名古屋城【日本100名城】

駿河今川氏が戦国時代に築城したのがはじまり。その後、関ヶ原の戦いを制した徳川家康が旧城跡を拡大して天下普請によって築城した。

加藤清正をはじめとする西国の大名20家が築城に関り、以降明治維新まで徳川御三家の筆頭とされる尾張徳川家17代の居城となった。
美しさと高い防御力を誇る名古屋城は「城郭建築の最高到達点」とも称されている。

名古屋城の見どころ

歴史ポイント

慶長11年(1606年)に義直は、兄・松平忠吉の遺跡を継ぐ形で尾張国清須に移封された。その際に家臣団が編制され、尾張徳川家は江戸時代を通じて名古屋藩を治めた。
尾張徳川家は江戸時代に存在した300藩の中でも、随一の家格を誇っていました。

家臣たちは江戸時代の半ばごろには約25000人に及んでいました。彼らの中には徳川家康とのつながりから、尾張徳川家に属しながらも幕府の公的な仕事を請け負っていた者や、尾張藩が成立する前からの在地武士としての由緒を持つ者など、さまざまな出自・経歴を持った人びとによって構成されていました。

歴史ポイント

名古屋城にそびえる巨大な天守。昭和まで現存していましたが、空襲により焼失してしまいました。
しかし、復元され今でも名古屋市のシンボルとなっています。天守台の石垣は加藤清正流の扇の勾配で美しい曲線を描きます。城内には多くの石垣を見ることができるので注目です。

その他、3基の櫓が現存しており特に西北隅櫓は清洲城からの移築といわれています。
さらに注目は復元された本丸御殿。城郭建築の領域を超えた荘厳華麗な御殿を観覧することができます。

西北隅櫓

西南隅櫓

天守

東南隅櫓

本丸御殿

清正石

表二之門

不明門

旧二之丸 東二之門

天守台

登城レポート

ポイント

  • 名古屋市内に位置しておりアクセスは良好
  • 本丸御殿の復元や金シャチ横丁など整備が進んでいる
  • 合戦の歴史は無い

平均:4.16
合計:25.0

  • 遺構:遺構の多さ、貴重度
  • アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
  • 満足度→攻城のトータル総評
  • 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
  • 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
  • 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
日本100名城スタンプ
・正門改札所
・正門総合案内所
・東門改札所
 開園時間:9:00~16:30

御城印販売
・正門横売店
・内苑売店
 販売時間:9時~16時45分

名古屋城 周辺の天気

別名金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
城郭構造梯郭式(または輪郭式)平城
天守構造連結式層塔型5層5階地下1階
1612年築 (非現存)
1959年(SRC造・外観復元)
築城主徳川家康
築城年慶長14年(1609年)
主な改修者名古屋城再建委員会
主な城主尾張徳川家
廃城年1871年(明治4年)
遺構櫓、門、土塀、庭園、石垣、堀
指定文化財国の重要文化財(櫓3棟、門3棟)
再建造物外観復元大小天守、外観復元正門、不明門、本丸御殿

写真で見る名古屋城

大天守
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大天守
大天守と小天守
西北隅櫓
不明門
表二之門
本丸御殿
大天守 破風
東南隅櫓
西南隅櫓
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マップ

アクセス

公共交通機関
・名城線 「名古屋城」7番出口より徒歩 5分
・瀬戸線 「東大手」徒歩15分

■車・バイク
・名古屋高速1号楠線 「黒川」 出口から南へ8分
・名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分

■駐車場
・名古屋城専用有料駐車場あり

名古屋城について

名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏築城の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が天下普請によって築城した。以降明治維新まで徳川御三家の筆頭とされる尾張徳川家17代の居城だった。

大阪城、熊本城とともに日本三名城に数えられ、伊勢音頭では「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と詠われている。

大小天守、本丸御殿の一部は昭和戦前期まで残存していたが、1945年の名古屋大空襲で大部分を焼失した(西南隅櫓など6棟は焼失を免れて現存している)。戦後に天守、門が鉄筋コンクリートで外観復元され、城跡は名城公園の南園として整備されている

現在、名古屋城の全体整備計画があり、整備計画では史跡としての名古屋城の保存活用と価値を高めたいとしている。

2023年現在、計画されている整備計画では、天守閣の木造復元の整備、東北隅櫓の復元整備、本丸表一之門と本丸東一之門と本丸東ニ之門と二之丸の門、二の丸大手ニの門渡櫓の復元、馬出の復元、本丸多聞櫓の復元、二之丸庭園の保存整備と二之丸御殿及び向屋敷の復元整備、大手門・東門、埋御門と二之丸の櫓の復元整備、展示収蔵施設の整備、御園御門、清水御門、東御門の復元整備、石垣補修などである。

歴史

清須城は長らく尾張の中心であったが、関ヶ原の戦い以降の政治情勢や、水害に弱い清須の地形の問題などから、徳川家康は1609年(慶長14年)に、九男義直の尾張藩の居城として、名古屋に城を築くことを定めた。

