小机城【続日本100名城】

小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされている。太田道灌によって攻められた記録も残っており、一度は廃城となるものの北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され小机衆が組織された。

1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城し、徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となった。「小机城址」として神奈川県の特別緑地保全地区に指定されている(2006年5月15日指定)。周辺は市民の森として城の遺構が整備されている。

小机城の見どころ

歴史ポイント

小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたと考えられていますが、築城年代は不明とされています。
1478年頃に太田道灌によって攻められ、籠城戦が展開された記録も残っています。一度は廃城となるものの、北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されて小田原城の支城として機能しました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には無傷のまま落城し、徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となりました。

遺構ポイント

小机城は現在、小机城址市民の森として本丸と二の丸が保存されています。
市街地化が進むエリアでも、北条氏の城らしい深い空堀などが良好に遺構が残っいます。
特に二の丸北側から本丸に向かう空堀は、綺麗に整備されて堀底を歩くことができます。
曲輪を分断する空堀は圧巻の土木工事力なので必見です。
その他にも土橋や虎口跡など、横浜市でありながら、戦国期にタイムスリップすることができます。

土橋

本丸跡

中郭 空堀

二の丸空堀

櫓台

門跡

中郭

土塁

小机城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • 新横浜駅からも近く、市街地化と都市化が進んだエリアの中で、良好に戦国の遺構を見ることができる
  • 城郭は高速道路で分断され、本丸と二の丸が整備範囲となるので、ややコンパクト

平均:73/100 ポイント
合計:435/600 ポイント
おススメ度:★★★★★☆

■見どころバロメーター

■神奈川県 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー

名城スタンプと御城印

続日本100名城スタンプ設置場所

■横浜市城郷小机地区センター
・平日、土曜日9時~20時/日祭日9時~17時
・休館日:毎月第4月曜日(祝日に当たる時は翌日)

御城印販売

・横浜市歴史博物館
・小泉酒店(小机駅近く)など地区の各所で販売

小机城 周辺の天気

別名飯田城、根古屋城
城郭構造連郭式平山城
天守構造なし
築城主上杉氏か
築城年永享年間(15世紀前半)か
主な改修者長尾氏、後北条氏
主な城主上杉氏、長尾氏、笠原氏、小田原北条氏
廃城年1478年(文明10年)、1590年(天正18年)
遺構堀切、横堀、空堀、土塁、虎口、土橋、櫓台、帯郭
指定文化財なし
登録文化財なし

写真で見る小机城

小机城 本丸土橋
previous arrow
next arrow
 
小机城 本丸土橋
小机城 土橋から見た空堀
小机城 本丸跡
小机城 中郭
小机城 中郭から見た空堀
小机城 中郭南側 空堀
小机城 本丸-中郭 空堀
小机城 中郭空堀
小机城 二の丸北側空堀
previous arrow
next arrow

マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR横浜線「小机駅」から徒歩15分

■車・バイク
・首都高速神奈川7号線横浜北線、第三京浜道路、港北ICから約5分(1.5km)

■駐車場
・専用駐車場なし

小机城の歴史

戦国時代

小机城は、永享の乱(1438年 – 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされるが、正確な築城年代は分かっていない。
この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦である。
山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こした。このとき景春の味方をした小机城を太田道灌が攻撃をした。
この時、道灌は近くの集落の松の大木の下に腰掛け、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と歌を詠んで味方を鼓舞した。
程なく、鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとり、約2か月をかけて落城させたとされる。道灌が歌を詠んだ松は以後「硯松」と伝えられ、松は数度の植えなおしを経て、石碑とともに残る(横浜市神奈川区羽沢町)。

その後は廃城となったが、この地域が小田原北条氏の勢力下に入ると北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織された。
笠原氏は、小机城を中心に付近の村に僧侶を招き寺を建立するなど城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいた。

その後、城主は北条氏堯、北条氏政の弟三郎(上杉景虎ではないらしい)、北条氏光と替わっている。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城した。その後、徳川家康の関東入府のときに廃城とされた。

近現代

城跡は地元の人々に「城山」と呼ばれ、1892年(明治25年)2月5日、橘樹郡小机村の九大字(下菅田、羽沢、三枚橋、小机、鳥山、片倉、神大寺、六角橋、岸根)は「小机」としていた村名を改め、城があった郷すなわち城郷(しろさと)村とすることを村議会で決定した。
城郷村の名は以後、各集落が1927年(昭和2年)に横浜市に編入されるまで使われ、編入後も学校名などに「城郷」として残っている。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(125番)に選定された。

現在の小机城

小机城の跡は小机城址市民の森として整備されているが、史跡指定等は一切されていない(埋蔵文化財包蔵地の周知のみ)。城郭の主要な二つの郭とその間の細い郭は残されている。現在ニ郭とされている場所の一部では発掘調査が行われた。

現在「本丸」とされている西側の郭では野球が行われたりしていて、遺構が徐々に傷んでいる。
「本丸」の西側の一部は、第三京浜道路の建設の際に分断され、破壊された。また、西側の尾根続きにも城跡が続いていたが、地下に横浜線の城山トンネルが貫通し、その上の遺構が大きく破壊されてしまった。
第三京浜道路を挟んだ郭の側には堀切の痕跡があるが、それより先の場所は宅地となり開発が進み遺構は確認できない。また塚が存在するが遺構の一部かは不明である。

ナビゲーター

MEMO
新横浜駅からも近い好立地に、見応えある中世城郭の遺構が多く残っています。小机地区のいくつかの店舗に御城印が売っています。別バージョンの御城印は横浜市歴史博物館で販売しています。パンフレットは城址入り口の民家に置いているので要チェック!

小机城 周辺スポット

西方寺

横浜七福神巡りの一番寺で恵比寿大神が祀られており、500年ほど前に鎌倉の笹目ヶ谷から移建された由緒あるお寺です。
重要文化財等多数の文化財があり、本堂・山門・鐘楼が横浜市の指定文化財に指定されています。

旧横溝家住宅

江戸時代末期に造られた長屋門、茅ぶき屋根の母屋などをそのまま修復。当時の農村生活を物語る品々を展示しています。

文化財 市町村指定重要有形民俗文化財  

小机城 周辺宿泊施設

神奈川県の城を攻める

神奈川県の城を探す
マップから城を探す日本100名城■小田原城(おだわらじょう)【小田原市】小田原城は北条氏の居城として知られ、豊臣秀吉の小田原征伐の舞台となった。その後、徳川家康の関東移封に伴い、近世城郭に変貌を遂げる。土造りの城が多い関東地方において、主要…

神奈川県の投稿一覧

その他 城
【神奈川県】津久井城
その他 城
【神奈川県】河村城
その他 城
【神奈川県】寺尾城
その他 城
【神奈川県】茅ヶ崎城
続日本100名城
【神奈川県】小机城
続日本100名城
【神奈川県】石垣山城
Page Views: 388