小倉城 (武蔵国)
小倉城(おぐらじょう)に関わる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えています。
戦国時代の関東の城では珍しく、随所に石垣が用いられている城です。2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館・松山城・杉山城とともに追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定されました。
Contents
小倉城の見どころ

小倉城は1〜4の曲輪で構成されており、各所に竪堀や堀切が残っている。
最大の魅力は関東では珍しい石積みを見ることができ、郭3を囲む石垣は最大高さ5m、総延長120mにも及ぶ大規模です。

近くには嵐山渓谷があり多くの観光客が訪れている。近隣には小倉城と同じ比企城館群として国の史跡になっている、杉山城と菅谷館が自転車で行ける距離で密集しているので、併せて攻略できます。
御城印
▪️JR八高線「明覚駅」隣のときがわ町観光協会「ここから」で販売
開館時間:9:00〜16:30(月曜・火曜定休)※祝日を除く

小倉城周辺の天気
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
|---|---|
| 築城主 | 遠山光影または上田氏 |
| 築城年 | 不明 |
| 廃城年 | 不明 |
| 遺構 | 土塁、石塁、曲輪、堀切、虎口 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
写真で見る小倉城
登城レポート
小倉城について
小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城で、通称城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかかえて所在している。
外秩父の山地帯と関東平野の境界にあり、大きく蛇行を繰り返す槻川と山地の自然地形を巧みに取り込んだ天然の要害にあります。
城の位置取りは、槻川―都幾川―古荒川水系を基幹に陸路は鎌倉街道上道と山辺の道(八王子城―鉢形城を結び上州へ抜けるルート)の中間で双方へアクセス可能な位置にあり中世の水陸交通を強く意識したものとなっています。
※ときがわ町オフィシャルHPより引用
縄張り
本丸に相当する郭1と二の丸に相当する郭2を並列して配置し(並郭式)、郭1南東と郭2南西を堀切り、郭3、郭4を設けています。郭5は独立して井戸沢と呼ばれる谷に面することから「水の手郭」と判断されます。
郭1は土塁の規模、虎口の構造、全ての導線がこの郭に収斂することから他の郭とは序列的に明らかに優先しており本郭(本丸)として位置づけられます。
また、山裾から見ると南からは郭4―郭2―郭1、東からは郭3―郭1、北からは郭1北腰郭―郭1と階段を登るように進まなければ中心である郭1へは入れない構造(梯郭式)となっています。
随所に折れ曲がった導線と虎口を設置し、鍵の手状の横堀と縦堀が組み合わされた大堀切、櫓台、二重堀切、連続縦堀など多彩な技法により普請されています。
※ときがわ町オフィシャルHPより引用
MEMO
発掘調査もしっかりされており、各所に説明書きもあるので周りやすいです。幾つか登城ルートがありますが大福寺の脇からがオススメ!パンフレットのクオリティが高いので、大福寺下の駐車場からパンフレットを手に入れてから登城しましょう!
城内マップ
▪️縄張り:連郭式 山城

史跡指定
2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館跡(嵐山町)に、松山城跡(吉見町)、杉山城跡(嵐山町)とともに追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定された。
動画で見る小倉城
マップ
アクセス
▪️公共交通機関
・東武東上線「武蔵嵐山駅」→ときがわ町路線バス「せせらぎセンター行 田黒バス停」下車 徒歩20分
・東武東上線「武蔵嵐山駅」レンタサイクルで約20分
▪️車・バイク
・関越自動車道・嵐山小川ICから15分
・関越自動車道・東松山ICから20分
小倉城 周辺スポット
嵐山渓谷

昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉

夏には近くを蛍が舞うほどの山間の静かな環境。地下1700mの秩父古世層から湧出する良質な本格温泉。レトロな雰囲気漂う、1960年代にタイムスリッップしたような館内はどこか懐かしい。
小倉城 周辺宿泊施設

小倉城 周辺グルメ
埼玉県の城を攻める
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