1610年(慶長15年)閏2月、未だ大坂城には豊臣秀頼が居る中、西国諸大名の助役による天下普請で築城が開始された。

石垣は諸大名の分担によって築かれ、中でも最も高度な技術を要した天守台石垣は普請助役として加藤清正が築いた。

延べ558万人の工事役夫で8月末には天守台が完成し、9月頃には石垣を大方積み終え、遅い所も同年暮れまでには完成している。

そして大坂冬の陣後の1615年4月、義直と浅野幸長の娘・春姫の婚儀が行われ家康も駿河からそれに出席するが、その最中に豊臣方挙兵の報が入りそのまま大阪へ出陣し豊臣家を滅ぼしている。

清須からの移住は、名古屋城下の地割・町割を実施した1612年(慶長17年)頃から徳川義直が名古屋城に移った1616年(元和2年)の間に行われたと思われる。この移住は清須越しと称され、5万人を越える住民はもとより、社寺3社110か寺も移る徹底的なものである。こうして名古屋城の城下町は出来上がっていった。

また1615年に完成した本丸御殿だが、二の丸御殿が1617年に完成すると1620年に義直はそちらへ移り、本丸御殿は将軍上洛時の御成御殿とされた。そして1626年(寛永3年)に大御所徳川秀忠が、1634年(寛永11年)に、徳川家光が上洛の途中で立ち寄る。

特に家光の御成の際は本丸御殿が大々的に増改築される。だがその後長い間将軍の御成は無かったか、1865年(慶応元年)に、14代将軍徳川家茂が上洛の途中で本丸御殿に宿泊している。宿泊は1泊のみで入城の翌日には名古屋城を出発した。

近代

明治維新後の1870年(明治3年)、徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出た。金鯱は鋳潰して武士の帰農手当や城地の整備費用に充当する予定であった。

しかし、ドイツ公使マックス・フォン・ブラントと日本陸軍第四局長代理だった中村重遠工兵大佐の訴えにより、1879年(明治12年)12月、山縣有朋が名古屋城と姫路城の城郭の保存を決定。

この時、天守は本丸御殿とともに保存された。

太平洋戦争時は空襲から金鯱を守るために地上へ下ろしたり、障壁画を疎開させるなどしていたが、1945年(昭和20年)5月14日の名古屋大空襲で、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失した。

遺構・文化財

第二次世界大戦前は、旧国宝24棟をはじめ、多数の建造物が城内に現存していたが、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)5月14日8時20分頃、アメリカ陸軍のB-29が投下した焼夷弾により大小天守を含むほとんどを焼失した

現在残る尾張藩時代の建物は、本丸辰巳隅櫓、本丸未申隅櫓、本丸南二之門、旧二之丸東鉄門二之門(現在本丸東二之門跡に移築)、二之丸西鉄門二之門、御深井丸戌亥隅櫓の6棟のみ。

すべて重要文化財である。現存する門3か所はもとは櫓門(一之門、内門)と高麗門(二之門、外門)の二重構えであったが、いずれも高麗門のみが現存する。

また、1952年(昭和27年)3月29日に城域内が国の特別史跡に指定され、1953年(昭和28年)に二之丸庭園が名勝に指定された。このほか、二之丸北側の石垣上に、「南蛮たたき」の工法で固められた土塀の遺構が現存している。

名古屋城 周辺スポット

桶狭間古戦場公園

戦国時代の重要な転換点として知られる桶狭間の戦い。現在、桶狭間古戦場公園として整備されている一帯は戦のまさに中心地でした。

おけはざま山の本陣から追われた今川義元公。彼が服部小平太と毛利新介の手により敗れた最期の地とされています。合戦から450年目の2010年に整備され、往時の現場をひとめ見ようと、全国から歴史愛好家などが多く訪れています。

長久手古戦場

天正12(1584)年に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)と徳川家康が激烈な戦いを繰り広げた主戦場跡地で、国の史跡に指定されています。

現在、この場所は「古戦場公園」として整備され、園内には武将の塚や郷土資料室がある。また、ここから約2キロ北にある「色金山歴史公園」には、家康が合戦時に腰掛けて軍議を開いたとされる石が残されています。

豊国神社

豊臣秀吉とその弟、秀長の故郷は尾張中村、現在の名古屋市中村区。二人が生まれ育った地には、中村公園という公園が整備され、その中心となっているのが豊國神社です。

豊國神社が創建されたのは明治18年。秀吉が亡くなった後、“豊國大明神”として神格化されていましたが、徳川家が治める江戸時代には信仰が禁止されていたそうです。そのため、明治維新の後に、地元の有志によって創建されました。

熱田神宮

熱田神宮は「熱田さん」の名で古くから崇敬を集めるお宮です。創建は景行天皇43年(113年)。静かな参道を拝殿目指して歩くだけで、身が清められるような気持ちになります。

拝殿の奥に見える本殿には、ご祭神である熱田大神が鎮まっています。熱田大神は、三種の神器のひとつ・草薙神剣をご神体とする天照大神とされています。

荒子観音寺

荒子観音寺は、尾張四観音の一つです。多宝塔は市内最古の木造建築物で、国の重要文化財に指定されています。
荒子城主・前田家の菩提寺で、前田利家が越前に移るときに本堂を再建したと言われています。

山門の二体の仁王像は円空の作で、他に1200体余の円空仏を所蔵し、毎月第二土曜日の午後1時から4時に一般公開されています。

名古屋城 周辺宿泊施設