掛川城【日本100名城】

掛川城は山内一豊の居城として知られており、静岡県掛川市にある「東海の名城」で、室町時代に今川氏が築き、戦国時代には山内一豊が城主として大改修を行った。日本初の本格木造復元天守(1994年復元)と、現存する御殿建築(二の丸御殿)が特徴。二の丸御殿は重要文化財にも指定されており、二条城と並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構といえる。

新幹線の駅が停車する掛川駅からも近く、桜の名所としても知られています。 

掛川城の見どころ

遺構ポイント

御殿建築は全国に4城しか現存していませんが、その内の一つが掛川城の二の丸御殿です。城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された、書院造と呼ばれる建築様式です。
そして日本で初めて本格木造で復元された白亜の天守は、三層四階ながらどこから見ても映えること間違いありません。
特に大手橋から見た天守はおススメです。

観光ポイント

掛川市は新幹線の停車駅でもあるのでアクセスが抜群に良いです。山内一豊が整備した城下町も美しく魅力的です。
そして、掛川市は掛川城だけではありません。武田信玄と徳川家康が争奪戦を行った高天神城や横須賀城もあるので、実は名城の宝庫です。
「高天神城を制するものは遠江と制す」と言われるほど、重要なエリアでした。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
日本100名城スタンプ
掛川城 二の丸御殿内
開館所間:9:00~17:00(入館は16:30まで)

御城印販売
掛川城 二の丸御殿内

掛川城 周辺の天気

別名懸川城、懸河城、雲霧城、松尾城
城郭構造平山城
天守構造複合式望楼型3重4階(1590年築、1621年再・非現存)(1996年 木造復元)
築城主朝比奈泰煕
築城年文明年間(1469年〜1487年)
主な改修者山内一豊
主な城主朝比奈氏、山内氏、太田氏、石川氏
廃城年1871年(明治4年)
遺構二の丸御殿・太鼓櫓(移築)・大手門番所(移築)・蕗の門・石垣・土塁・堀(いずれも一部)、大手ニの門(移築)
指定文化財国の重要文化財(二の丸御殿、大手ニの門)
再建造物天守・大手門・四足門・土塀

写真で見る掛川城

掛川城 大手門
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掛川城 大手門
掛川城 逆川と天守
掛川城 四足門と天守
掛川城 本丸櫓門石垣
掛川城 太鼓櫓
掛川城 松の丸からの天守
掛川城 二の丸御殿
掛川城 二の丸御殿内部
掛川城 ライトアップ天守
掛川城 ライトアップ天守
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レポート

掛川城について

戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心、拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台となった。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られる城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものである。

本丸を中心に、西に搦手、南東に大手を開き、北に天守曲輪である天守丸、その北に竹之丸、南に松尾曲輪、西に中の丸、東に二ノ丸と三ノ丸、その南を惣構えで囲んだ梯郭式の平山城であった。明治以降は、廃城令によって廃城処分とされ建物の一部を残して撤去され、道路や庁舎の建設によって大半の遺構が撤去されている。

現在は、1854年に倒壊した天守や大手門などの一部の建物、塀が復元され、堀や土塁、石塁の復元が行われている。城跡の整備が城下に至り、電柱の埋設など都市景観の配慮に及んだ。

歴史

戦国時代

室町時代中期の文明(1469年 – 1487年)年間に大名・今川義忠が、重臣の朝比奈泰煕に命じて築城したと伝えられている。当初は龍頭山より北東にある子角山に築かれており、龍頭山の城は1513年に新たに築城されたものである。

そのまま朝比奈氏が城代を務め、泰煕の子孫である朝比奈泰能・朝比奈泰朝が代々城を預かった。ところが、1568年(永禄11年)、朝比奈氏の主君の今川氏真が甲斐国の武田信玄・三河国の徳川家康の両大名から挟み撃ちに遭い、本拠地たる駿府館を捨てて泰朝のいる掛川城に逃げ延びた。

このため掛川城は徳川勢の包囲に遭ったが、泰朝はよく城を守ったためなかなか落城しなかった。この際、徳川勢はかつて掛川城があった子角山を拠点としたという説がある。しかし、兵数の差もあって和議で氏真の身の無事を家康に認めさせると、泰朝は開城を決断した。

