明石城は江戸時代に譜代大名である小笠原忠政が2代将軍・徳川秀忠に命じられて築いた城。
西国大名への備えとして築いた「10万石」格の堅城で、明石川を外堀とし東西に長い台地に本丸、二の丸、三の丸を配置した連郭式縄張りで、防御の要である2つの現存三重櫓が特徴。巨大な内郭面積(約25ha)が特徴で、姫路城を上回る規模を誇った。
現在は明石公園として整備されており、巽櫓と坤櫓のふたつの三重櫓が現存し、国の重要文化財に指定されている。
JR明石駅のすぐ北側に位置しているため、駅のホームから美しい城郭を望むことができる。
お城ニュース ※外部リンク
2026年9月21日
入場無料!中秋の名月を明石城で味わう 「明石城 観月会2026」 明石市)
明石城の見どころ

二ノ丸石垣

東ノ丸石垣

坤櫓

巽櫓

二ノ丸 北側石垣

本丸 北側石垣

天守台

本丸 南側石垣
明石城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 遺構としては二つの現存三重櫓、高石垣、水堀が残る。城郭範囲も広く整備も行き届いている
- JR明石駅前に位置しており、新幹線の近い。アクセスは抜群
平均:82/100 ポイント
合計:490/600 ポイント
おススメ度:★★★★★☆
■見どころバロメーター
■兵庫県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
名城スタンプと御城印
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日本100名城スタンプ設置場所
・明石公園サービスセンター受付前
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御城印販売
・明石公園サービスセンター受付前
時間:8:45 〜 17:00

明石城 周辺の天気
| 別名 | 喜春城、錦江城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭梯郭混合式平山城 |
| 天守構造 | なし(天守台はあり) |
| 築城主 | 小笠原忠真 |
| 築城年 | 1618年(元和4年) |
| 主な改修者 | 松平直常 |
| 主な城主 | 松平氏(越前系) |
| 廃城年 | 1874年(明治7年) |
| 遺構 | 櫓、石垣、堀、移築門 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国の史跡 |
| 再建造物 | 塀 |
写真で見る明石城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR神戸線「明石駅」徒歩約5分
・山陽電気鉄道本線「山陽明石駅」徒歩約10分
■車・バイク
・第二神明道路・大蔵谷ICから10分
・第二神明道路・玉津ICから15分
■駐車場
・南駐車場(有料)営業時間 0:00~24:00
普通車:366台
・北駐車場(有料) 営業時間 7:30~21:00
普通車:134台
明石城について
JR明石駅北側に位置し、駅ホームより間近に望める。縄張りは連郭梯郭混合式の平山城である。丘陵舌端に築かれ、本丸付近は柿本人麻呂を祀った人丸塚があったと言われており、この地は嘉吉の乱で激戦地となった。
明石の地は、山陽道が通り、北には丹波国、但馬国への道が分かれ、淡路島、四国のルートがあり、古来より交通の要衝であった。徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、姫路城についで着目した。
現在中堀の内側は兵庫県立明石公園として整備され、日本さくら名所100選に指定されている。櫓や石垣は1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で被害を受けたが全面修復された。
明石城の歴史
1617年(元和3年)信濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に入城した。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を建設するよう、同年に第2代・将軍徳川秀忠より築城命令された。
人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。また細川忠興書状には、忠興から忠真へ中津城天守を贈ったとあり、この部材も転用された。
元和5年(1619年)正月から作事が始まり、元和6年(1620年)正月には小笠原忠真が船上城から移り住み、同年6月から城内の建物関係の工事が開始された。このとき天守は台石まで積まれたが、建てられなかった。
築城と並行して城下町の町割りも実施され、当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと『赤石市中記』『播磨鑑』『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』など各史書に記録されている。
城郭
本丸を中心に配し、東側に二の丸、その東に東の丸が配され、南側に三の丸、西側には稲荷郭が設けられた。本丸、二の丸、東の丸は明石城の主郭部分で、この部分の石垣、土塁、堀などの作事は徳川幕府が担当し、三の丸と町屋に関しては、小笠原氏と徳川幕府の共同事業として進められた。
本丸の西南にある天守台上面の広さは約152坪(東西約25m南北約20m)ある。広さから推察すると5重規模相当の天守が築かれる予定だったが、天守は建設されず、四隅に巽櫓、坤櫓、乾櫓、艮櫓が建設された。
当時は全部で櫓が20基、門を27棟を有していた。
『日本城郭大系』によると「坤櫓が天守の代用となっている」とされている。4基のうち南側の2棟、すなわち巽櫓(たつみやぐら、南東側)、坤櫓(ひつじさるやぐら、南西側)が現存し国の重要文化財に指定されている。
巽櫓・坤櫓の棟(破風)の方向は異なっている。西側は明石川を自然の外堀とし、南側は運河を掘って港を兼ねた外堀(現在の明石港)とした。北側は鴻の池(剛の池)と自然林、谷筋で防備を固めた。
桁行6間、梁間5間、高さ7間2尺9寸。入母屋根造で妻部は南北に向く。昭和57年の改修工事で他城から移築されたと分かった。
国の重要文化財
巽櫓

巽櫓(たつみやぐら)は、本丸の南東(辰巳)の角に位置する、国の重要文化財に指定された現存三重櫓です。明石城には天守が築かれなかったため、この巽櫓と南西の坤櫓(ひつじさるやぐら)がその役割を補完していました。
築城に際して、かつて明石市内にあった「船上(ふなげ)城」の遺構を移築したものと伝えられています。
坤櫓

坤櫓(ひつじさるやぐら)は、本丸の南西(未申)の角に建つ、国の重要文化財です。巽櫓と対をなす現存三重櫓ですが、規模や由来に独自の特徴があります。
現存する三重櫓としては日本最大級の規模を誇り、明石城には天守が築かれなかった為、この坤櫓が天守代用として機能していました。
明石城 周辺スポット
月照寺 山門

伏見城廃城時に伏見城薬医門を明石城切手門として移築。
さらに明治廃城時に切手門を、明石市内の月照寺へ移築。明石市指定文化財に指摘されている。
織田家長屋門

江戸時代初期に建てられた、明石藩歴代家老・重臣屋敷をしのぶことができる長屋門。
船上城からの移築と伝えられており、長屋門に使用されている太鼓鋲・蝶番・飾り金具は室町時代の様式を備えています。
明石城 周辺宿泊施設

明石城 攻城の拠点
兵庫県の城を攻める





























