駿府城
駿府城(すんぷじょう)は、静岡県静岡市にある、江戸幕府を開いた徳川家康が幼少期と晩年を過ごし、大御所として天下の政治を行った「終焉の城」です。
三重の堀を持つ広大な平城で、現在は東御門や巽櫓が復元された「駿府城公園」として親しまれ、徳川家康の銅像や発掘された巨大な天守台跡が見どころです。最近では天守の絵図が発見され、徐々に巨大城郭の全容が明らかになりつつあります。
Contents
駿府城の見どころ

静岡市の中心部に位置する城郭なので、近代的な市街地と歴史的な遺構が重なり合う姿がが美しく魅力的です。
東御門、巽櫓、坤櫓が復元されており、かつての姿を取り戻しつつあります。
特に石垣と中堀、は綺麗に残っているので、外周をゆっくり歩くのもおススメ。

大御所 徳川家康が晩年を過ごした城なので城下町は整備されて、当時は一大都市として栄えました。
静岡市内には幼少期・大御所時代の徳川家康にまつわるスポットが多くあります。
海の幸、静岡おでんなど食が美味しいのも静岡の魅力。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・東御門券売所:9:00~16:00
・坤櫓券売所:9:00~16:00
■御城印販売
・東御門・巽櫓 売店

駿府城 周辺の天気
| 別名 | 府中城、駿河府中城、静岡城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 輪郭式平城 |
| 天守構造 | 天正期:連結式 (1589年築) 慶長1期(1607年再) 慶長2期:連立式層塔型5重7階(1610年再) (いずれも非現存) |
| 築城主 | 徳川家康 |
| 築城年 | 1585年(天正13年) |
| 主な改修者 | 徳川家康 |
| 主な城主 | 徳川氏、中村氏、 内藤氏(松平氏) |
| 廃城年 | 1869年(明治2年) |
| 遺構 | 石垣、堀 |
| 指定文化財 | なし |
| 再建造物 | 巽櫓、東御門、坤櫓 |
写真で見る駿府城
登城レポート
今川館時代
14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川館が築かれ今川領国支配の中心地となっていた。
永禄11年(1568年)、武田信玄の駿河侵攻にて、今川氏真の今川館は焼失。
ただし、今川館が現在の駿府城と同じ場所であったことを示す史料は無く、むしろ1982年に行われた駿府城の二ノ丸跡の発掘調査によって見つかった戦国時代の遺構はその規模から今川氏の重臣の邸宅跡と考えられたことなどから、後世の駿府城よりも西側の地域に今川館があったとする推測が強くなっているが、具体的な位置については現時点では不明である。
安土桃山時代
今川領国が武田領国化されると支配拠点のひとつとなるが、武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有した。
天正13年(1585年)から徳川家康により、駿府城は近世城郭として築城し直された。この時に初めて天守が築造されたという。そして翌天正14年(1586年)に家康が、自身が17年過ごした遠江国浜松城から駿府城に移った。
その後天正18年(1590年)、豊臣政権による後北条氏滅亡に伴う家康の関東移封が行われ、徳川領国と接する駿府城には豊臣系大名の中村一氏が入城。一氏は関ヶ原の戦いの直前に死去する前、徳川方の東軍につくことを決め、戦いの後に嫡子の中村一忠が伯耆に転封されたため、駿府は内藤信成が治めた。
江戸時代
江戸時代初期、家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、駿府藩を治めていた内藤信成に代わって駿府に隠居した(それにより駿府藩は一時的に廃藩となった)。政治的影響力を持ち続けた家康は大御所と呼ばれた。
このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が完成した。1607年(慶長12年)に、城内からの失火により、完成して間もない本丸御殿を焼失したが、その後直ちに再建工事が開始され、1610年(慶長15年)完成した。
天守台は、石垣上端で約55m×48mという城郭史上最大級の規模であった。天守曲輪は、7階の天守が中央に建つ大型天守台の外周を隅櫓・多聞櫓などが囲む特異な構造となった。
1609年(慶長14年)に家康の十男・徳川頼宣が50万石で入封し駿府藩が復活したが、1633年(寛永10年)以降は明治維新まで幕府の直轄地となり駿府城代が置かれた。
遺構

堀・石垣
内堀は、発掘・復元された南東の一部と中堀との間を結ぶ水路、天守台発掘調査で露出した部分を除いて埋立て消滅しているが、中堀と東辺以外の外堀はほぼ江戸期の姿を残している。ただし、歩兵第34連隊が置かれた後に架けられた凱旋橋、城代屋敷跡付近の城代橋、静岡県庁本館前など、江戸期とは異なる位置に架橋されている箇所がある。
中堀・外堀外縁の石垣・土塁は、1854年(嘉永7年)の安政東海地震による崩落や明治以降の改変によって積み直されている箇所が多いが、大手御門の虎口や北御門跡などが往時の姿をよく残している。また、残存する石垣に天下普請を物語る刻印を確認することができる。又、現存する堀は中堀と外堀の一部だけである。
MEMO
駿府城の正面出入り口である大手御門の虎口は現在もはっきりと残っており、車も通る一般道となっています。建築物はありませんが、切込接ぎの迫力ある石垣が残ります。
移築建築物
駿府城のお万の居間が移築され、静岡県三島市にある妙法華寺の奥書院として現存している。これが駿府城唯一の現存建築物であり、三島市文化財に指定されている。なお、一般には公開されていない。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR東海道本線/東海道新幹線「静岡駅」徒歩約10分
■車・バイク
・東名高速道路「静岡IC」から約20分
■駐車場
・静岡市民文化会館前駐車場
・公園周辺に有料駐車場あり
駿府城 周辺スポット
久能山東照宮

徳川家康の遺言によって造られ、家康を御祭神とした祀る日本で初めての東照宮。
二代将軍 秀忠の命によって創建され、平和の守護神・国家鎮護の神として崇敬を受けてきました。荘厳華麗な社殿は国宝に指定されている。
→マップ
臨済寺

今川氏の菩提寺で、人質となっていた家康公が学び親しんだお寺。本堂は国の重要文化財、庭園は国の名勝に指定されている。年2回、春と秋に特別拝観が実施されています。
※修行寺のため、通常は拝観できません
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静岡県の城を攻める
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