【兵庫県】明石城(再訪)

CASTLE DATA FILE.09
登城日:2024年2月5日
交通手段:JR神戸線・明石駅から徒歩約5分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:連郭梯郭複合式 平山城
遺構:櫓(2基)・石垣・堀・移築門
スタンプ:2023年9月23日に押印済み
御城印:2023年9月23日に購入済み
前回訪城:2024年2月5日

未攻エリアだった「本丸北側」と「東の丸」を攻める

本日も再び日本100名城の明石城にやってきました。
昨日は夕方に訪城したことで、外が暗くなり断念したエリアを見るのが目的。

やはり城は事前の予習と、ゆっくりと周るための時間が必要だと再認識しました。

明石城の築城は1619年。
江戸時代の初期に明石藩初代藩主、小笠原忠政によって築かれました。

3度目の訪問のため、以前に書いたブログと内容が重複するところもありますが、お付き合い頂けると幸いです。

JR明石駅の目の前が城跡という最高の立地。
本丸下からのショット。
こちらは大きな広場になっていますが、当時は御殿などが多く建築されていたエリア。

休日はイベントなどが開催されています。
昨年9月に訪城した際は、イベントをやっていたのでこの広場から写真を撮ることができませんでした。
今日は平日なので撮り放題です!

昨日も書きましたが、現存の三重櫓に目がいきがちですが、奥まで続いている石垣を見ると長い巨大城郭なのが分かります。

まずは昨日同様、南側の階段を登って本丸を目指します。
奥が東の丸、絞りが入って手前側が二の丸になります。

石垣は雛壇のように2段になっていて、高さは5mの石垣の上にさらに約15mの石垣が積まれています。
写真を撮っている位置は5mの石垣の上からになります。

この階段は木村拓哉さんと綾瀬はるかさんが主演の、レジェンド&バタフライのロケ地としても使われました。
徳川家康が安土城に訪れた時のシーンです。

現代の明石城のシンボルとなる、江戸時代から残る現存の三重櫓。
手前が巽櫓で奥が坤櫓です。

階段を登ると二の丸に到着します。
小屋のような休憩所からの一枚ですが、二の丸と主郭の間はスーパーモデル並みにキュッと絞り込まれています。

敵が攻めてきた際に、二の丸から本丸を攻めるときに急激に狭まった通路で、敵の侵攻を阻むような設計されていると予想。

一瞬だけ奇跡的に天気が晴れました。
この時の時間は朝の8時頃。「早起きは三文の徳」です。

本丸の展望台からのショット。
朝日が眩しく素晴らしい一枚が撮れました。
巽櫓のシルエットと淡路島、奥には明石海峡も見えます。海が本当に綺麗。

巽櫓は高さ約12.5m。平面は7.9m×12.5m。
特徴的なのは、三角形の千鳥破風の真下に唐破風を設けています。
唐破風があることで、軍事施設の櫓に優美を与えてくれます。

本丸から見た天守台石垣。
本丸から+3.6mの高さの石垣です。

天守台の上。
天守台は25m×20m。

熊本城と同規模で、五重の大天守が建築できるほどの大きさ。写真で改めて見ると大きい天守台だと実感します。

しかし、明石城に天守はあがりませんでした。
理由としては諸説ある中で、砲弾の対象になることを避けるためだったと言われています。

天守台から見た坤櫓。
三重の坤櫓だけでも迫力があるのに、大天守がここにあったら、全国でも屈指の名城になっていた可能性があります。

天守がなかった明石城にとって、坤櫓は天守代用の重要な建築物でした。
ちなみに、現在の明石城跡にはこの2基の櫓以外に建築物がありません。

しかし、当時はこの本丸を囲むように、四方に櫓があがっていました。
その内の2つが現存しているということですね。

本丸北側の虎口から稲荷曲輪の方面に向かいます。

今は石垣のみが残りますが、当時は櫓門が本丸を守っていました。

来た道とは反対側の稲荷曲輪から本丸石垣を眺めます。
奥の方に張り出した石垣が天守台になります。

天守台を下から間近で見ると、その迫力が伝わります。

石垣の曲線もとても美しい。

天守台と坤櫓。
ここに五重の天守があがっていたら、どんな景色だったのでしょうか。

天守台の隅石と坤櫓。

天守台と本丸石垣の入隅部。とにかく天守台石垣が高い!

