志布志城【続日本100名城】
シラス台地の先端に、内城・松尾城・高城・新城の4つの中世山城を総称して「志布志城」と呼びます。
志布志は、万寿3年(1026年)に平季基によって開かれた大荘園島津荘の港として発達したと考えられ、平安時代末期の文治5年(1189年)より救仁院氏が治めていました。志布志城の正確な築城年は不明ですが南北朝の時代には松尾城と内城が存在していた事がわかっています。
国の史跡にも選ばれている内城は規模がもっとも大きく志布志城の主城とされていますが、当初は松尾城が主城で、徐々に拡大したものと考えられます。
平成17年7月14日に内城の全体と松尾城の一部が国の史跡として指定を受けました。
Contents
志布志城の見どころ

内城と松尾城の一部は整備されており、特に内城は至る個所に解説板があります。
シラス台地を削って造られた巨大な空堀と堀切で城全体を城塞かしています。
遺構が良好に残っており、来た人を驚かせること間違いありません。
特に搦手口の空堀と、西側大空堀は他では見ることのできない圧倒的なスケールです。
MEMO
志布志駅の近くに埋蔵文化センターがあり、館内には志布志城のジオラマやパンフレットがあるので、登城前に行くことをおススメします!

志布志城は、海外との交易も行われていた志布志港を有することもあり、南北朝時代より島津氏(薩摩から都城エリア)、伊東氏(日向中部)、畠山直顕(足利尊氏より日向国大将に任じられて赴任)、肝付氏(大隅エリア)、楡井頼仲による激しい戦いが起こります。
戦国時代も南九州諸勢力の激しい争奪戦が繰り広げられました。
名城スタンプと御城印
◼︎続日本100名城スタンプ
・志布志市埋蔵文化財センター
開館時間:9時~17時 ※月曜休館
◼︎御城印販売
・志布志市総合観光案内所 ※JR志布志駅構内
開館時間:9時~17時




志布志城周辺の天気
| 築城主 | 不明 |
|---|---|
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏、島津氏 |
| 廃城年 | 1615年(元和元年) |
| 遺構 | 土塁、虎口、郭、堀切、 |
| 指定文化財 | 国の史跡 2005年(平成17年)7月14日 |
写真で見る志布志城
登城レポート
志布志城について
築城年代は不明であるが、南北朝時代からこの地が戦乱に巻き込まれたことに伴い次第に拡充されていったと考えられる。名前がはっきりしているところで12世紀から救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏と次々と城主が変わった。守護大名・島津氏久が本拠としたこともある。
1577年(天正5年)、志布志は島津氏の直轄地となり、初代の地頭として鎌田政近が任命された。その後も外城として重要な役割を果たしたものの、一国一城令で廃城となった。
しかし、建物が無くなっただけで石垣などは破壊されなかったらしい。
1993年(平成5年)3月24日に内城(うちじょう)跡が鹿児島県指定史跡になり、さらに2005年(平成17年)7月14日に国の史跡に指定された。志布志城主新納是久の娘島津常盤(梅窓院)がいる。2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(197番)に選定された。
構造
志布志市街地を囲む全ての山が志布志城と言っても過言ではなく、志布志小学校の裏山の「内城」、その西側の山にある「松尾城」、志布志中学校前の「高城」と「新城」という4つの城を総称して志布志城と呼ばれていた。
「内城」は南北600メートル東西300メートル、6つの郭からなり、その間は空堀で遮る構造となっている。
本丸等一部を除き未整備で立ち入りが困難である。本丸等一部の郭には解説版が設置されている。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR九州日南線「志布志駅」より徒歩約22分
■車・バイク
・都城志布志道路「志布志IC」から車で約7分
■駐車場
・志布志市麓駐輪駐車場(無料、20台)
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最近では国指定の天然記念物のカンムリウミスズメの世界最大の繁殖地としても有名です。
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