【熊本県】人吉城

日本100名城土塁,復元櫓,日本100名城,水堀,石垣,高石垣

CASTLE DATA FILE.107

登城日:2026年3月28日
交通手段:熊本駅から車で90分
ステータス:日本100名城・国指定史跡
ジャンル:梯郭式 平山城
遺構:石垣・土塁・御館御門橋
復元建築:堀合門・長塀・多聞櫓・角櫓
スタンプ:人吉城歴史博物館で押印
御城印:相良神社(城内)で購入

川を天然の堀とした相良氏670年の居城。美しい石垣が魅力!

九州遠征3日目 1城目は熊本県の人吉城です。
朝一で博多のホテルから太宰府天満宮に行って参拝。

太宰府から在来線で熊本駅に行き、レンタカーで人吉城にやってきました。
熊本駅からは車で約1時間半。
人吉ICから人吉城に車を走らせると、球磨川に架かる水の手橋を渡ります。

橋から人吉城の石垣が見えるので、ボルテージが一気に上がりました。

人吉城は球磨川と胸川を天然の堀とした平地の武家屋敷エリアと、小高い山に造られた主郭部がMIXした城です。
鎌倉時代の1198年に相良氏が入り、明治まで35代670年もの間、この地を治めました。
全国的に見ても、鎌倉時代から同じ地を治め続けた家柄は稀だと思います。

無料の駐車場があるので、車を停めてまずは大手門跡へと足を運びます。

大手門跡は櫓台の石垣のみが残り、一般道となっています。門跡の前には胸川に架かる大橋が設置されています。

当時は櫓門が建っており、城の入口らしい風格ある門でした。

門脇には土塀が建てられており、石の階段となる雁木が残っています。一度に兵士が迎撃体制を取れるような造りになっています。

橋から見た大手門跡。

人吉城歴史博物館の模型。
橋の先に大手門があり枡形を構築。現在は一般道になっているので、枡形は失われています。

橋と城門の入口が少しズラして造られており、防御の仕掛けを見てとれます。

橋を架けていた石垣も綺麗に残っています。

引きのショット。
天気も良く春の暖かな気温。穏やかな時が流れます。

橋から見た門脇の石垣。
門脇は川まで石垣が積まれており、当時は土塀が建てられました。

反対側の門脇には多聞櫓があり、土塀が城郭北西隅まで続いています。

大手門も含めて江戸時代の1707年に大地震で傾いた為、修理されました。
廃藩置県で取り壊されましたが、古写真も残っており復元されました。
白漆喰と下見板張りで、防御のための突上げ窓が設置されています。

江戸時代の絵図にも描かれている、多聞櫓脇の川に降りるための石垣階段。

船着場だったのでしょうか。
多聞櫓の石垣は、自然石を使った野面積みで隅は算木積み。

胸川と多聞櫓のショットは、当時を偲ばせる景色。

続いて城郭内部から多聞櫓を見ます。
大手門石垣と多聞櫓入口。

石垣に合わせたL字型で幅4m、長さ50mで入母屋造りとなっています。

多聞櫓に続くように長塀が復元されています。

長塀の階段。
人吉城は遺構に解説が設置されているので、すごくありがたいです。

中間には石落としが2つ設けられており、控柱は石材でちょっとした空間になっています。

球磨川と胸川が合流する北西隅には角櫓があります。1993年に多聞櫓や長塀と併せて復元。

元は藩の重臣 相良清兵衛頼兄の屋敷が建っていたが、1640年の御下の乱で屋敷が焼け、直後に角櫓が建てられました。
7m×22mの長方形の建物で、内部には入れませんが、廊下と3部屋に分かれているようです。

模型でも確認してみます。
川が合流しており、石垣が突き出しているのが特徴的です。

突き出した箇所の土塀。
角櫓の前には軍役蔵跡があります。

武家屋敷跡には人吉城歴史館があります。
こちらで日本100名城スタンプを押すことができます。

館内では人吉城の歴史や模型、相良氏について展示がされています。

その中で、大注目なのは館内にある地下室。
館内のスタッフさんにお願いすると地下に入ることができ、詳しい内容を説明してくれました。

二つの階段と石垣で造られた部屋。
江戸幕府に提出している絵図にも描かれておらず、古文書にも記載はない謎の地下室。

出入り用の階段が2つ設けられた、深さ3.2m、6m四方の空間。
人吉城跡の整備に伴う1997年〜1998年の発掘調査で偶然見つかりました。

水が今でも湧き出ているようです。
全国でこのような地下室の例がないため、今でも何の目的で造られたものか謎となっています。

完全にロマンです!