坤櫓の脇は圧迫感のある石垣。この石垣の間を進むと、最初に入城した広場にでます。

手前が坤櫓、奥が巽櫓。
櫓の真下は歩けるようになっています。
昨年の9月に訪問した時は、草が生い茂っていた為にこの道を通ることができませんでした。

坤櫓は高さ13.2m。巽櫓は12.5m。
現存12天守の宇和島城の天守閣は15.7m、弘前城は14.4mです。
明石城の2つの櫓が天守に匹敵する規模であることが分かります。

巽櫓と坤櫓は阪神淡路大震災でダメージを受け、柱の傾きや壁の亀裂など深刻なダメージを負いました。
しかし、曳家工法という建物ごと移動して修復されました。

階段を下ると御殿があった広場に戻ります。

二の丸下からのショット。
序盤でも説明した通り、手前側の二の丸と櫓がある本丸は急激に狭まります。

芸術的な高石垣と、複雑な曲輪形状を見ることができる、このスポットは発見です。

坤櫓と巽櫓を繋ぐ高さ2.3mの土塀は2000年に復元。

明治に取り壊されてから、正確な構造が不明だった為に復元できずにいたが、阪神淡路大震災で被害を受けた櫓を修復中に、なんと土塀の資料が見つかって復元に至ったそうです。

まさに一難を乗り越えたことによる奇跡。

奥までずっと伸びた石垣は東の丸。約15mの高石垣。

昨日は暗くて城の反対側や東の丸の石垣を見れなかったので、今日はしっかりと周ります。
東の丸の高石垣の下からのショット。
ここから見ると東西に長い城なのが分かります。

高石垣の全長は東西約380m!
この380mの内に本丸、二の丸、東の丸があります。

東の丸、高石垣の端部からのショット。
前回は東の丸の石垣を堪能することができなかったので、改めて再訪城となりましたが大正解でした。

この石垣を見ないと後悔します。

この石垣沿いに上に登ると、東の丸に入城することができます。

石垣を間近で見ると矢穴の跡があります。
このギザギザは職人が石材を切り出した時にできる跡。

明石城の石垣には至る所に石材に刻印がされています。
明石城は徳川秀忠の命によって天下普請で築城された城。
各地の大名が持ち回りで築城しました。

現代の国家プロジェクトのような位置付けでしょうか。
とくに天下普請の城には築城の証として石垣に家紋などを刻印することが多いです。

刻印石は時空を超えて、先人が残してくれたメッセージです。

東の丸枡形虎口。櫓門で厳重に防備された門跡。

今回は二の丸北側から反対側に降りてみます。
昨年の9月に行かなかったエリアなので、この場所も今回は攻めるとチェックしていました。

目の前に広がるのが本丸の石垣。
北側も南側同様に二の丸と本丸の間は急激に絞っています。

階段から見た本丸の石垣。

こちらのアングルからだと分かりやすいです。
右側が二の丸、左側が本丸。何となく城の全容が分かってきました。

本丸北側の石垣。
鋭角の石垣で芸術的。手前の隅には坤櫓や巽櫓と同規模の高さ11mクラスの三重櫓「艮櫓」があがっていました。

振り返っての一枚。左側が二の丸、右側が本丸。奥には巽櫓が見えます。
広大な本丸と二の丸を繋いでいるのは細い通路のみとなります。

Googleマップで見てみると、曲輪の形がハッキリ分かります。

本丸の裏側には桜堀があり、森になっています。
これもまた明石城の面白いところで、櫓側から見ると典型的な平城のように思えるのですが、裏側は山城のようなテイスト。

桜堀から見た本丸跡。
こちらも石垣が雛壇状に2重となっています。

こちらは本丸の脇にある稲荷曲輪の石垣。
城全体を歩くと主郭を全て石垣で囲んだ鉄壁の軍事施設であることが分かります。

さすが天下普請で築城された城。
しかし、阪神淡路大震災では1/8の石垣が崩壊したそうです。

綺麗に修復され、こんなに素敵な城を現代に残して頂いた行政と職人には頭が下がります。
この稲荷曲輪の上に、さらに本丸があります。

石垣の中に、おそらく排水のための穴を発見しました。

稲荷曲輪の隅から見た坤櫓。
この隅にも櫓がありました。

梅の花が少し咲いていました。
まだ2月の上旬ですが、着実に季節は進んでいます。
きっと春は今と異なる美しい姿が見れると思います。

最後はお決まりの明石駅からのショット。
左の天守側が大阪方面。東の丸側が西国の方面。
この理由には築城時の時代背景があります。

大坂の陣後は大阪城には徳川家が入城しました。
その際に明石城は大阪城を防備する為、西国の抑えとして築城されました。
つまり、味方である大阪側からの攻撃は一切想定していない構造となっています。

豊臣家が滅んだ後も江戸幕府が西国を警戒していたことがわかります。
兵庫といえば姫路城が有名ですが、明石城は姫路城から電車で20分ほどの近い場所にあります。
天守はあがっていなかったものの、姫路城に劣らず威厳ある城だったと思われます。

現在は公園となっていて、ワタクシが訪問した平日の早朝は、通勤や通学で多くの方々が、この城跡内を歩いていました。
桜堀では釣りをしている人がいて、石垣の周りをランニングしている人もいます。

築城時とは用途や形は変われど、明石のシンボルであり地域と共に時が進んでいることには変わりないようです。
城と共にある暮らし。とても憧れます。
昨日と本日の2日間、明石城を存分に楽しむことができました。