春日山城【日本100名城】
戦国時代の名将・上杉謙信公の居城として知られる、国指定史跡の春日山城跡。
複雑な自然の地形を巧みに利用した春日山城の堅固な城塞は、難攻不落の天下の名城といわれました。現在も、空堀や土塁、大井戸など山城の特徴が残ります。
屋敷や空堀が展開する山の裾野に、延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構が築かれている点が大きな特徴です
標高約180mにある本丸跡からは、日本海や頸城平野、それを取り巻く山並みをも一望できます。
Contents
春日山城の見どころ

日本五大山城に数えられる春日山城。標高180mの春日山に築かれた上杉謙信の本城です。春日山城の特徴はその巨大な城域にあります。
東西・南北 共に2kmもあり、全国屈指の規模を誇ります。本丸を中心として家臣の屋敷が周囲を防備する曲輪構成で、堀切や土塁、空堀の良好な遺構が残ります。
本丸からの眺望は絶景で、戦国最強とも呼び声が高い上杉謙信も見たであろう景色を楽しむことができます。

上杉謙信は、戦国時代の越後国(現在の新潟県)を拠点とした武将で、高い軍事的能力から「軍神」や「越後の虎」と評され、生涯勝率9割を超える戦国最強の武将の一人です。
義理や大義を重んじる「義」の精神を重んじ、武田信玄との「川中島の戦い」や、織田軍との決戦「手取川の戦い」が有名です。
「敵に塩を送る」の逸話で知られる一方、緻密な戦術と強力な騎馬隊を率いて領土を拡大しました。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・春日山城跡ものがたり館内
午前9時~午後4時30分
・上越市埋蔵文化財センター(※冬季期間)
■御城印販売
・上越市埋蔵文化財センター
午前9時~午後5時(展示室入館は午後4時30分まで)

春日山城 周辺天気
| 別名 | 鉢(蜂/八)ヶ峰(峯)城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 上杉氏 |
| 築城年 | 南北朝時代 |
| 主な改修者 | 上杉房定、長尾為景 |
| 主な城主 | 長尾氏、上杉氏、堀氏 |
| 廃城年 | 1607年(慶長12年) |
| 遺構 | 土塁、堀切、郭、井戸、虎口、 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 再建造物 | 毘沙門堂 |
写真で見る春日山城
登城レポート
春日山城について
この城は、南北朝時代に越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされる。1507年(永正4年)、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。
上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要塞を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景、上杉謙信(長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。しかし、上杉景勝が会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として、1607年(慶長12年)に直江津港近くに福島城を築城して移り、春日山城はその役目を終えた。
別名を鉢ヶ峰城ともいう。「春日山」の名称は、奈良の春日大社から分霊勧請(かんじょう)した春日神社に由来する。春日神社の創建年代は、958年(天徳2年)説、守護上杉氏の築城の際とする説、文明年間(1469年~86年)という説などがありはっきりしない。
また、近くにある林泉寺の惣門は、春日山城の搦手門を移築したものであると言われているが、確証はない。しかし、最低でも慶長まではさかのぼるものであるとも言われ、春日山城で最も古い建築物であると思われる。
多くの絵図には石垣や天守閣などが描かれているが、ほとんど空想であり、石垣も瓦も発掘されていない。 それらをふまえ、厳密な時代考証に基づいた初の復元模型が完成、2009年1月から12月まで開催の「越後上越天地人博」で展示された。
地域支配と侵攻に対抗するための拠点として、要害の地に支城・砦・館が配置されていた。山中には春日山城と支城・砦を結ぶ軍事用道路があった。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR北陸新幹線「上越妙高駅」下車、タクシーで約20分
・えちごトキめき鉄道「春日山駅」徒歩20分
■車・バイク
・北陸自動車道「上越IC」から約15分
・上信越自動車道「上越高田IC」から約20分
春日山城 周辺スポット
林泉寺

