【福岡県】福岡城

その他 城復元城門,復元櫓,日本100名城,現存櫓,高石垣

CASTLE DATA FILE.103

登城日:2026年3月26日
交通手段:福岡市地下鉄「大濠公園駅」徒歩5分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:梯郭式 平山城
遺構:櫓4棟・門3棟・石垣・堀
国の重要文化財:多聞櫓・二の丸南隅櫓
スタンプ:三の丸スクエアで押印
御城印:三の丸スクエアで購入

福岡市の礎。黒田官兵衛・長政親子が築城した巨大近世城郭

桜の開花宣言が各地で発表されている今日この頃。
7日間の九州遠征の1日目は福岡城に行きました。

成田空港から福岡空港まで約2時間。
空港線で大濠公園駅まで行き、潮見櫓の脇から入城します。アクセスが良いのも福岡城の魅力の1つです。

福岡城は戦国時代を生き抜いた黒田官兵衛(如水)・息子の長政によって築かれた近世城郭です。

潮見櫓の前には福岡城の北側にあたる水堀(五号濠)と土塁が広がります。

三の丸北西の隅。土塁の上には石垣と潮見櫓が建ちます。

潮見櫓は明治41年頃には崇福寺に移築され、仏殿として使用されていました。

平成2(1990)年からはじまった福岡市の調査で、小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物こそが「潮見櫓」だということが判明して移築復元。

復元工事では江戸時代当時の部材が使用され、伝統的な工法を用いて復元されました。
ちょうど1年前の2025年3月に復元が完了しました。

職人の技術を感じる内部。
完成して日が浅い今は、新材と古材の区別がハッキリしているので分かりやすいです。

100年の時を越えてこの地に復元するまでには、並々ならぬ福岡市の努力があります。

福岡市は全国でも精力的に調査をしているので、福岡城は今後も注目の城です。

三の丸跡ではちょうど、さくら祭りが開催されていました。
続いて三の丸の土塁沿いを歩いて、福岡城の大手門となる下之橋御門に向かいます。

先ほど見た潮見櫓は本来の潮見櫓で、こちらは伝潮見櫓。大正初期に福岡城から黒田別邸に移築され、昭和31年に本来潮見櫓があった場所ではなく、この地に再移築されました。

さらに、平成3年に調査の結果、潮見櫓ではなく城内の他の櫓であったことが判明。どこの櫓かは解明されていません。

福岡城はかなり広大な城で、50基以上の櫓があったとされています。

伝潮見櫓は数奇な運命を辿っていますが、本来の潮見櫓があった三の丸北西隅に移築されていたら、昨年復元された潮見櫓を見ることができなかった可能性もあるので、ある意味では良かったのかもしれません。

石垣の造りを見ていると、伝潮見櫓の脇には仕切りの門か何かがあったのでしょうか。

下之橋御門は枡形になっており、防御力の高さを感じます。

下之橋御門は江戸時代の1805年に建てられましたが、明治に櫓門の上部が失われた、一層のみだったそうです。
さらに2000年に不審火によって被災した為に、当初の二層の櫓門形式で復元されました。