氏真と泰朝は1569年2月8日(永禄12年1月23日)に掛川城を開き、相模国の小田原城へ退去し、掛川城には城代として家康の重臣・石川家成・康通親子が入った。間もなく駿河国に入った武田信玄が徳川家康と敵対し、掛川城に程近い牧之原台地に諏訪原城を築き、さらに掛川城の南方にある高天神城では武田・徳川両氏の激しい攻防戦の舞台となった。

しかし掛川城は1582年(天正10年)の武田氏の滅亡まで徳川氏の領有であり続けた。

天正年間から慶長初年

その後も掛川城は石川氏が城代を務めたが、1590年(天正18年)に家康が東海から関東に移封されると、掛川城には豊臣秀吉の直臣であった山内一豊が5万1千石(のち5万9千石)で入った。一豊は掛川城の大幅な拡張を実施し、石垣・瓦葺の建築物・天守など近世城郭としての体裁を整えた城郭とした。

江戸時代

1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、一豊は土佐一国を与えられて高知城に移転した。その後、掛川城には多くの譜代大名が入ったが、最終的には太田氏(太田道灌一族の系統)が入り、何度か城の修築も行われている。

ところが、幕末の1854年(安政元年)末に、東海地方一帯を大地震が襲い(安政東海地震)、掛川城も天守を含む大半の建物が倒壊した。この際、政務所である二ノ丸御殿は1861年(文久元年)までに再建されたが、天守は再建されることはなかった。

遺構

建築遺構としては、1861年(文久元年)に再建された二ノ丸御殿(二の丸御殿台所、釜戸、土塀、蔵、厠3部屋、割場、井戸の部分は明治時代に解体された)が現存し、1980年(昭和55年)に国の重要文化財に指定されている。
現在、御殿内は入場可能となっており、採光や部屋割などをそのままにすることで、当時の風情を残す。そのほか構の遺構としては石垣や土塁、堀の一部が現存。

このほかに、移築して現存する建築物としては、三ノ丸から本丸に移築された太鼓櫓が現存する。玄関下御門が明治維新後に、袋井市の油山寺にそのまま移築され、これも国の重要文化財に指定されている。
大手門番所も幕末の建築であり、市の指定文化財に指定されている。また、掛川市円満寺の山門として蕗(富貴)の門が、どこの門か定かではないが菊川市西方(にしかた)の龍雲寺裏門に移築されている。

竹の丸は江戸時代には武家屋敷のあったところだが、明治以後は豪商の松本家が購入し、屋敷の建て替えを行った。この建築が、その後に掛川市の所有となって現存し、明治時代の上流階級の邸宅と小規模な庭園がある。2009年、建物の修復工事が行われ改修後は有形文化財として一般に公開されている。

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
主郭からは離れた大手門も見て頂きたいのですが、大手門の先にある逆川の橋から撮る写真は、掛川城で一番美しい写真といっても過言ではありません。町並みも綺麗なのでお勧めの城です。

マップ

アクセス

公共交通機関
・JR東海道本線/東海道新幹線/天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線「掛川駅」徒歩7分

車・バイク
・東名高速道路「掛川IC」から約5分

掛川城 周辺スポット

龍華院大猷院霊屋

明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、県の有形文化財に指定されている。

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窓泉寺

永8年(1711年)、初代横須賀城主大須賀康高が亡くなった妻を弔うために建立したと伝えられていいる。朱塗りの二階楼門は一間楼門、上層は桁行三間、梁間二間で、県の文化財に指定されている。

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掛川城 周辺宿泊施設

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静岡県の城を攻める

静岡県

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興国寺城【続日本100名城】: 35.141477, 138.807042
掛川城【日本100名城】: 34.775167, 138.013956
諏訪原城【続日本100名城】: 34.816352, 138.117918
高天神城【日本100名城】: 34.698755, 138.035188
浜松城【続日本100名城】: 34.711791, 137.724915
駿府城【日本100名城】: 34.979823, 138.383274
横須賀城(よこすかじょう): 34.685553, 137.971499
丸子城(まりこじょう): 34.951340, 138.328364
山中城【日本100名城】: 35.156620, 138.992436
韮山城(にらやまじょう): 35.054220, 138.956142
小島陣屋(おじまじんや): 35.084276, 138.511194
高根城(たかねじょう): 35.149802, 137.867432
長浜城(ながはまじょう): 35.017428, 138.888055
下田城(しもだじょう): 34.669561, 138.945529
勝間田城(かつまたじょう): 34.778534, 138.157623
石脇城(いしわきじょう): 34.888435, 138.324426
二俣城(ふたまたじょう): 34.862018, 137.808981
蒲原城(かんばらじょう): 35.122966, 138.600819
花沢城(はなざわじょう): 34.897345, 138.330960
鳥羽山城(とばやまじょう): 34.857830, 137.805514
小山城(こやまじょう): 34.778980, 138.247018
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興国寺城【続日本100名城】
興国寺城【沼津市】
北条早雲の最初の居城として知られる城で、北条氏始まりの城として知られる。現在も石垣、土塁、空堀などの遺構が残り、特に天守台裏の空堀は、度肝を抜くビッグスケール!



