佐賀城【日本100名城】

佐賀城は、龍造寺氏の居城、村中城を慶長13年~16年までの総普請により、拡張整備された鍋島氏の居城で、別名を沈み城または亀甲城ともいいます。
藩政期、佐賀城は2回の大火に見舞われました。1回目は享保11年(1726年)の大火で、天守・本丸・二の丸をはじめとして、多くの建物が焼失しました。その後、天守・本丸は再建されず、二の丸や重臣屋敷で藩政が行われていましたが、天保6年(1838年)の二の丸火災を機に本丸が再建されることになりました。
明治になると本庁建物は藩庁(後の県庁)として使われますが、明治7年(1874年)の佐賀の役で一部の建物が被災しました。2004年に本丸御殿が復元され、当時の姿が蘇りました。
Contents
佐賀城の見どころ

佐賀城は佐賀城公園として整備され、広大な水濠が残ります。本丸を守る鯱の門と続き櫓が国の重要文化財になっており、門扉には佐賀の乱で受けた銃痕が今でも残ります。
かつては4層5階の大天守が建った天守台も注目です。
2004年に日本初となる本丸御殿が復元され、かつての姿を取り戻しています。

佐賀藩10代藩主鍋島直正は藩政改革を成功させ、佐賀藩は日本で初めて大砲の製造を成功させるなど、幕府や諸藩に負けない国力や人材を獲得し、多くの人々から一目おかれるようになっていました。
戊辰戦争で新政府が全国を支配下においたことで、佐賀藩は薩摩藩・長州藩・土佐藩とともに、明治新政府の新しい国家の制度づくりに参画し、多くの分野で活躍する人々を輩出しました。
名城スタンプと御城印
■日本100名城スタンプ
・佐賀県立佐賀城本丸歴史館
開館時間 9:30~18:00
■御城印
・佐賀県立佐賀城本丸歴史館
開館時間 9:30~18:00