現在では福岡城の顔とも言える建築物です。

下之橋御門の石垣は大きめの石が積まれています。

下から見上げた伝潮見櫓と下之橋御門はカッコいい。福岡県の特徴として、県内一の都市 博多駅と空港が僅か2駅で到着できるその近さ。

それ故に、福岡城の上空も飛行機がたくさん飛んでいます。飛行機とのコラボショットが撮れるのも福岡城の魅力です。

続いて、本丸方面へと向かいます。

下之橋御門から本丸に行く途中には、旧母里太兵衛邸宅の長屋門が移築されています。武家屋敷の長屋門で江戸時代らしさを感じる長屋門です。

福岡市では数少ない武家屋敷の長屋門で、福岡県の指定文化財に指定されています。

母里太兵衛は黒田家家臣で、黒田二十四騎の1人です。

長屋門の裏手には黒田如水隠居地があります。

現在は牡丹・芍薬園となっているこの場所は、黒田官兵衛の息子、長政が1601年に福岡城を築城した当初は太宰府にいましたが、後にこの地に移り住みました。

天才軍師と称された黒田官兵衛は1604年に亡くなくなりました。桜も綺麗に咲いています。
黒田如水隠居地は、三の丸を一望できる高い位置にあります。

黒田如水隠居地の脇には名島門が移築されています。コンパクトですが二層の門。

これは名島城の脇門を、福岡城に居城を移す際に家臣に下げ渡されました。
昭和に今の地に移築されました。

切妻造りの本瓦葺き。
元は城門なので、屋敷門とは思えないほど立派です。

名島門の脇には石垣が続いています。
この石垣が三の丸の南側を固めています。

三の丸から本丸に行くには松ノ木坂を上ると最短です。
高い石垣は二の丸を形成している石垣。松ノ木坂の最頂部には松ノ木御門という櫓門と枡形がありました。

松ノ木御門の石垣。
松ノ木御門跡を通過すると二の丸になります。

松ノ木御門の枡形部分。
松ノ木御門は現在は石垣の一部が残るのみとなっています。

松ノ木御門の説明板にはCG復元の絵があります。
イメージがつきやすいので、看板も見ながら周るのをオススメします。

松ノ木御門の先にある二の丸跡。今は広場となっています。
二の丸から本丸に上行くには表御門跡と裏御門跡から入ることができます。

二の丸から見た本丸石垣。
本丸西側の石垣は、おおよそ高さ8mくらいで防備しています。

まずは、表御門跡から入城します。
表御門の石垣。

今は石垣だけが残る表御門ですが、礎石が残っており幅もあり高さもあるので、本丸を守る堅固で格式ある門だったのかなと想像できます。

本丸表御門もCG復元の絵が説明看板にありました。
櫓門形式ですが、両側がの造りが特徴的。この造りは、下之橋御門と同じ形式です。

櫓門跡から撮った二の丸と石垣。

本丸表御門から見た本丸石垣。
ある程度加工された石材が使われており、勾配や積み方に芸術を感じます。

そして、いよいよ本丸です。

表御門の正面の北東隅には祈念櫓跡があります。
ここは福岡城の鬼門にあたるため、鬼門封じの為に建てられた櫓でした。

祈念櫓は福岡城が破却になった後は黒田氏の菩提寺の崇福寺に移築され、この地に再移築されましたが、石垣修復のために現在は解体されて部材が保存されています。

移築の際に形が改変されていたらしいので、もしかしたら在りし日の姿で戻るのでしょうか。
いずれにしても、積極的な福岡市なので楽しみです。

本丸から見たラグビー場。
当時はこのラグビー場のあたりも二の丸でした。

御祈念櫓と向かい合う形で、突き出しているのが月見櫓。

月見櫓の櫓台石垣。
この突き出した形状は、築城当時は軍事施設として、十字攻撃ができる横矢の役割があったのでしょうか。

月見櫓は各地の城でも造られており、平和な江戸時代が訪れると、字の如くお月見をする為の櫓として使われていました。

月見櫓にもCG復元の絵が看板にあります。
ワタクシが撮った写真と同じ角度です。

現在は広場となっている場所には水の手と呼ばれる貯水の池がありました。

本丸の月見櫓跡付近には井戸跡もあります。

そして、福岡城の見どころポイント大天守台!
東西25m、南北22m、高さ10mの大迫力な天守台です。

福岡城は1601年に着工、1607年に完成しています。その後も改修はされていると思われますが、緩やかな勾配を持つ天守台は築城当初の技術で積まれたと考えられます。

先進的な打込接で積まれた二の丸の石垣に比べると、自然石を使った野面積みを見ることができます。
1つ1つの石が特徴的で面白いです。

福岡城には大中小の3つの天守台があり、大天守を中心に中天守台と中天守台が連結していました。

中天守台の階段。
数々の合戦と普請をしてきた黒田家らしい実践的な設計がされていたと思われます。

天守台の入口。
狭い石垣の間を通過しないと、大天守台には到達することができません。

狭く圧迫感のある通路。

階段を上ると小天守台になりますが、石垣の方が高いので、穴蔵形式となっています。

