奈良・平安時代に九州を統治する政治の中心で、軍事拠点だった大宰府。
白村江の戦いで大敗した大和朝廷は唐・新羅による侵攻に備えて、大宰府を防衛するたの長さ1.2kmに渡る巨大な防塁を築きます。
日本を守るため初めに築かれた城砦。
百済の都・扶余の東羅城(城壁)と同じ築造技術が採用されており、のちに大宰府の出入口となり、外国使節や都からの官人らを迎えた。
お城ニュース ※外部リンク
2025年2月18日
取り消された”日本遺産” 「古代日本の西の都」は認知度不足・・
水城の見どころ

土塁断面広場

西堤

西門跡

東堤

東堤と展望所

東門 礎石
水城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 大和朝廷が築いた防衛ラインの一つということで歴史的価値は非常に高い
- 駅からは近いが、東エリアと西エリアが線路と国道で分断されているため、攻略には相当歩くことになる
- 1300年以上前の遺構であるが、良好に土塁が残っている
平均:70/100 ポイント
合計:420/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆
■見どころバロメーター
■福岡県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
続日本100名城スタンプ
〇水城館
開館時間 9:00~16:30(月曜休館)
〇大野城心のふるさと館
開館時間 9:00~19:00(月曜休館)
〇JR水城駅
■御城印
※2026年4月現在 常時の御城印は販売されていません。
水城 周辺の天気
| 別名 | ー |
|---|---|
| 城郭構造 | 古代防塁 |
| 天守構造 | ー |
| 築城主 | 大和朝廷 |
| 築城年 | 天智天皇3年(664年) |
| 主な城主 | ー |
| 廃城年 | ー |
| 遺構 | 土塁・城門跡・外濠跡 |
| 指定文化財 | 国の特別史跡 |
| 再建造物 | ー |
写真で見る水城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・西鉄天神大牟田線・下大利駅から徒歩17分
・西鉄天神大牟田線・都府楼前駅から徒歩約20分
・JR鹿児島本線・水城駅から徒歩23分
■車・バイク
・九州自動車道・水城ICから5分
■駐車場
・専用駐車場あり(水城跡第二広場駐車場)
水城について
『日本書紀』に、「筑紫国に大堤(おおつつみ)を築き水を貯へしむ、名づけて水城(みずき)と曰ふ」と、記載された城である。
白村江の敗戦後、倭国には唐・新羅軍侵攻の脅威があり、防衛体制の整備が急務であった。天智天皇三年(664年)の唐使来朝は、倭国の警戒を強めさせた。この年、倭国は辺境防衛の防人(さきもり)、情報伝達システムの烽(とぶひ)を対馬島・壱岐島・筑紫国などに配備した。そして、敗戦の翌年に筑紫国に水城を築く。また、その翌年に筑紫国に大野城が築かれた。共に大宰府の防衛のためである。
水城は、大野城のある四大寺山(大城山)と、西側の大野城市牛頸(うしくび)地区の台地の間の、一番狭いくびれ部を塞ぐ形で造られている。全長約1.2キロメートル×高さ9メートル×基底部の幅約80メートル・上部の幅約25メートルの二段構造の土塁で、東西の端部の東門と西門が開く。土塁の基底部を横断して埋設された木樋(もくひ)は、長さ79.5メートル×内法幅1.2メートル×内法高さ0.8メートルである。
土塁の博多側の現水田面より5メートル下に、幅60メートル×深さ4メートルほどの外濠が存在する。
水城は、平野を遮断する直線的な土塁と外濠をあわせもつ「城壁」(防塁)である。中央に御笠川が北流する沖積地の軟弱地盤に築かれる。土塁の最下層部に多量の枝葉を混入し、基礎地盤を強化する、敷粗朶(しきそだ)工法で施工されている。また、土塁の上層部は、土質の異なる積土を10センチメートルほどの単位で硬く締め固めて積まれた、版築(はんちく)土塁である。
水城は、博多湾側の福岡平野から筑紫に通じる平野を閉塞する「遮断城」である。東門と西門が設けられ、福岡方面から2道が通過していた。西門は3期の変遷が確認され、大宰府と筑紫館(後の鴻臚館)を結ぶ、儀礼的な外交の主要道として8世紀後半まで機能していたとされている。
水城の西方に、丘陵の間を塞ぐ複数の小規模の土塁遺構がある。水城と一連の構築物で、「小水城(しょうみずき)」と総称される。土塁の長さ約80メートルの「上大利小水城」・土塁の長さ約100メートルの「大土居小水城」・土塁の長さ約80メートルの「天神山小水城」などである。
また基山町にも、基肄城に連なると考えられる関屋土塁跡やとうれぎ土塁跡があり、これらも小水城と呼ばれる。
天智政権は白村江の敗戦以降、唐・高句麗・新羅の交戦に加担せず、友好外交に徹しながら、対馬 – 九州の北部 – 瀬戸内海 – 畿内と連携する防衛体制を整える。また、大宰府都城の外郭は、険しい連山の地形と、それに連なる大野城・基肄城と平野部の水城大堤や小水城などで防備を固め、この原型は、百済の泗沘都城にあるとされていた。しかし当時はまだ大宰府が機能していなかったとして否定されつつある。
水城 周辺スポット
大宰府政庁跡
7世紀後半から12世紀後半、大宰府は行政機関として九州を統括し、西の都としての役割を果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました。古い建築基礎は今も遺されており、現在は史跡公園として親しまれています。
大宰府天満宮
平安時代から「天神さま」として信仰されている太宰府天満宮。菅原道真公をお祀りしており、道真公の御墓所の上に築かれている神社です。
菅原道真公は、学問の神様として有名ですが、漢詩や和歌にも優れた才能を持っていたことから、文化芸術の神様としても知られています。
大野城
大野城跡は、宇美町・太宰府市・大野城市にまたがる四王寺山にある古代山城です。城の範囲は、東西約1.5km、南北約3km範囲であり、大野城跡最大の石垣「百間石垣」や「増長天礎石群」、「毘沙門堂」など、城の範囲の約80%が宇美町内にあります。重要な遺跡であることから、国指定特別史跡に指定されています。
水城 周辺宿泊施設

水城 攻城の拠点
福岡県の城を攻める






