隠れキリシタンとしての施設、井戸、風呂場、仏教関係の地下室など、憶測がありますが結論に至っていません。
水深は2.3mもあります。

スタッフさんのお話は、とても興味深くて楽しく知識を詰め込むことができました。

石垣は二段目くらいまでは当時の遺構で、その上の石垣は修復されたようです。

人吉城歴史館の前には井戸跡があります。

歴史博物館の目の前の広場には、武家屋敷が広がっていました。
広場の奥にある山が人吉城の主郭部なので、まずは山麓の御館跡を目指します。

御館跡の近くにある大井戸遺構。
ベンチが置かれ休憩スペースになっていますが、こちらにも地下室があります。

中に入ることはできませんが、同じように階段が設けられて、石垣で造られた地下空間となっています。

一般道を挟み、歩道沿いには石垣が積まれています。最近まで3年間の修復工事をしていたようで、高さ4mの石垣が180mも積まれています。

石垣の上は御館と呼ばれる曲輪で、城主の館と庭園が置かれました。現在は相良神社があり、御城印はこちらで購入できます。

昨日行った佐賀県では、あまり桜が咲いていなかったのですが、熊本県はちょうど見頃でした。

花より石垣。
土曜日ということもあり、桜の木の周りでは多くの人が写真を撮影していました。

一眼レフで桜の木の下にある石垣を撮っていたのは、おそらくワタクシくらいなものです。

御館の南側には御館御門橋と水堀が残ります。
人吉城は川を巧みに利用した城なので、水堀は御館御門橋が架かるここでしか見ることができません。

石で造られた御館御門橋は、江戸時代の1766年に造られ、熊本県の重要文化財に指定されています。

橋の先には当時は門があり、番所が設けられていました。

橋から見た水堀。
この水堀は防御目的というよりは、風情や景観の目的で造られたのでしょうか。

防御力はあまり高くないように感じます。

御館跡ではちょうど見頃を迎えた桜の下で、花見をする人が多くいました。

御館跡の土塁。
下部は腰巻き石垣で、近くには石造りの水路も確認できます。

御館跡から北側に行くと堀合門があります。
御館跡から見た門脇の石垣。

城主の住む御館の北側に置かれた門で、人吉城の近くに移築現存しています。
こちらの堀合門は復元された門になります。

2本の柱と、2本の控柱に切妻の屋根を乗せた造り。

堀合門に続く御館北側の石垣。
人吉城といえば、この跳ねだし石垣のイメージが強いです。

跳ねだし石垣は全国の城でも珍しく、西洋式で五稜郭や龍岡城など幕末の城に見ることができます。

石垣を登ってきた敵を跳ね返す意味で、武者返しとも呼ばれます。

跳ねだし石垣の石樋と排水溝。
石垣に設けられた石樋は他城でもよく見かけますが、排出した水を流す排水施設とセットになっているのは、あまり見ることができないので貴重です。

高石垣に積まれた石の庇。
跳ねだし石垣も凄いのですが、鋭角で芸術的な石垣の折れも魅力的!

跳ねだし石垣の前にあるのは水ノ手門跡。
土塀は63mに渡って復元されており、門の目の前には球磨川が流れます。

人吉城は球磨川沿いに石垣を積み、外曲輪を形成しており、7箇所の船着場が造られています。
その中で水ノ手門は最大規模の球磨川に面する城門でした。

04番が水ノ手門。
水ノ手門には番所と船を格納する船蔵もあったようです。

水ノ手門跡から御下門方面に進みます。

水ノ手門の脇にある間米蔵跡。

堀合門の脇には大村米御蔵跡・欠米蔵跡があります。
巨大な長屋造りの建築物で、球磨川から運ばれてきた年貢米が、水ノ手門から引き上げられて米蔵に格納されたと考えられます。

個人的に跳ねだし石垣のイメージが強かった人吉城でしたが、既にこの時点で想像を超えた遺構に満足感があります。

しかし、人吉城の凄さはここからでした!