遺構:石垣・土塁・空堀・曲輪・天守台
縄張り:平山城(国指定史跡)
興国寺城データベース
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掛川城【日本100名城】
掛川城【掛川市】
明治の廃城令によってほとんどの建物が撤去されたが、1994年に天守が再建された。この天守は日本初の木造復元天守となる。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城と並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構となる。



遺構:二の丸御殿・太鼓櫓(移築)・大手門番所(移築)・大手二の門(移築)・石垣・堀・土塁
復元建築:天守・門
国の重要文化財:二の丸御殿
縄張り:平山城(県指定史跡)
掛川城データベース
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諏訪原城【続日本100名城】
諏訪原城【島田市】
武田氏と徳川氏が激しい攻防が繰り広げた城。1575年に落城して徳川氏の城となった。甲州流築城術の特徴である丸馬出や三日月堀が残っており、枡形虎口などの遺構も残る。



遺構:土塁、曲輪、堀、馬出、井戸など
復元建築:二の丸北馬出の薬医門
縄張り:山城(国指定史跡)
諏訪原城データベース
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高天神城【日本100名城】
高天神城【掛川市】
高天神城は今川氏によって築かれ、後に武田家と徳川家によって激しい争奪戦が繰り広げられた。三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害であり、高天神を制するものは遠州を制すると称された。



遺構:曲輪・土塁
縄張り:山城(国指定史跡)
高天神城データベース
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浜松城【続日本100名城】
浜松城【浜松市】
徳川家康の居城として知られ、家康は29歳から45歳までの17年間を浜松城で過ごしました。浜松城公園として整備されており野面積みの石垣を見ることができる。復興天守と天守門が復元整備されているのもポイント。



遺構:石垣・曲輪
復元建築:天守・城門
縄張り:梯郭式 平山城(市指定史跡)
浜松城データベース
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駿府城【日本100名城】
駿府城【静岡県】
大御所 徳川家康が晩年を過ごした城。江戸時代に入り天下普請によって大修築され、城郭史上最大の天守台が築かれている。巽櫓・東御門・坤櫓が復元されて資料館として公開されている。



遺構:石垣・堀
復元建築:巽櫓、東御門、坤櫓
縄張り:輪郭式 平城
駿府城データベース
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横須賀城(よこすかじょう)
横須賀城【横須賀市】
武田氏の高天神城に対抗するために築かれ石垣や土塁などが残っている。天守は4重4階で構造は半分が土塁の上、半分が下にある特殊な構造だったとされる。



遺構:石垣・曲輪・水堀
移築建築:不開門が撰要寺・町番所が市役所大須賀支所に移築
縄張り:平城(国指定史跡)
横須賀城データベース
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丸子城(まりこじょう)
丸子城【静岡市】
今川氏、武田氏に重視された城で、本丸は今川氏時代と武田氏時代の二カ所ある。良好な遺構が残っており、城の西側を南北に走る長い横堀や竪堀、虎口、さらには大規模な三日月掘などが残されてる。



遺構:曲輪・土塁・堀
縄張り:山城
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山中城【日本100名城】
山中城【三島市】
小田原城の支城として、北条氏康によって築城された中世の山城。1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、豊臣秀次率いる7万の軍勢に攻撃され、わずか半日で落城。まるでワッフルの芸術的な障子堀が今でも見れる。



遺構:曲輪・堀・土塁
縄張り:山城(国指定史跡)
山中城データベース
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韮山城(にらやまじょう)
韮山城【伊豆の国市】
小田原北条氏の祖である北条早雲が戦国時代に整備した城。北条早雲が没後、北条氏は小田原へと移るが、領国の西側を守る重要な城郭として、駿河今川氏や甲斐武田氏との軍事緊張があるたびに改修が行われた。



