秋田城【続日本100名城】

秋田城は奈良時代から平安時代にかけて造営された、対蝦夷の拠点になった古代城柵です。奈良時代には出羽国の政治をおこなう国府が置かれました。当時の東北の日本海側の政治、文化、軍事の中心で、津軽(青森)・渡嶋(北海道)のほか、大陸の渤海国(中国東北部)など対北方交易・交流の拠点としても重要な役割を果していたと考えられています。
Contents
秋田城の見どころ

秋田城の創建は、733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称されたものと考えられています。
秋田城は奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代にかけて城柵としての機能を維持したと考えられており、その間幾度か改廃が取り沙汰されたことがあったものの、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。

秋田城は現在、高清水公園として整備されており、外郭東門や政庁東門、築地塀などが復元されています。
その他にも政庁正殿跡など、柱脚跡が整備されているので、まるでタイムスリップしたかのように古代城郭の雰囲気を味わうことができます。
猪ノ木地区には四天王寺の跡や古代池があり、当時としては最先端の水洗トイレが復元されています。

外郭東門

政庁東門

政庁正殿跡

古代水洗厠舎跡

政庁正殿跡

政庁西門跡
登城レポート

MEMO
- 奈良時代・平安時代における北の中心地だった貴重な城跡なので歴史ポイント高い
- 現在整備されている範囲はやや狭いが綺麗に整備されている
平均:2.66
合計:16.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
名城スタンプと御城印
■続日本100名城スタンプ
・秋田城跡歴史資料館
開館時間:午前9時~午後4時30分
・史跡公園管理棟
営業時間:午前9時~午後4時
■御城印販売
・秋田城跡歴史資料館
開館時間:午前9時~午後4時30分
秋田城 周辺天気
| 城郭構造 | 古代城柵 |
|---|---|
| 築城主 | 律令政権 |
| 築城年 | 天平5年(733年) |
| 廃城年 | 11世紀頃 |
| 遺構 | 政庁跡、外郭 |
| 指定文化財 | 国の史跡「秋田城跡」 |
| 再建造物 | 東門、築地塀、厠建物 |
写真で見る秋田城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR秋田新幹線・奥羽本線・羽越本線「秋田駅」から秋田中央交通バス「将軍野線」または「寺内経由土崎線」行きに乗り、「秋田城跡歴史資料館前」バス停下車 徒歩3分
■車・バイク
・秋田自動車道「秋田北IC」から約15分
■駐車場
・史跡公園管理棟側40台、資料館側40台
秋田城について
秋田城は、出羽国秋田(現在の秋田県秋田市)にあった日本の古代城柵。国の史跡に指定されており、かつての城域の一部は現在高清水公園となっている。また、秋田県護国神社も秋田城の城址に遷座したものである。
秋田城の創建は、733年(天平5年)に出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転したことにさかのぼり、その後天平宝字年間に秋田城に改称されたものと考えられている。秋田城は奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代にかけて城柵としての機能を維持したと考えられており、その間幾度か改廃が取り沙汰されたことがあったものの、出羽国北部の行政・軍事・外交・文化の中心地としての役割を担った。
また、秋田城の発掘調査結果からは渤海との交流をうかがわせる複数の事実が指摘されており、文献史料による確たる証拠はないものの、奈良時代を通じてたびたび出羽国に来着した渤海使の受け入れが秋田城においてなされた可能性が高いと考えられている。秋田城は朝廷によって設置された城柵の中でも最北に位置するものであり、律令国家による統治の拠点として、また津軽・渡島の蝦夷との交流や渤海との外交の拠点として、重要な位置にあった。
歴史・沿革
秋田城の史料上の初出は、『続日本紀』において733年(天平5年)に出羽柵(いではのき)を高清水岡に遷置したと記述されたことにさかのぼる。7世紀の中葉から9世紀の初頭にかけて、当時の朝廷は東北地方の蝦夷を軍事的に制圧し服属させ、柵戸移民を扶植して積極的な支配域の拡大を図っており、日本海側では708年(和銅元年)に現在の山形県庄内地方を越後国出羽郡として建郡、712年(和銅5年)には越後国から分離して出羽国に昇格させ、陸奥国から移管された置賜郡・最上郡とあわせて初期の出羽国を形成した。前後して出羽郡内に出羽柵を設置したものと考えられている。
秋田城は朝廷の支配域の北上にともない出羽柵を移転したものと捉えられるのであるが、8世紀当時の秋田地方では大規模な集落の跡が確認されておらず、後城遺跡のような城柵の進出にともなって形成された集落が城柵の近傍に存在する程度であった。すなわち当時の秋田地方は人口が希薄で、移転当初の出羽柵は朝廷の支配域の北辺に突出しており、出羽柵(秋田城)の設置にともなって城柵周辺に蝦夷や柵戸移民が混在する集落が形成されたものと推測されている。
秋田城 周辺スポット
道の駅あきた港「ポートタワーセリオン」
セリオンタワー1階にあるマルシェです。地元秋田市の農家さん中心に一生懸命作った鮮度の良い旬の野菜や果物、漬物、加工品などがそろっております。
秋田名物きりたんぽ・稲庭うどんのお土産や各蔵の日本酒を取りそろえています。
展望台からは秋田市内、日本海を一望することができます。
旧松倉家住宅
松倉家は寛延2年(1749)頃に始まる商家で、当初は油屋を営み、明治になり大地主として穀物の取り扱いなども行っていました。
旧松倉家住宅は、主屋(明治39年)、米蔵(天保10年以前)、文庫蔵(慶応2年)、覆屋(おおいや)で構成される県内屈指の大規模な町家です。
江戸時代後期以降の秋田の町家形式をよく伝える貴重な建造物として、平成29年に秋田県の有形文化財に指定されました
旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭) 庭園
旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園は、元禄年間(1688~1704)にその起源があり、名君として名高い9代藩主・義和によって整備され、「如斯亭(じょしてい)」と名づけられました。
後に「東北では無二の名園」とも評され、藩主の御休所にとどまらず、多くの文人墨客の交遊の場としても活用されました。
平成19年(2007)に国の名勝に指定されました。
秋田市民俗芸能伝承館
竿燈まつりや土崎港曳山まつりなど、秋田市に伝わる民俗芸能を資料や映像で紹介しています。
5〜10月の土・日・祝に竿燈会による実演あり。左隣りは江戸時代後期の建築様式を残した町家・旧金子家住宅があります。
赤れんが郷土館
赤れんが郷土館は、赤れんが館・新館・収蔵庫の3つの建物から構成され、このうち旧秋田銀行本店として明治末期に建てられた赤れんが館は、外観はルネサンス様式、内部はバロック調の洋風建築で、国の重要文化財に指定されています。
天井に施された石こうのレリーフは圧巻で、各所に見られる漆喰や木彫による装飾、ふんだんに使われている各種大理石などが壮麗な雰囲気を醸し出しています。
























