木。
枡形内部の門の前に設けられているので、一ノ大手門はどのような建築構造をしていたのか非常に気になるところです。

枡形内部から見ると枡形の構造が分かります。
地面に礎石が埋め込まれた場所が門跡で、その前面に雁木があります。

一ノ大手門の入口。
二ノ大手門と同じく亀岡神社の鳥居が建ちます。

一ノ大手門、鳥居脇の石垣。
二の丸からこの一ノ大手門まで、何度も折れ曲がる設計になっています。

一ノ大手門から白浜港方面に歩くと、長崎県立猶興館高等学校の門があります。

猶興館高校があった場所は、平戸城の東曲輪内にあります。
それ故に高校の周りには石垣を見ることができます。

この唯ならぬ城門のような雰囲気!
軒丸瓦には松浦家の家紋が刻印、そして桃瓦も確認できます。

この門は平戸城の白浜口御門を、平成元年に高校の正門として土塀と併せて復元されました。

高校の石垣。
唐津城も平戸城も石垣の残る学校が麓にあり、学生さんがとても羨ましいです。

白浜港の前に残る石垣。

この辺りは木も生えてないので、石垣がよく見えます。

白浜港から見た平戸瀬戸は、とても穏やかで心地よい風が吹きます。

続いて白浜港の前から平戸城内にある護国神社へと向かいます。
護国神社に向かう登城路からも、二の丸の石垣を見ることができます!

護国神社の鳥居。
舗装された道路になっていますが、石垣に囲まれた喰違いになっているので城門があったのでしょうか。

護国神社で参拝した後は、再び天守に向かいます。
護国神社の近くには懐柔櫓があります。

二の丸東側の守りで、白浜港の前に位置しています。

懐柔櫓は1977年に復元され、2021年に平戸城キャッスルステイ懐柔櫓として、ラグジュアリーな宿泊施設へとリニューアルされました。

ちなみに、楽天トラベルでは素泊まり330,000円でした。
日本100名城でこの景色を独り占めですからね。
いつか泊まってみたいものです。

懐柔櫓前の道を進めば、見奏櫓と天守に向かうことができます。

見奏櫓は天守と同じく、1962年に建てられました。

このアングルからの天守は、見たことあるようなシルエット。
細かく見ると異なるのですが、小田原城に似ているようにも感じます。

逆光になりましたが本丸の石垣を見るには、ここからのアングルがベストポジションです。
平戸城は山鹿素行によって縄張りされた城です。
山鹿素行は儒学者・軍学者で、武士道を理論化した山鹿流兵法の祖。
そして理論的・数学的に計算された築城術が有名です。

赤穂城が特に山鹿流築城術で有名です。
平戸城ではどの辺りが山鹿流だったのかは分からず・・

ある程度は遺構を周ることができたのですが、不覚にも幸橋と幸橋御門を見逃しました。
城郭と城下町を結ぶ橋と門です。

そして時間の都合上、平戸城が再建されるまで藩庁だった御館に行けませんでした。
2時間半ほど周りましたが、結果的には時間が足りませんでした。

少々の無理をして沿岸の3城を攻めましたが、天気も良くて絶景でした。
当然ですが性質も歴史も異なり、それぞれの特徴を見ることができて贅沢な1日となりました。