ここからは主郭のある山城ゾーンです。
まずは御下門跡。

石垣の高さ、勾配が美しく、見るものを圧倒します。
右側の低い石垣が櫓門の石垣。

引きでも撮影しました。
斜面に造られた高石垣。
主郭に入るには、この御下門を通過する以外にありません。

桜は綺麗ですが、石垣が隠れて少し残念。

圧倒的な存在感のある石垣と櫓門が、鉄壁の守りとなっています。
幅5m、長さ20mの巨大な櫓門でした。

御下門跡を抜けると主郭へ続く、急な階段の登城路。
完全に山城テイストへと変化。

スタジアムのように階段を3方が囲まれており、全方位から狙われている感覚になります。

階段から振り返ってのショット。
左側の櫓台は木に隠れていましたが、この2つの櫓台に櫓門があがっていました。
礎石も残っています。

模型でも確認!
櫓門の隣にある高い石垣には、何も建っていませんが、本来は二重が三重の櫓が建てれる規模。

御下門を造った時には櫓はあったのでしょうか。

御下門は幅が広い通路でしたが、折れ曲がると急に細い通路になります。

さらに振り返ってのショット。

階段を登ると三の丸が広がります!
二の丸を囲む形で三の丸が配置され、木が生えている高い場所が二の丸となります。

三の丸の石垣。
三の丸には塩蔵などが置かれており、籠城戦を想定していた可能性があります。

二の丸から見た三の丸。
江戸時代が終わり、明治の廃城令で人吉城は破却され、建物も取り壊されて城としての役目を終えました。

しかし、人吉城は明治10年に西南戦争の舞台となりました。西郷軍は人吉城に陣を置いて、この三の丸に大砲を置き、球磨川の対岸に陣を置いた新政府軍と戦いました。

二の丸の石垣は芸術的。
二の丸全体を、この高石垣が囲みます。

三の丸から見た南西隅の二の丸石垣。
九州の城は奥が深くて面白い!中世山城の雰囲気と近世技術がMIXされた城郭。

二の丸には2つの門があります。
まずは二の丸石垣の前面にせり出した、階段から二の丸に入ります。

階段石垣の裏側。
石垣の縁が切れている箇所が門跡になります。

狭い石垣の隙間を通過する埋門形式。
石垣の上に切り欠きがあるので、横架材を渡していたと思われます。

階段から見た二の丸南西隅の石垣。
そして広大な三の丸跡。

階段と二の丸石垣。
この奥にもう一つの門となる、中御門があります。

上から見た埋門。
防御施設というよりは、二の丸の裏口といった役割だったのでしょうか。

埋門跡から見た三の丸。
三の丸は2段になっており、L字型のかなり大きな曲輪です。

二の丸から見た階段と三の丸。

二の丸に入るもう一つの門となる中御門跡。

中御門跡は高い石垣で形成されており、二の丸への正規の門でした。

中御門は枡形になっています。
厳重に櫓門が建てられていました。

ジグザグと90°折れ曲がり、さらに90°折れ曲がる喰違いです。

枡形を上からも確認!礎石も残っています。

枡形の石垣は二の丸の壁面石垣に続いています。

二の丸は江戸時代の初めは本城と呼ばれており、城主の住む御殿が建てられた中心的な場所でした。
6棟からなる二の丸御殿があり、御金ノ間には金箔が張られた襖などで彩られた書院造りの建物もありました。

麓の御館も城主の御殿があったと書いてましたので、同時期に2つの御殿が機能していたのか、時代の移り変わりに伴って山麓に移されたのか。
どちらでしょうか。

奥の山が本丸になります。

二の丸からの景色は絶景で、人吉城下町も一望できます。

二の丸の隅には本丸があり、階段を登ります。
本丸の規模は天守台に相当するようです。

本丸は天守相当の大きさの曲輪です。
城内で一番高い場所に位置しており、切岸のように急な斜面で守られた独立した曲輪です。
しかし、人吉城には天守はなく、本丸には二階建ての護摩堂が建てられていました。

建築物の礎石のみが残っています。

主郭部の模型。
一番高い場所が本丸、本丸を囲むように二の丸、二の丸を囲むように三の丸を配置。
これだけの規模を誇る城ですが、多重の櫓は無かったのか気になるところです。

およそ3時間ほど人吉城を堪能。
様々な顔を持つ城で、見どころの多い魅力的な城でした。
遺構のポイントに細かく解説もあって、誰でも楽しめるように整備されているので好印象です。

人吉城歴史博物館では2020年に起きた豪雨の悲惨さを伝えています。
秘密の地下室があった人吉城歴史博物館も、床上1.5mの浸水被害を受けました。

今では街も城も再び蘇りました。
人吉城には建物は残っていません。しかし今の人吉城の姿も、人吉城です。

人吉城を守り、未来に繋げている行政や地元の方々がいてこそ、軍事施設としての役目を終えた城は、新たな役目を持った城として生き続けます。

続いて熊本県人吉市から鹿児島県に向かいます!