長岡城
長岡城は1605年(慶長10年)に堀直寄によって築城が始まり、完成したのは1618年(元和4年)で牧野忠成の代になってからとなる。以後は牧野氏の居城として知られている。
幕末の戊辰戦争(北越戦争)では河井継之助に率いられて、新政府軍と激戦を繰り広げ、その際にの城郭は城下とともに焼失した。本丸跡地は現在のJR長岡駅周辺で遺構は残っていないが、市内にある長岡市郷土資料館の石垣の一部は旧長岡城の石垣石が使われている。
Contents
見どころ
■遺構は全く残っていない為、駅前の記念碑の前で幕末の激戦を想像する
御城印
■長岡駅構内の観光案内所にて購入
長岡駅周辺の天気
| 城郭構造 | 平城 |
|---|---|
| 天守構造 | なし・御三階櫓(層塔型3重 1617年ごろ築)非現存 |
| 築城主 | 堀直寄 |
| 築城年 | 元和2年(1616年) |
| 主な城主 | 牧野氏 |
| 廃城年 | 明治元年(1868年) |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 再建造物 | なし |
写真で見る長岡城
レポート
概要
江戸時代初期の元和2(1616年)に、蔵王堂城に替えて堀直寄によって築かれ、後は越後長岡藩7万4千石牧野家の居城として明治を迎えた。梯郭式の平城であったが、戊辰戦争の折に城郭は城下とともに焼失し、明治31年(1898年)以降、本丸跡地はJR長岡駅、他は市街地として利用されており遺構はない。
昭和29年(1954年)、長岡駅(長岡城本丸跡にあたる)の地下道掘削工事の最中に地下4mのところから長岡城塁の礎石(石垣石ではない)が発見された。この礎石は長岡市内の悠久山にある長岡市郷土資料館の石垣の一部に使用されている。
資料館の建物は天守風に建てられているが、長岡城との関係はない。
歴史・沿革
長岡藩の中心領域となった現在の長岡市域は、戦国時代には越後守護代長尾氏(のち上杉氏)の一族古志長尾家が古志郡蔵王の蔵王堂城(現長岡市西蔵王)に拠って治めていた。
その古志長尾家の景信が御館の乱により戦死した後は、上杉家の直接支配を受けることとなる。
その後、慶長3年(1598年)に上杉氏が陸奥会津に移封すると、かわって越後に入封した堀秀治の弟堀親良が4万石を与えられて蔵王堂城主となるが、親良を継いだ甥の鶴千代が慶長11年(1606年)に早世したため、蔵王藩は2代で断絶した。
さらに慶長15年(1610年)、宗家の堀忠俊が家老堀直次・直寄兄弟の内紛を収められなかった罪で除封され、替わって徳川家康の六男松平忠輝が越後に入封すると、蔵王堂城もその属城となった。
築城
元和2年(1616年)、松平忠輝が大坂の陣における不始末から除封されると、6年前の騒動の一方の元凶であった堀直寄が8万石をもって蔵王に入封した。直寄は蔵王堂城が信濃川に面して洪水に弱いことから、その南にあって信濃川からやや離れた長岡(現長岡駅周辺)に新たに築城、城下町を移して長岡藩を立藩した。
戊辰戦争
明治元年(1868年)、戊辰戦争(北越戦争)により長岡城はほぼ焼失した。焼け残ったのは、本丸の九間門橋・三階隅櫓・坤隅の櫓・かご部屋と二の丸の南櫓、そして千手口門だけであった。しかし、それらも士族の救済や阪之上小学校の教育費に充てるため売却された。
廃城以後
戊辰戦争(北越戦争)によって長岡城が失われた後、跡地は「遊覧場」と呼ばれ一種の公園の役目を果たしていたが、鉄道敷設の際、停車場設置の候補地となり明治31年(1898年)、本丸跡の東部分に長岡駅が開業した。
二の丸跡には明治35年(1902年)に宝田石油本社が建てられ、この頃まで二の丸内濠が残っていたが、宝田石油本社の移転後、この地を長岡市に寄付し長岡市公会堂が建設され(1926年)、内濠はなくなった。二の丸跡はその後、長岡市公会堂(1926年)、長岡市厚生会館(1958年)と移り変わり、2012年からは長岡市役所本庁舎などを擁する複合交流施設「長岡市シティホールプラザアオーレ長岡」となっている。
このように長岡城の遺構は失われ、長岡城本丸跡の史跡案内標柱(長岡駅大手口)や長岡城址の碑(アオーレ長岡隣り)、そして城内町、「大手口」など地名・名称に面影が残るのみである。
構造
内郭と外郭の堀は土橋が掛けられ、城門に通じた。本丸の一部にしか石垣はなく、他は土塁で周囲を囲んでいた。天守はなく、本丸北西の三階櫓を代用としていた。
城門は17棟あり、大手から本丸に通じる間に、大手門、桜門、二之門、冠木門、九間門が存在した。九間門は本丸正門であり、冠木門はその付属である。
裏門に塩門、門、不明門(あかずのもん)、太鼓門があり、また外郭に町口門、坂口門、千手口門、高橋口門、長町口門、神田口門、四郎丸口門、今朝白口門が存在した。太鼓門見通しおよび千手口門見通しは積雪を測量する場所とされた。
中心部の本丸から南西の方向に二の丸が延び、北の方向に三の丸があった。後に三の丸には城外にあった馬場が移設され、馬術や弓術の藩主への御覧が三の丸において行われていた。また、三の丸は太鼓門見通し及び千手口門見通しと同様に積雪を測量する場所とされ、この他に下場札前と御厩が積雪を測量する場所とされ、三尺積雪すると除雪させた。
マップ
アクセス
■JR長岡駅(大手口)から3分
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