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| 別名 | 龍造寺佐賀城、村中城、佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 輪郭梯郭複合式平城 |
| 天守構造 | 層塔型4重5階(慶長16年(1611年築)・非現存) |
| 築城主 | 龍造寺氏・鍋島直茂・勝茂 |
| 築城年 | 1602年(慶長7年) |
| 主な改修者 | 鍋島直正 |
| 主な城主 | 龍造寺氏・鍋島氏 |
| 廃城年 | 1871年(明治4年) |
| 遺構 | 鯱の門及び続櫓、移築御座の間、石垣、堀、土塁 |
| 指定文化財 | 国の重要文化財(鯱の門及び続櫓) 佐賀県史跡 佐賀市重要文化財(御座の間) |
| 再建造物 | 本丸御殿の一部(佐賀県立佐賀城本丸歴史館) |
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登城レポート
佐賀城について
鎌倉時代から戦国時代にかけて、肥前の戦国大名龍造寺氏によって築かれた村中城が、慶長期に鍋島氏による拡張・改修により、現在の佐賀城の姿になった。 佐賀城は佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。幅50m以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。
平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際には多布施川より送り込んだ大量の水によって本丸以外を水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とそれ以降描かれる現状を反映した城下絵図と比較すると、櫓数の削減や本丸及び二の丸の石垣の簡素化など異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。
江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていた。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。
明治時代初期に起こった佐賀の乱により鯱の門、鯱の門続櫓、本丸御殿以外の全ての建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており国の重要文化財に指定されている。享保11年に焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されている。
現在、城跡は佐賀城公園として整備され、本丸御殿の木造復元され佐賀県立佐賀城本丸歴史館として公開されている他、周辺は東堀や土塁が復元され往時の姿を取り戻しつつある。二の丸には佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっている。
佐賀城の近現代歴史
佐賀城の内堀の幅は80mにも及ぶ広大なもので、小倉城天守の図面を参考に高さ38m(現在の12階建てビルの高さに相当する)層塔型4重5階の天守も建造された。
佐賀城は何度も火災に見舞われた。特に1726年(享保11年)には大火に見舞われ、天守以下本丸建造物の大半を焼失した。これにより御殿などが1728年(享保13年)に二の丸に完成し、藩政は二の丸を中心に行われた。更に1835年(天保6年)の火災では二の丸を焼失。これにより再び本丸再建が行われ政務は本丸に移った。現存する鯱の門・続櫓はこの再建時の1838年(天保9年)に完成したものである。同時に立てられた本丸御殿は、明治維新以後、裁判所や学校として利用された。なお、天守は享保の火災以後再建されていない。
本丸御殿は佐賀の乱の後に取り壊されたが、2004年に木造復元された。
1874年(明治7年)江藤新平を中心とした佐賀の乱が起こり佐賀城はこの反乱軍に一時占拠された。この戦闘の際に鯱の門、鯱の門続櫓、本丸御殿以外の全ての建物を失った。なお、鯱の門には当時の弾痕が現在も生々しく残っている。以後、佐賀城址には学校、測候所、県庁など公共施設が次々と建設された。
鯱の門と続櫓は1953年(昭和28年)佐賀県重要文化財に指定され、1957年(昭和32年)には国の重要文化財に指定された。この年、明治時代の建造物「協和館」が天守台に移築されサークル活動等に利用されていたが、天守の構造物と誤認されることが多かったため2003年(平成15年)の佐賀市議会で解体されることが決定された。
本丸御殿の一番奥にあり天保期の建物と見られる「御座間」は鍋島直正の居室であったが、1958年(昭和33年)に水ヶ江大木公園に南水会館として移築された。2001年(平成13年)市の重要文化財に指定された。2004年(平成16年)本丸御殿が財政の関係で部分的に木造復元され、本丸御殿の木造復元に伴い元の位置に戻された。
2012年より大規模な天守台の発掘調査及び、文献調査が行われている。これにより、外観は4重屋根ながら内部は上から上段(5階)、下段(4階)、二段(3階)、三段(2階)、其外(1階)の5階建てとなっており、最上層が上下2階建てとなっているのが特徴で、一階は礎石の配置状況から後期天守閣としては珍しい書院造りで有った。
また、窓は天守台の発掘によって出土した金具から突上戸である。そして、現代に伝わる天守閣が描かれた絵図が寛永3年(1626年)寛永御城并小路町図と慶長佐嘉小城内絵図の二枚が残されているが、両者には幾らかの相違は見られるものの、最上部を除き破風などの屋根装飾が一切描かれていないのが共通点としてあげられる。これらの特徴は参考にしたとされる小倉城天守の特徴と一致することが分かって来た。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR長崎本線・佐賀駅から徒歩30分
・佐賀駅バスセンターから佐賀市営バス佐賀城跡線「佐賀城跡」下車、徒歩1分
■車・バイク
・長崎自動車道・佐賀大和ICより約25分
※無料駐車場あり
佐賀城 周辺スポット
佐賀県立博物館

昭和45年に明治百年記念事業として開館。以来、自然史、考古、歴史、美術、工芸、民俗の各分野にわたり、収集してきた資料を展示しています。
江戸期における佐賀城の三の丸跡であり、建設前は佐賀大学教育学部の跡地となっていた。当初は美術館としての役割も兼ねていたが、1983年(昭和58年)に佐賀県立美術館が開館したことでその機能は移された.
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大隈重信記念館

二度の内閣総理大臣のほか、通貨「円」の制定、24時間365日の太陽暦の導入、早稲田大学の創設、そして日本初の鉄道敷設を主導するなど、日本の近代化に貢献した佐賀の偉人「大隈重信侯」の記念館です。生誕125年周年を記念し、早稲田大学名誉教授・今井兼次博士の設計によって建築されました。
敷地内には生家が移築されており、佐賀に見られる武家屋敷の面影を残し、国の史跡に指定されています。
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佐嘉神社

佐嘉神社は1933(昭和8年)に創建。佐賀藩主第10代鍋島直正公、11代鍋島直大公をお祀りしています。境内には有田焼で作られた燈籠や鳥居があり、また国防の為に製造された大砲(カノン砲)が復元展示されています。また1つの境内に神社が八社も祀られている珍しい神社でもあります。
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