そして、さらに大天守台の入り口につながります。

この石垣の切れ込みを抜けると武具櫓の方面に抜けることができます。
天守台の上はまるで迷路です。

武具櫓跡にも後ほど周ろうとしたのですが、写真を何枚も何枚も撮りながら歩いた為、天守台の閉業時間となり、今回は行くことができませんでした。

天守台入口も石垣の間を抜けるように設計されています。

大天守台入口から見た小天守台の入口
福岡城の争点となっているのが、この天守の存在についてです。

福岡城の絵図には天守が描かれていない為、徳川幕府への配慮として、福岡城には天守は建てられなかったと考えられてきました。

しかし、2024年に天守を建てたという記述の新資料が見つかりました。これはニュースでも話題になってました。

大天守に残る礎石。
天守を支えるための礎石が多く残っていることで、さらに福岡城には天守があった、無かったの論争の的になりました。

大天守台から見た穴蔵部。
上からだと穴蔵の形と礎石がよく見えます。
福岡市は2025年に発掘調査を開始!瓦などが出土しました。

細川氏の資料にも、徳川幕府が大坂城を築城する際に、工事の遅れを取り戻す際に黒田家が福岡城の天守を取り壊して大坂に持って行ったという記述も発見されています。

現状は天守は建てたが、早い段階で失われたと考えられています。
いずれにしてもどのような形であったか資料がないので謎ですが、天守台の大きさから推測すると、熊本城レベルの大きな天守が上がっていた可能性があります。

今、福岡市は懸命に資料を探しているはずです。

天守台は展望台となっており、市内を一望できます。
大濠公園方面。広大な福岡城の水濠を利用した公園で、水濠は1周2kmで巨大です。

大天守台から見た本丸。
本丸には藩主の執務・生活の場である本丸御殿が置かれました。

2代目藩主 忠之が三の丸に御殿を造ると、中心の地が三の丸へと移り、本丸は儀礼や儀式の場となりました。

天守台から見た二の丸と福岡市内方面。

天守台から見た天守台の入口。
福岡市は天守の復元を目論んでいるので、新たな資料が発見されることを願っています。

天守台から見た鉄砲櫓跡。本丸の南西隅に建てられた櫓なので、本丸と天守を守る為に設置された施設だと思われます。
続いて多門櫓のある南丸方面に向かいます。

天守台から見た本丸裏御門。

本丸裏御門跡。
加工された打込接で積まれた石垣。天守台とは少しテイストが変わります。

鉄砲櫓の北面石垣。
こちらも加工された石材を使い、発展した石垣技術で積まれていて、天守台に比べると上部が少し反るような急勾配を実現しています。

もちろんサイドからも撮影。
鉄砲櫓の南面。こちらは対照的に自然石を使用しているように見えます。

鉄砲櫓の隅石と水ノ手御門跡。
南丸の後は水ノ手御門跡から二の丸に向かいます。

南丸では、さくら祭りが開催されていました。
南丸は突き出した形状をした曲輪で、城の南側を守ります。

そして、南丸には福岡城の見どころの一つ、多聞櫓が現存しています。

多聞櫓は1607年に築造され、現在残っているのは江戸時代の1854年に再建された櫓で、国の重要文化財に指定されてる貴重な建築物です。

なんと長さ54mもあります。

多聞櫓に接続された南丸北隅櫓。二層二階の櫓となります。

反対側には同じく二層二階の南丸西隅櫓が多聞櫓と接続しています。
この3つの建築物が、福岡城では唯一の江戸時代から鎮座する現存建築です。

内部は非公開ですが外からでも十分楽しむことができます。
続いて多聞櫓を下から見てみたいと思います。

南丸を一度出て、桐木坂門跡を通過します。
クネクネと折れ曲がる喰違いの枡形になっています。

近くで石垣を見ると、この辺りは結晶岩のような横長の細い石が多用されています。
福岡城の中でも桐木坂門の石垣はテイストがかなり変わります。

桐木坂門跡から見た二の丸方面の石垣。
どこを見ても圧巻の石垣!さすが支藩を含めて52万石を領した大大名の居城です。

南丸の石垣と南丸北隅櫓と多聞櫓。
下から見上げるこのスポットが1番オススメ!

城と機能していた当時と変わらぬ姿を楽しむことができます。

南丸北隅櫓。
昭和47年に2年半の歳月をかけて、解体と修理が行われています。

真っ白な白亜と建築物も魅力的ですが、下見板張りの白黒のコントラストも良きです。石垣も美しい。

南丸西隅櫓。
隅には石落としが設けられていて、単層の平櫓にもう一つの単層の櫓を逆向きで乗っけたような造り。

下階と上階の切妻部分が互い違いに見える珍しい造り。

南丸石垣と南丸西隅櫓。
14時半くらいから登城開始して、この時点で17時半。夕暮れが近づいています。

桐木坂門跡と同様に、南丸も結晶岩のような石が使用されています。
様々な石の種類、積み方を見れるのが福岡城のポイント!