謙信公の祖父である長尾能景が1497年に建立した寺院。ここで謙信公は名僧・天室光育の厳しい教えのもと、7~14歳までを過ごしました。
戦国の武将の中でも教養が高く、信仰心が厚い謙信公の素養はこの時期に培われたといわれています。
惣門(市指定文化財)は春日山城から移築したといわれ、山門は鎌倉時代の和様と唐様を取り入れた大正時代の名作です。また、山門に掲げられる「第一義」の扁額は、謙信公の自筆(現在掲げられているものは複製、実物は境内の宝物館にて保管)のものです。
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岩殿山 明静院

神話時代、大国主命と奴奈川姫が結婚し、建御名方命(のちの諏訪大神)が生誕された岩屋があります。
天平年間、その故事に感銘した行基菩薩が当寺を建立したと伝えられています。
本尊大日如来は国の重要文化財になっております。
名将上杉謙信も崇拝されていたと伝わり、境内に上杉謙信公の墓もあります。
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楞厳寺

1534(天文三)年建立の曹洞宗寺院で、山号は大佛山。
上杉謙信公の重臣であった柿崎和泉守景家公が開基となり、謙信の師である天室光育禅師を請し、密教寺院東泉寺を再興しました。
以来、現在まで38代、480年余の法灯を護っています。本堂は江戸中期に再建されたもので、山門は柿崎城の搦手門を移築したものです。
平成23年には、本堂及び山門が国登録有形文化財に登録されました。
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春日神社

春日神社は春日山城の名称の元となりました。現在の春日山頂に約500年、現在地に遷座してから600年の歴史があります。
奈良の春日大社の分霊を祀っており、春日大社の記録では全国の春日神社の中で最初に出てくる神社です。
春日山城全体の総鎮守として上杉謙信公時代より崇敬の念篤く、地城の産土神として大切にされてきました。
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春日山城 周辺宿泊施設

春日山城 周辺グルメ
新潟県の城を攻める
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![]() | 鳥坂城(とりさかじょう) 鳥坂城【妙高市】 鳥坂城は築城時期など不明だが、現在残る遺構は戦国時代のものであり、信濃国境から上杉氏の本城である春日山城に通じる飯山街道を押さえる要害として、上杉氏が維持していたと推測されている。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・堀切・横堀・畝状竪堀 縄張り:山城(市指定史跡) |
| 新発田城【日本100名城】 新発田城【新発田市】 新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡。実質的な天守とされる御三階櫓は特徴的な構造で、丁字型の屋根になって棟上には3匹の鯱が載せられている。寒冷地仕様の海鼠壁も見ることができる。 ![]() 遺構:櫓・長屋・門・石垣・土塁・堀 復元建築:三階櫓・辰巳櫓 国の重要文化財:表門・二の丸隅櫓 縄張り:平城 | |
| 村上城【続日本100名城】 村上城【村上市】 村上城は上杉謙信に反旗を翻した、本庄繁長の居城で、越後では珍しい総石垣の城。現在は戦国時代に築かれた竪堀や虎口などの遺構と、江戸時代に築かれた石垣の遺構が残っている。 ![]() 遺構:石垣・堀 縄張り:平山城(国指定史跡) | |
![]() | 津川城 津川城【阿賀町】 津川城は芦名氏の一族である金上氏の居城である。蘆名氏の越後への進攻拠点として重要視され、上杉氏との境目の城だった。(津川は江戸時代においても会津藩の領土として代官所が置かれていた)。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・堀切・竪堀・石垣・井戸 縄張り:平山城(県指定史跡) |
![]() | 平林城 平林城【村上市】 色部氏によって築かれた城で、詰の城である加護山要害と西麓の段丘上に築かれた色部氏居館(岩舘・殿屋敷)からなる大規模な根小屋式城館である。上杉景勝の会津移封に伴い、色部氏も会津に移り廃城なる。 ![]() 遺構:曲輪・堀切・土塁・空堀・虎口・馬洗い 縄張り:山城(国指定史跡) |
![]() | 与板城(よいたじょう) 与板城(よいたじょう)【長岡市】 与板城は直江氏の居城で、元々直江氏は本与板城を本拠としていたが、信綱の代に与板城に拠点を移したとされる。直江兼続も与板城主を務めましたが、1598年上杉景勝の会津転封に伴い、与板城は廃城となる。 ![]() 遺構:曲輪跡・堀切・土塁・井戸跡 縄張り:山城(県指定史跡) |
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