遺構:水堀・土塁・堀切・郭・虎口・園池・屋敷跡
縄張り:平山城(国指定史跡)
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小島陣屋(おじまじんや)
小島陣屋【静岡市】
興津宿から甲州街道に至る身延街道を見下ろす位置に築かれ、石垣を用いた三段の曲輪や石垣、枡形虎口など城郭の特性を持つ陣屋。現存の御殿書院が元の位置に再移築されている。



遺構:石垣・曲輪
移築建築:御殿書院
縄張り:陣屋(国指定史跡)
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高根城(たかねじょう)
高根城【浜松市】
南北朝時代に標高420mに築かれた城。戦国時代、今川義元が桶狭間の戦いで敗退し、高根城は武田の手が加わり、さらなる遠江侵攻を目指す武田軍の拠点として大改修が行われた。



遺構:曲輪・堀切
復元建築:主殿・井楼櫓・大手門・搦手門・土塀・木塀
縄張り:山城(市指定史跡)
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長浜城(ながはまじょう)
長浜城【沼津市】
北条氏の水軍根拠地で、北条氏は三崎や浦賀を根拠地とする三浦水軍を組織し、江戸湾から里見氏の勢力を駆逐する一方、今川義元亡き後の駿河に侵入してきた武田氏に対しても、伊豆の水軍を組織しその脅威に備えた。



遺構:曲輪・堀切・土塁・空堀
縄張り:連郭式 山城(国指定史跡)
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下田城(しもだじょう)
下田城【下田市】
北条氏の小田原水軍の根拠地として使われた城。1588年には豊臣軍に備えて大改修され、小田原征伐の際には豊臣側の淡路水軍に対し、600余名の兵力で約50日にわたって籠城しましたが開城して降伏。



遺構:空掘・堀切・障子堀・土塁・郭
縄張り:海城
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勝間田城(かつまたじょう)
勝間田城(かつまたじょう)【牧之原市】
勝間田氏によって築かれた城で、今川義忠との戦いで落城。その後、遠江に侵攻した武田氏によって、北の曲輪の一帯が改修・増築されたと考えられている。当時の縄張りがほぼそのまま現存。戦国時代の山城の遺構が良好に残っている。



遺構:曲輪・土塁・堀切
縄張り:山城(県指定史跡)
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石脇城(いしわきじょう)
石脇城【焼津市】
今川氏の客将となった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が築いたとされる城。駿河に下向した盛時の最初の在所として確認されている。その後、興国寺城に移った際に廃城になる。



遺構:曲輪・土塁
縄張り:平山城
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二俣城(ふたまたじょう)
二俣城【浜松市】
武田信玄と徳川家康が激しい攻防を繰り広げた城。天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭としても名高く、家康の嫡男である信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られている。天守台・石垣・土塁などが残っている。また、井戸櫓が清瀧寺に復元されている。



遺構:石垣・土塁・堀
縄張り:平山城(国指定史跡)
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蒲原城(かんばらじょう)
蒲原城【静岡市】
1569年に甲相駿三国同盟を破棄し駿河へ侵攻した武田信玄との合戦では、北条軍と武田勝頼を総大将とする武田軍が激突。武田軍によって攻め落とされた。駿河湾を眼下に見下ろす海道一の要害と謳われた城だった。



遺構:土塁・石塁・空堀・曲輪跡
縄張り:山城(町指定史跡)
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花沢城(はなざわじょう)
花沢城【焼津市】
永禄13年(1570年)には武田軍と今川軍が激突。花沢城の戦いの舞台として激戦地となった城。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、登城口と本丸跡に案内板が設置されている。



遺構:曲輪・堀切
縄張り:山城
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鳥羽山城(とばやまじょう)
鳥羽山城【浜松市】
二俣城攻略のために徳川家康によって築かれた付城。各曲輪・枡形門跡・庭園・石垣・井戸・排水溝などの遺構が発掘調査で明らかになっている。現在は鳥羽山公園として整備されており、石垣や堀切などの良好な遺構を楽しむことができる。



遺構:曲輪・枡形門跡・庭園・石垣・井戸
縄張り:山城(国指定史跡)
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小山城(こやまじょう)
小山城【吉田町】
武田四天王 馬場信春によって築かれた城。徳川家康との激しい戦いが繰り広げられた城で、甲州流築城術の特徴である丸馬出し、三日月堀が史料を元に復元されている。三の丸跡に犬山城天守をモデルにした模擬天守が建てられている。



遺構:土塁・曲輪・堀・馬出
復元建築:天守(模擬)
縄張り:連郭式 平山城