南丸東面の石垣。
写真では分かりにくいですが、やや石垣がはらんでいるように見えます。
盛られた土は石垣の崩落を防ぐための処置かもしれません。

続いて水ノ手御門を攻めます。

水ノ手御門跡。
右側に見える石垣は生捕櫓跡。奥に見える高石垣は本丸の石垣で、隅には本丸西三階櫓があがっていました。

本丸石垣と、本丸西三階櫓跡。
この高石垣の上に高さ12.7mの三重櫓が建っていたことを想像すると、すごい迫力だったと思います。

天守台と同じような緩勾配の高石垣です。

本丸西三階櫓の隅石。
反対側には本丸東三階櫓があり、三重櫓の間を武具櫓という二層の多聞櫓が建っていました。

この高石垣と東西の三重櫓と二層の多聞櫓。
搦手にあたるこの場所は、黒田官兵衛と長政親子が揉めるほどこだわり抜いた箇所だったと逸話が残っています。

武具櫓の高石垣。
実は福岡城内で1番高い石垣は本丸の南側、武具櫓のこの石垣になります。高さは12.5mとなります。

武具櫓は古写真も残っています。今は石垣のみですが、平成の発掘調査により武具櫓は長さ63m、幅が9m、高さも9mもありました。
城内に47もあった櫓の中で、最大規模の櫓でした。

本丸東三階櫓の隅。
櫓は大正期まではこの場所にあり、後に黒田家の別邸に規模を縮小して移築されましたが、昭和20年の空襲によって焼失してしまいました。

武具櫓石垣のちょうど真ん中あたりに球体の石がありました。
丸い石は珍しいので、一応写真を撮っておきました。

手前が武具櫓に接続した本丸東三階櫓の石垣、奥には中天守台の石垣がそびえます。

角度を変えての一枚。
この石垣全体が本丸石垣となります。

続いて本丸石垣と月見櫓跡。
突き出した石垣の上に月見櫓があがっていました。

実は現在、当時の部材を使って復元された潮見櫓は、当時は月見櫓だと考えられていました。
近年の調査で移築された櫓は月見櫓ではなく潮見櫓であると判明して、潮見櫓が復元されました。

これもまた後世に語り継がれるエピソードです。

祈念櫓の石垣。
はらんだ石垣を改修するため、令和元年〜令和4年まで解体修理が行われました。

二の丸の広場。
突き出した石垣が本丸となる祈念櫓で、接続した低い石垣は二の丸の石垣となります。

ラグビー場のある二の丸から、本丸下の二の丸を繋ぐ扇坂門跡。
枡形の先にある階段が扇のように広がっているのが由来です。なぜ、そのような造りをしているのかは不明とされています。

続いて東御門跡。
東御門跡は三の丸と二の丸を繋ぐ門でした。

ここまで福岡城の幾つもの門跡、石垣を見てきましたが、この東御門も魅力的な門跡でした。
折れ曲がった枡形形式。

櫓門の横架材を乗せていたと思われる石垣の切欠部。

礎石と思われる石も地面には露出しています。

そして、東御門には一際大きな石垣が埋め込まれています。この鏡石は見ておくポイントです!

東御門の石垣。
隅石は綺麗に整形された算木積み。
天守台や本丸石垣とは対照的な先進的な積み方を見ることができます。

二の丸北側 陸上競技場の前の石垣。
この石垣沿いを歩くと、登城した松木坂や三の丸に繋がります。
これで、ぐるりと本丸と二の丸を1周しました。

福岡城は広大な城郭の為、全てを周り切ることができず、大濠公園には行くことができませんでした。

再び下之橋御門から大濠公園駅に向かいます。
堀の対岸から見た下之橋御門と伝潮見櫓。

夕暮れの日差しが照らす建築物。とても美しい!

夕日と三号濠。
九州遠征の1日目 最高のスタートでした。

今日、周り切れなかった箇所は次回の楽しみにしたいと思います。

やはり博多に来たら博多ラーメンは必須!名店で疲れを癒す

博多は食事が最高。
shinshinで博多ラーメンを頂きました。

そして明太子焼飯。
ラーメンも焼飯も絶品でした。東京からの移動、福岡城散策で疲れた身体に染み渡りました。